10月28日(土) 文化祭1日目


──ちゅん、ちゅん……。


「ん……」


カーテンの隙間から漏れた朝日と、いつもよりものんびりと聞こえる小鳥さんの声で、目が覚める。

伸びをしながら、ゆっくりと身体を起こして、枕元のスマホに手を伸ばして、時間を見れば──もう、六時すぎだった。


「……いつもより、ちょっとのんびり起きちゃったな」


今日みたいな土曜日って、頭では「学校に行かなきゃ」って分かってるのに、身体はつい休日モードになっちゃうから、なんだか不思議だ。


──ううん、でも今日は楽しみにしてた日だもん。気合い入れよう……。


10月28日、土曜日──文化祭。


俺は、起きたてのぽーっとした意識に活を入れるべく、自分で自分の頬を両手でぱしっと叩いた。よし、起きよう。


制服に着替えて、部屋を出て、顔を洗う。それから、夜のうちに洗濯をして、ベランダの前で室内干ししておいた、「Tシャツ」を回収する。


「……ふふ」


まだ少し乾いていないそのTシャツにアイロンをかけながら、俺はついニヤニヤしてしまう。だって、何度見たって嬉しい──康太と俺の名前が並んだ、最初で最後の文化祭クラスTシャツ。


皺を伸ばして乾いたTシャツを広げて、背中にプリントされた俺達の名前を眺め、それから鏡の前で、Tシャツを自分にあてがってみる。やっぱり嬉しくて仕方なかった。


──……夢みたいだ。


高校生活最後で、康太と同じクラスになれて、こうして色々な思い出を重ねられて、しかもそれは……ずっと願っていた形で叶っているのだ。こんなにいいのかなって思うくらい、俺は幸せだった。


……とはいえ、いつまでも幸せに浸ってはいられない。俺は急いで、アイロンとアイロン台を片付け、簡単な朝ご飯を済ませた。

そうこうしているうちに、もう家を出る時間になる。戸締りや火元の確認をして、誰もいない部屋に「いってきます」と言う。それから、ドアを開けて外に出た。


「瞬」


家の鍵を締めていると、よく知りすぎている声に呼ばれた。振り返ると──。


「わ、康太。おはよう」


「おはよう」


いつもはマンションの下か、康太の家があるフロアの階段あたりで落ち合うのに、今日は珍しく俺の家の前まで来てくれたなんて。

「どうしたの?」と訊くと、康太は頭を掻きながら「いや、なんていうか」と言って続けた。


「なんか……落ち着かねえっていうか」


「文化祭、楽しみなの?」


「そんなの……そうだろ」


康太は何故か、まるで負け惜しみでも言うみたいに言った。まあ、たしかに……ちょっと前の康太なら、この手の学校行事の時は「適当にサボって楽したい」って感じだったもんね。でも、今日の康太ははわくわくしてるのが、言葉にしてなくても伝わってくるくらい、なんだかそわそわしていた。


二人で並んで階段を降りながら、俺はそんな康太をつい、揶揄ってみる。


「康太、何でそんなにそわそわしてるの?」


「いや、別に……そわそわはしてねえし。あ、朝と昼の寒暖差のせいでそう見えるだけだろ」


「そうだね……朝は最近寒いもんね」


言ってから、何がそうなのか分からなくて、自分で笑ってしまう。すると、康太は呆れたようにはあ、と息を吐いて言った。


「俺だって、よくは分かんねえよ……ただ」


「ただ?」


少し躊躇ってから──康太は俺から視線を逸らしつつ言った。


「クラスに瞬がいて、一緒に店番して、そんで……一緒に回ったりするのは、いいなって思う。それは、瞬が……」


「俺?」


訊き返すと、康太は小さな声で教えてくれた。


「……瞬が、好きだから、だと思う」


「……ふ、ふうん」


──本当はちょっと分かってて訊いたくせに。俺はなんだか急に恥ずかしくなって、そんな返事をすると、康太が「なんだよ、その反応」と俺を小突いてくる。俺もそれに小突き返すと、俺達は顔を見合わせて笑い、競うように階段を駆け降りて行った。





「──じゃあ、これが二人の分ね。早速だけど、最初の店番よろしく」


「おう。ありがとう」


「ありがとう、小池さん」


──そんなわけで迎えた、文化祭一日目。


全校での開会行事を終え、すっかり「森の動物さんのパン屋さん」へと生まれ変わった自分達の教室に戻ってくると、衣装担当の小池さんが俺達に紙袋を渡してくれた。中身は店番の時に付ける「例のアレ」──「動物の耳」だろう。


