9月24日(日) ④
「……分かった。じゃあ……次はどうしたらいいか、瞬から言ってくれるか?」
うつ伏せになった俺を見下ろす康太が、眉を寄せてそう言う。きっと、俺が「最低」とか言ったから、康太なりに落ち込んでるというか……悪いと思ってるんだろう。そんな康太が叱られたワンちゃんみたいに見えて、こんな状況だけど、俺はつい、可愛いと思ってしまう。
──とはいえ、康太にばっかり負担をかけるのはよくないよね……。
どうしたらなんて、と思うと、恥ずかしくて堪らないけど……康太の言う通り、手探りでも何でも……いい加減、先に進まないと日が暮れてしまう。俺は康太に「分かった」と頷いて言った。
「じゃ、じゃあ……その、まずは……」
「おう」
俺は口を動かしながら、必死にぐるぐると、昨日見たサイトのことを思い出す。本当はまだ見ちゃダメなのかもしれないけど……「そういうことのやり方」が載っているサイトだ。いやらしい感じじゃない、シンプルな絵と図で分かりやすく説明されている、カップル向けの指南書みたいなサイトだった。
とはいえ、俺と康太が、って置き換えると、直視できないところもあったけど……それでも、大事なことだと思って、頑張って最後まで読んだのだ。今更、引いたら、その努力が無駄になってしまう。
だから、俺は意を決して、康太に言った。
そこに書いてあったのは──。
「まず……ハグをします」
「おう……」
康太が目をぱちくりさせる。「え?そんなこと?」と言いたげな顔だけど、そんなことを重ねて、少しずつ相手に身体を開く準備をするのが大切なのだ……サイトの押し売りだけど。
とにもかくにも。
俺はうつ伏せから、再び仰向けに体勢を変えて、康太に向かって腕を広げた。
それで意図が伝わったのか、康太はひとつ頷いてから、俺の上に跨り、背中の下に手を差し入れるようにして、俺を抱いた。俺も広げた腕を伸ばして、康太の背中に手を回す。これで一応、お互いを抱き合ってるような体勢にはなったけど……なんだかちょっとだけ遠い気がする。
康太も考えたことは同じなのか、首を捻りながら「なあ」と俺に訊いてきた。
「もっと、瞬に寄った方が……いいよな」
「う、うん……」
俺が首を縦に振ると、康太は「そうだよな……」と言って、おもむろに、俺の隣に寝転んだ。それから、言った通り、ぐっと俺に身体を寄せて、さっきよりももっと密着した体勢で俺達はお互いを抱き合った。鼻に息がかかるくらい、康太が近い。康太とこんな風にくっつくのは、もう何度もしているはずなのに、今日はいつもよりもドキドキする。
「……っ」
康太の背中に回した手につい、力が入って、康太のジャージをきゅっと掴んでしまう。すると、康太が「瞬」と俺を呼んで言った。
「……次はどうする」
「つ、次は……」
俺は言うのを躊躇った。さっきもしたことなのに、と思うと、また自分から言うのは、ねだってるみたいですごく恥ずかしい。
それでも、康太が覚悟の据わった目で俺を見つめているから、俺はそれに引っ張られるように、言った。
「キス……する」
「もう一回か?」
俺は小さくうん、と頷いた。それに対して、康太が唾を飲むのが分かった。また緊張してるのかもしれない。こんなことになる前は、キスは、どちらかといえば俺の方からすることが多かったような気がするから、尚更だろう。俺も、康太のことは全然言えないけどね……。
少し躊躇うような間が空いたけど、やがて、康太は俺に顔を寄せてきた。俺は目を閉じて、それを受け入れようとして──ふと、思い立ち、「待って」と康太を止める。
「……何だ?」
「その……い、一回だけね。キスは……もう、さっきしたから……」
「分かった」
