11月7日(火)


「──康太?」


「っ、瞬……!」


──なんてタイミングだ。


多嘉良に迫られるような格好の俺を見た瞬が、ラウンジの入り口で固まっている。

俺は咄嗟に、頬に添えられた多嘉良の手を引き剥がして言った。


「……離れてくれ」


「……」


すると、多嘉良は何も言わず、あっさりと俺から手を離した。その隙に、俺は瞬の元へと駆け寄る。


「……瞬、今のは」


「……康太」


今の状況について弁解しようとするが、被せるように、瞬が口を開く。驚き固まりつつも、俺を見上げる瞬の目は──。


「……悪い。そりゃ、怒るよな。俺も脇が甘かったから……」


「そうじゃないよ」


少し険のある声でそう言った瞬が首を振る。俺が「え?」と返すと、瞬は腕を組んではあ、と息を吐き、それから俺に言った。


「……また、一人で動いてたこと。康太に迫ってたあの人……『同業他社』の件で、何か目星を付けた人なんでしょ?」


「……ああ」


──さすがだ。やっぱり、瞬には敵わない。そう思って項垂れる俺に、瞬はさらに言った。


「康太がこの件を追ってるのは、俺のためでもあるって、分かってる。でも、あの人がどんな人か、俺は知らないし……もしも、危ない人だったらって思ったら、心配だから……」


「……多嘉良は危ない奴じゃない。それに、ここは学校だ。あいつらだって、学校でそんなことは──」


声に不安を滲ませる瞬にそう言いかけて、俺は口を噤む。


──いや、学校だから安全ってことはないな……。


俺は前にも、「あっち側」の連中のせいで、学校でいきなり意識を失ったことがある。その時も、瞬をものすごく心配させたんだ。

……もっと、それを自覚するべきだった。


俺は俯く瞬をそっと抱き寄せて言った。


「……本当にごめん。心配させた」


「うん……」


瞬も俺の背中に手を回す。俺は瞬の頭を撫でつつ、さりげなく後ろにいるはずの多嘉良を振り返った。

……完全に蚊帳の外にしちまったしな。


だが──。


「……っ!」


さっきまでいたはずの場所に、多嘉良はいなくなっていた。ラウンジへの出入りは廊下に面した、俺達の今いる場所からしかできないはずだ。それはつまり、あいつはやっぱりそうだってことだ。


『尻尾を掴んだら、その尾がちゃんと胴体に繋がっているか、目を離さないことだな。尻尾を切って逃げられないように』


──その通りだな。こんな風に簡単に消えちまうんだから……。


多嘉良が「あっち側」のどういう奴なのかは、まだ分からない。それでも、俺は奴の忠告を胸に留めておくことにした──ところで。


「康太」


「ん?」


ラウンジから教室へと戻る途中。並んで歩く瞬が、ふいに、俺に言った。


「さっき、ごめんって言いながら、また……あの、康太に迫ってた人のこと考えてたでしょ」


「……そこまで、分かるもんか?」


「何年一緒にいると思ってるの?」


「そうだな……」


おかげで、俺は瞬に隠し事だとか、言い訳がまるで通用しない。俺は、瞬が隠してたことに──まるで気付けないってのに。


つい、何も言えなくなってしまう俺に、瞬は「でも」と言った。


「それだけ、康太は俺に何でも話してくれて、必要な時には頼ってくれてるっていうの……分かってる。その上で、俺が康太にさらけ出せないところがあっても、そのまま……康太は俺を受け入れてくれてるってことも」


瞬は俺を見つめて言った。


「ありがとう」


「……おう」


それはむしろ、俺の方がそうだろ──と、俺は瞬の背中をそっと叩いた。


教室の前まで来た時、瞬は俺に言った。


「じゃあ、俺……康太に、一つ……お願いがあるんだけど」


「いいけど……じゃあ、って何だよ」


「えっと……その、さっきの……埋め合わせ?」


それを言われたらもう仕方ない。俺は頷いて言った。


「……分かった。それで、お願いって何だ?」


すると、瞬は躊躇いがちに言った。


「……明後日の放課後、俺と──カラオケ、行かない?」





「でも何で、急にカラオケなんだ?」


──11月7日、朝の始業前。


クラス委員としての朝の仕事を終え、クラスメイト達がぼちぼち登校し始めた教室で、俺はふと昨日のことを思い出し、瞬に尋ねる。

昨日は、あの後すぐ予鈴が鳴っちまって、結局理由を訊けなかったからな。


しかし、瞬は「うーん」と曖昧に返事をして言った。


「……な、なんとなく?ほら、中学生の頃に二人だけで行ったことはあるけど……つ、付き合ってからはないから。それに、放課後のデートといえばって感じでしょ?」


「そうか……?」


俺は首を捻る。俺も瞬もその辺は疎いからよく分からないが、カラオケって言うほどデートの定番なのか?まあ、個室だし、気兼ねなく二人きりになれるところではあるが、結構金かかるしな……。


