10月25日(水) ②
「ほほっ、まさか瀬良氏を漫研にお連れする日が来るとは思いませんでしたぞ」
「ああ……俺も、漫研の奴に会うのは初めてだな」
瞬に見送られて、教室を出た後。
丹羽と合流した俺は、早速、丹羽の案内で漫研の活動場所である「美術室」へと向かっていた。
──春和高校・漫画研究部。略して「漫研」。
部員は十名程度。主な活動は、文化祭での部誌発行をはじめ、各種学校行事のポスター制作や学校案内等の対外向け配布物へのイラスト提供。あとは、高校生対象の漫画コンテストへの応募なんかもしたり、地域の商工会議所とコラボして、特産物のパッケージにイラストを提供したりとかなんとか……想像よりは、真面目な活動もしている部らしい。
「毎年、三年生が抜けると廃部候補筆頭になりますからな。歴史ある美術部との差別化を図るためにも、近年は意識的に、目に見える活動実績を増やしているようです」
「へえ……なんか、大変なんだな」
「それもこれも多嘉良氏の提案です」
「ふうん……」
漫研の部長──「多嘉良」。一体どんな奴かは分からねえが、丹羽の話を聞く限り、腕もあって、さらに頭も切れそうだ。
もしも、そんな奴が「せかいちゃん」の手先か、あるいは「あっち側」の奴だとしたら、なかなか厄介だな。
俺は隣を歩く丹羽に訊いた。
「前にも訊いたが……多嘉良って奴は、どういう奴なんだ?何組にいる」
「クラスは二組です。どういう奴と言われてもですな……この前お答えした以上には説明しにくいのですが。まあ、口数はあまり多くはないですね。寡黙な職人といった感じです。ですが、ご自分の考えはしっかりと示されます」
「頑固な職人肌ってとこか。じゃあ、真面目な奴なんだな」
それなら、瞬をいかがわしい目で見るような変態だってことはないか……と、思っていると、丹羽も「そうですな」と頷いて言った。
「多嘉良氏はいい加減な方ではありません。現に、私の『戦線を離れて怠惰な体つきになった女騎士』というオーダーに対して、彼とは何度も熱い議論を繰り返しましたな……特に腋あたりの肉付きについて、彼は決して自分の考えを譲りませんでした。彼の『腋』に対するこだわりは尋常ではありません。彼の腋への愛は本物です」
「変態じゃねえか」
前言撤回だ。やっぱり、瞬を連れてこなくてよかった。やれやれと首を振っていると、丹羽が「ところで」と今度は逆に訊いてくる。
「昨日お渡しした本はいかがでしたかな?瀬良氏。ご満足いただけましたか?」
「いや……挿絵だけぱらっと見て、まだ読んでなくて……」
あんな本ではあったが、丹羽がこだわりを詰めて作ったものである。申し訳ないと思いつつ、しかし嘘をついても仕方ないので、そう言うと、丹羽はがーん!と音が聞こえてきそうなほど、ショックな表情で項垂れた。
「ぬほぉ……っ!やはり、活字と絵では、受け手に訴求できるスピードがまるで違うと痛感しますな……」
「わ、悪かったって。ただ、俺、元々小説って読むの苦手だし……別に丹羽の腕がどうってわけじゃねえだろ……」
「はは……お心遣いありがとうございます」
そう言いつつも、はあ、とため息を吐く丹羽に、俺は胸が痛くなった。……今度、ちゃんと読むか。
そんなやり取りをしている間に、俺達は美術室の前まで着いた。文芸部の活動場所である図書館からは、美術室はほとんど離れていない。
それでも、選択教科で美術を取ってないので、この部屋に入ったのは……一年の時以来か?