俺と瞬は受け取った紙袋を手に、教室の隅にパーテーションで区切って作られた「荷物置き場兼店番係の控室」へと入った。


「じゃあこれ……こっちが康太の分だから」


「……おう、じゃあこれが瞬の分だ」


「うん……」


事前にお互いに選び合った「耳」が入った袋を手にする。瞬が俺にどんなのを選んだのかと思うと、少し緊張する。袋をじっと見つめて、唾を飲んだ瞬も、それは同じらしい。俺は瞬に言った。


「……せーので開けるか」


「そうしよっか……よし」


瞬と頷き合ってから、俺達は声を揃えた。


「「せーの──」」


袋を開ける。中に入っていたのは……。


「……あれ、犬?」


犬耳だ。柴犬みたいな茶色の三角耳の。けど、これは──。


「……お揃いだよ」


そう言った瞬の声に顔を上げると、俺は自然と声がでた。


「っ、うわ……」


──瞬の頭には俺の分と同じ……だけど、色違いの犬耳が着いていた。黒い柴の耳だ。

俺が厳選に厳選を重ね、「瞬にはこれしかない」と小池さんに注文したやつだ。想像以上に瞬に合いすぎて、俺はつい、瞬の周りをうろうろして、じっくり眺める。


やっぱり、黒にして正解だったな。瞬の綺麗な黒髪に合わせると、耳が自然に生えてるように見える。瞬を動物に例えるなら何だろうと考えて、真っ先に犬が浮かんだところまではよかったが、色や形まで含めて理想の耳を、あのサイトで見つけるまでにかなり苦労したもんな……その甲斐あって、この黒柴の瞬は完璧と言っていいくらいだった。絶対にあとで写真を撮ろう。


「へえ……いいな。ふうん……ほう……なるほど……はあ……」


「ちょ、ちょっと……康太ってば」


瞬に咎められて、俺はようやく我に返る。……しまった、黒柴になった瞬にうっかり我を忘れていた。気が付くと、俺は大分瞬に寄っていたので、一歩離れる。すると、今度は瞬の方が俺に寄ってきて──。


「ほら、康太も着けて」


瞬は俺の手から、俺の「耳」を取ると、少し背伸びをして、それを俺の頭に付けた。瞬のと同じで、右耳、左耳、それぞれピンで頭に固定するタイプのものだ。ぱち、ぱちと俺の頭に耳を着けると、瞬は「わあ……」と声を上げた。


「……やっぱり、康太似合う!可愛い、へえ……ふうん……はあ……」


瞬は心なしか、鼻息荒く、俺の周りをうろうろして、じっくり俺を鑑賞した。既視感がありすぎる光景に、俺はツッコむ。


「おい、俺と同じじゃねえか」


「あ……ごめん」


苦笑いを浮かべた瞬は、俺から一歩離れる。俯くと、瞬の可愛い三角耳が垂れてるように見えて、不覚にも胸がどきどきした。可愛い。頭をわしゃわしゃ撫でたい。


だが、ここはぐっと堪えて、俺は瞬に気になっていたことを訊いた。


「お揃い……って言ったよな。これは偶然じゃないってことか?」


サイトには耳なんて、犬のだけでもいっぱいあったのに、ドンピシャでこれが被るなんてこと、とんでもねえ奇跡だ。ただ、俺がこれを開けた時の瞬の口ぶりからして、そうじゃないらしいことは何となく分かった。て、ことは──。


俺の思考の先を引き取るように、瞬はいたずらっぽく笑って教えてくれた。


「康太には悪いけど、俺……小池さんにこうお願いしたんだよね。『康太が俺に選んだものと同じ耳の色違いにして』って」


「な、なるほど……」


聞けば、瞬は結局、俺に着けさせたい耳の候補が絞り切れず、それなら自分とお揃いにしたいと思って、そう頼んだらしい。

──それを知った瞬間、俺はもう、抑えきれないほど、瞬が可愛いと思ってしまい、衝動的に……。


「よしよしよし……」


「え?あ、ちょっと……本当にワンちゃん扱いしないでよ」


「瞬、お手」


「嫌だよ、そんなの。しないよ!」


「頼む、一回だけでいいからしてみてほしい……お手って、ほら」


「えー……あ、じゃあ後で康太もしてね」


「あー、気が向いたらな。はい、じゃあ瞬、お手」


「気が向いたらって何?……もう、分かったよ……はい」


何だかんだでノリがいい瞬は、そう言いつつも「わん」と言って俺の手の上に可愛らしい「グー」の手をちょん、と載せた……時だった。


「あのー……」


「「あ……」」


気まずそうな声に振り返ると、パーテーションの影からこちらを覗く、俺達と同じ店番シフトの女子が「もう開店するけど?」と教えてくれた。俺達は顔を見合わせてから、二人で「すみません」と頭を下げたのだった……。

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