それに、俺は今週末に面接を控えてるし、瞬だって、来月には入試が控えている。(昨日聞いた話だが、瞬は校内の推薦枠を無事に勝ち取り、それで受験をすることになったそうだ)


瞬の性格上、この時期にこんな誘いをするのは、ちょっと不自然な気もする……が。


──まあ、心配かけたしな。瞬だって、息抜きしたいこともあるか。


ひとまず、俺はそれで納得することにする。俺は瞬に言った。


「ま、久しぶりに、瞬の十八番が聴けるってわけだ。俺は手拍子するから」


「え?だ、だめだよ。歌うのは、康太じゃないと……」


「は?なんでだよ。いつもそうしてたのに。それに瞬は歌うのが好きだろ」


「あ、明日はだめ。康太が歌って」


「なんだよ、どうしたんだよ──」


「おう、朝から楽しそうだな」


「西山」


声に振り返ると、西山が手を挙げつつ、手近な空いている席に座る。瞬が「おはよう」と返すと、西山は俺達を交互に見遣りつつ言った。


「……その調子だと、今出回ってるやつも、またデマって感じだな」


「デマ?」


瞬が首を傾げると、西山は「ああ」と頷いて、続ける。


「昨日、お前らと三年の男子がラウンジで修羅場になってたってやつだ。いつもの春聞砲だよ。打ち上げの記事が出てから、質の低い飛ばし記事が目立つようになってる」


──春聞砲。


春和高校新聞部オンライン、いわゆるこの高校の裏サイトみたいなもんだ。

俺と瞬のしょうもない記事を、いつもどこからネタを仕入れてくるのか載せまくる、はた迷惑なサイト。


「いつもながら……あながち、根も葉もないことでもねえってのが、不気味だ」


「ほう。じゃあ、ラウンジで何かあったのは本当なんだな?」


「ああ……」


俺は頷きつつ、瞬を見遣る。瞬は視線で「いいよ」と伝えてきたので、俺は西山に昨日の件を──さっくり話した。もちろん、「同業他社」がどうとかそういう話は抜きで。


「──つまり、瀬良が好きだって近寄ってきた奴がいて、瀬良は断ろうとしたけど、無理やり迫ってきたところを、立花が見ちまったってことか?」


「そうだ」


俺は言いながら、心の中で多嘉良に「すまん」と謝った。いや、謝らなくていいのかもしれないけど。あっち側だけど、悪い奴じゃなかったら、申し訳ないしな。


そんな葛藤を密かにしている俺はさておき、西山は瞬に言った。


「立花、大丈夫か?」


「うん、大丈夫だよ。まあ……全然心配ないって言ったら、嘘になるけど。モテる幼馴染の隣には、もうずっと一緒にいるから、ね」


そう言って瞬が俺に目配せする。俺がそれに頷いて応えると、西山はやれやれと肩を竦めた。


「……お前らの間には、誰も入る隙がねえな」


瞬は「うん」と西山に微笑んだ。





──キーンコーンカーンコーン……。


HRが始まる五分前の予鈴が鳴る。さっきトイレに行った瞬が間に合うかと、教室のドアの方を気にしていると、ふと、クラスメイトの一人が目に留まる。そういえば──。


「……田幡」


「あ?何だよ」


ちょうどそいつ──田幡が席に戻ろうと、俺の横を通ったタイミングで、俺は奴を呼び止める。

田幡はやや面倒くさそうな顔で俺に視線を遣り、それからこう言った。


「……ふん。俺にあんなとこ見られても、まだ懲りねえんだな。相変わらず、立花とそこかしこでイチャつきやがって」


「ああ、ありがとうな」


「は?」


戸惑い、眉を寄せる田幡に俺は言った。


「打ち上げの時、皆が暴走して、瞬がどうにもならなくて困ってた時、お前、皆を止めてくれたんだろ。俺はあの時、役に立たなかったし……マジで、瞬を助けてくれてありがとう」


「……大したことじゃねえだろ」


「それに、俺らのあんなとこ見たって話、田幡は誰にも広めてねえだろ。あのクソサイトでも、あれだけは、記事になってねえみたいだし。それも、ちゃんとお礼言ってなかった。ありがとな」


「なんだよ……別に、何もしてねえよ」


田幡は坊主頭を掻くと、それきり、何も言わず、さっさと自分の席に戻ってしまった。そのうちに、瞬がぱたぱたと自分の席に戻ってくる。

瞬に声をかけるついでに後ろを振り返ると、田幡は教科書を広げていて、その顔はよく見えなかった。





「……だよ、あいつ。何で……」


「はい、これプリント……田幡?」


「……っ、あ、何だよ、立花」


「えっと……はい、プリントだよ。田幡の分、回したんだけど……どうしたの?」


「べ、別に……何でもねえよ」


「でも、何だか顔が赤いけど……もしかして、具合が……」


「な、何でもねえって!」


「そ、そう……?」



「……俺は、そういうんじゃねえだろ」

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