少しだけ懐かしく思いつつも、丹羽がぴたりと閉まった美術室の戸を軽くノックする。「私です。入りますぞ」と声を掛けてから、丹羽は俺を振り返り「行きましょう」と言う。俺は頷いて、丹羽の後について、美術室の中へと入る。
「……こ、こんちは」
若干、緊張気味に挨拶すると、美術室の手前の長机の前に陣取っていた三人の女子が俺に視線を遣る──上履きの色からして、全員二年だ。
「……おぉ」
「あ……はい、どうも……」
「……(ぺこり)」
三者三様の微妙なリアクションに、俺はますます居たたまれなくなる。そりゃそうか。自分たちの聖域に知らない……しかも、男が入ってきたら、そんな反応になるよな……。
とりあえず、軽い会釈だけ返して、俺は改めて──美術室を見渡す。美術室にいる部員は、今の女子三人と、離れたテーブルに男子二人(こいつらは一年だ)だった。聞いてた部員の半分くらいか。だが、多嘉良らしき姿はない。多嘉良は三年だって言ってたもんな。
「丹羽、多嘉良はどこだ?ここにはいねえみたいだが……」
「……います」
「っ、うお!?」
ふいに、背後からぼそりと話しかけられて、思わず声を上げてしまう。振り返るとそこにいたのは、重く長い前髪が印象的な、なんだかひょろっとした……俺よりも背の高い男子生徒だった。こいつは──。
「おや、多嘉良氏。よかったですぞ。ひょっとしてご不在かと」
「……教室に忘れ物を」
「そうでしたか」
丹羽がにこやかに「多嘉良氏」と呼びかけたので、もう間違いない。俺は、その男に話しかけた。
「お前が……漫研の部長の多嘉良だよな。俺は、五組の瀬良だ。よろしく……」
「……いい」
「……は?」
いい、とは。言葉少なに、俺にいきなりそう言った多嘉良の意図が掴めない。
拒絶の「いい」か。それとも、形式ばった挨拶に対する「いい」か。はたまた、俺の何かがこいつの琴線に触れたのか。
どう返すべきか悩んでいると、多嘉良はいきなり、俺の手を取って握り、こう言った。
「……顔がいい」
「お、おう……」
え?顔?
戸惑いのあまり固まる俺に、多嘉良はさらに続ける。
「顔がいい奴は好きだ……」
「そ、そうか……って、おい」
またしてもよく分からないことを言う多嘉良は、俺の手を半ば強引に引き、一番後ろのテーブルまで引っ張って行く。心なしか、美術室中の視線を背中に集めている気がしつつも、ひとまず、多嘉良に従い、大人しくついて行くと、多嘉良は俺に「……座れ」と勧めてきた。
「……わ、分かった」
言われるがまま、手近な椅子を引いて、腰を下ろす。多嘉良は俺の向かいの席に着き、丹羽は俺と多嘉良の間を取り持つように、席次でいうと、お誕生日席のあたりに、椅子を持って来て座った。
──さて、どう切り出すか……。
多嘉良の目は前髪に隠れて分かりにくいが、俺を真っ直ぐに見据えているように見えた。俺がどんな奴なのか、見極めようとしているのかもしれない。そう思うと、ますます、緊張するが……。
なんて、迷っていると、何かを察したのか、丹羽から話を始めてくれた。
「いやあ、それにしても、多嘉良氏に気に入られるなんて、瀬良氏、よかったですな」
「ああ……まあ、そう……なのか?」
「ええ。多嘉良氏はご自分が認めた相手としか、こうして対等に話をしようとはしません。さすがですな、瀬良氏」
「別に、何もしてねえけど……」
多嘉良的に言うと「顔がいい」だけである。そりゃあ、嫌われて話にすらなんねえよりは、余程いいが……俺は、早速この「多嘉良」という男が分からなくなった。
──まあ、だからこそ、今日は色々聞いて、こいつに迫る必要がある。
俺は意を決して……今度は自分から多嘉良に尋ねる。
「多嘉良。お前が……あの、丹羽の本の絵を描いた奴なんだよな」
「……違う」
「嘘だろ……」
多嘉良の一言で、俺のこれは無駄足と化した。あまりの衝撃で呆然とする俺に、多嘉良はさらに言った。
「……あれは、丹羽の本じゃない。俺と丹羽の魂の共著だ」
「びっくりさせんなよ!」
紛らわしいこと言いやがって。そう思うと、「魂の共著」とか言うのが妙に腹立たしく思えた。だが、ここでキレても仕方がない。とにかく、あの絵を描いたのはこいつだってことが決まったんだから、俺はさっさと目的を達成するべきだ。
気を取り直して、俺は、多嘉良にさらに訊く。
「お前が描いた、表紙の絵……あれは、全部、お前が考えて描いたものか?」
「……それが」
──どうした、ということらしい。やっと少し、こいつの話すテンポが掴めたかと、手ごたえを感じつつ、俺は続ける。
「表紙の、女のキャラの腹に描いてあった紋章……あれが何か、お前は知ってるのか?」
「……淫紋」
「いんもん?」
俺は丹羽に視線を向ける。すると丹羽は「知らないのですか、瀬良氏」と言った。俺が首を振ると、丹羽は俺に説明してくれた。
「淫らな紋章、と書いて『淫紋』です。ハートを象ったような紋章で、下腹部にそれが刻まれたヒロインは、自分の意思に関わらず、えちえちな気分になるのです。そのうちに、淫紋に心まで支配されるようになって、いつのまにか、淫紋による支配と自分の意思の境がどんどん薄くなるのですぞ。いいですよなあ」
「なんだと……」
それはまるで──瞬に表れたやつと同じじゃねえか。でも、あれはせかいちゃんの【呪い】だろ。あの【呪い】を目にしない限り、普通知ってるものじゃねえ。どうしてこいつらがそれを知ってるんだ……?
俺は身構えつつ、丹羽と多嘉良を交互に見遣って訊いた。
「その、淫紋ってのは……普通に、付いたりするもんなのか?ある日急に、腹に表れたりとか」
「んん?いえ、その……普通とはどういう意味でしょう、瀬良氏」
「何て言うか……現実に、ありえるのか?淫紋が腹に表れるって」
「……ない」
「えっと……?瀬良氏?」
多嘉良が首を振り、丹羽が首を傾げる。どういうことだ?
こいつらは瞬の腹に表れた「淫紋」を知ってるんだろ?俺は思わず、眉間に皺を寄せながら、さらに訊いた。
「いやだって、なんだ……その、俺の友達の友達の幼馴染の話なんだけど。そいつ、ある日、急に腹に淫紋が浮かび上がってきたって困ってたんだ。それが、この表紙の絵にあるのとそっくりだから、これを描いた多嘉良なら何か知ってるかと思って……」
「……嘘松」
「ちょっと、瀬良氏……それはさすがに……ないでしょう」
「な、何でだよ!」
すっかり、この二人に「頭のおかしい奴」扱いをされ、俺は釈然としない気持ちになる。
淫紋を知ってるはずなのに、多嘉良までこの反応じゃ、せかいちゃんとの繋がりがあるのかどうか、分からねえ。
このままだと、せっかくの多嘉良との接触が空振りに終わってしまう。俺は、何とかして、二人に理解してもらえないかと足掻いた。
「あったんだ、淫紋は本当にあるんだって!」
「そんな、トトロみたいに言われても困りますぞ……我々オタクとて、世間で言われてるほど、フィクションと現実の違いが分からないわけではありません」
「これもフィクションみてえなもんだろうが」
「瀬良氏、その発言は色々とマズいですよ……」
「……面白い」
「……は?」
その時だった。俺と丹羽のやり取りを傍観していた多嘉良が、すっと立ち上がる。多嘉良は俺のそばまで寄ってくると、長い前髪の奥で、俺を見据えて言った。
「……顔がいい奴は好きだ。だが、熱い『癖』を持っている奴はもっといい。瀬良」
「……なんだよ」
「……瀬良がそこまでいう淫紋について……今は、俺から言えることはない。また今度、じっくり語ろう」
そう言って、多嘉良が俺の肩をぽん、と叩く。その態度に何かを感じた俺は、多嘉良に食い下がる。
「やっぱり……お前は何か知ってるのか?あの紋章について……」
「……今は、まだ話せない」
意味ありげにそう言った多嘉良は、ゆるゆると首を振った……多嘉良の言う通り、今は、これ以上は話してもらえそうにない。
俺は諦めて、丹羽に礼を言い、俺に向けて小さく手を振る多嘉良に、「また来る」と手を挙げて、美術室を後にした。
──成果がなかったことを、瞬にどう伝えようか考えながら。
。
。
。
『……体よく、瀬良氏を追い払いましたな。多嘉良氏』
『……今は、あれ以上ここにいさせると、面倒臭そう』
『しかし、いいのですかな。また今度話そうだなんて……瀬良氏の意図はよく分かりませんが、多嘉良氏は面倒が好きじゃないでしょう。それに、あのような含みのあることを言って』
『……嘘は吐いていない。俺は、淫紋に造詣が深いわけじゃないから、今はまだ話せないのは本当だし。まあ……瀬良は面白そうだから、相手をするのは、面倒じゃない』
『そうですか。では、少しは連れて来た甲斐がありましたかな』
。
。
。
「……色々考えてるうちに、教室まで来ちまったな」
美術室を出て、瞬の待つ教室の前まで戻ってきた時だった。
あれだけ息巻いて出て行った割には、大した成果も持ち帰れず、なんとなく気まずいというか、気が重いが……仕方ない。
俺はふっと息を吐いてから、閉まっているドアに手を掛ける。教室の中は静かだし、おそらく、文化祭の放課後準備も、今日の分は終わったんだろう。
一人、教室で俺を待っているだろう瞬の姿を想像しながら、俺はドアをがらっと開けた──すると。
「ん……っ、ちゅ……ふぁ……あ──」
「しゅ、瞬……?」
──茜色に染まる教室で一人、自分の席に座る瞬が、夢中で自分の指をしゃぶっているところに鉢合わせてしまった……。
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