そう言うと、康太は俺が目を閉じるのを待ってから、唇に唇をちょん、と触れさせた。さっきのとは違う、また、いつもみたいなキスだ。
だから、その感触はすぐに離れていくだろう──そう思ってたのに。
「ん……っ?!」
康太は唇を離さないまま、俺の上唇を軽く食んだ。びっくりして、反射的に康太を抱きしめていた手を解き、拒むように康太の胸板を押す。
「っ、!」
康太が目を丸くして、俺から離れる。俺は慌てて「ごめん」と康太に謝りつつ、言った。
「でも、一回だけって言ったから……」
「おう……だから、一回しただろ」
「それは、まあ……そうだけど。だから、長いって……」
言いながら、俺はいつか舞原さんに教えてもらった心理テストを思い出した。
出航しようとする船がどのくらいの長さで何回汽笛を鳴らしたか……で、キスの長さが分かるっていうやつ。
あの時は半信半疑だったけど、当たってたんだな……なんて、そんなことをぼんやり考える。すると、それを遮るように、康太は「それより」と言った。
「次は……どうしたらいい。尻は、まだ早いんだろ。だったら、次は……」
──次は。
俺はふっと息を吐いた。お腹の底からせり上がってきた不安が、喉を塞いで苦しくなったからだ。
俺は次に康太に言おうとしていることを、頭で反芻しながら、心の中で「大丈夫」と唱えた。
──相手は康太だから……。
世界で一番信頼できて、もうずっと一緒にいて、俺が好きになった康太だ。
大丈夫。
俺はもう一度、ふっと息を吐いてから、康太に言った。
「ふ、服を脱ぐ……」
俺の言葉に、康太ははっとしたような顔をしてから……それから、真っ直ぐに俺を見据えて言った。
「いいのか……?」
「……大丈夫だから」
──だって、そうしないと、仕方がない。
俺は康太にこくりと頷いて見せた。康太はじっと俺を見つめてから、「分かった」と頷き返した。
「じゃあ……」
康太は腕を伸ばして、俺のジャージの上着に手を掛けた。ぐっと恥ずかしさがこみ上げてくるけど、自分で一枚ずつ脱いでみせるよりはまだ、いいかもしれない。俺は康太に身を委ねて、目を瞑る。
「……っ」
康太は、まるで針に糸を通すみたいに、ゆっくり、そっと……俺の上着を脱がせた。
ほんの少しだけ目を開けると、康太が片手で、今脱がせた俺の上着をベッドの上に放るのが見えて、ドキドキした。
「し、下は……後の方がいいか?」
自分の着ていたジャージもその辺に放ると、康太は俺にそう訊いてきた。俺は少し想像して考える。
さっさと下を脱いでジャージの下に来ていた体育着だけになった自分と、上半身を外に晒して、ズボンだけを穿いている自分。正直、どっちも恥ずかしすぎるけど……迷った末に、俺は康太に言った。
「し、下から……」
「……分かった」
康太が確認するように、また頷く。それから、康太は俺のズボンに手を掛けた。ゆっくりとそれを下ろしていく。
ゆっくりと──。
──『出せよ……ほら……』
「──……っ!」
それは一瞬のことだった。記憶の、うんと奥底にしまっていたはずの声が頭に響いた時──弾かれるように、俺は康太の手を叩いて拒んで、こう言ってしまった。
「や、やだ……っ、やめて……っ!」
______________
「……っ」
──叩かれた手の甲がひりひりと痛む。
だけど、それ以上に胸が痛かった。
「……っ、ご、ごめん……康太……ごめん……ごめんね……」
丸い目をぱちぱちと瞬かせて何かを堪えながら、何度も「ごめん」と繰り返す瞬に、俺はいつかのことを思い出した。
──『やっぱり……つまんない?』
──『その、俺と……そういうこと、できないの』
──『付き合った時、俺言ったよね。康太とそういうことするの、たぶん、嫌じゃないけど……まだ気持ちに整理がつかないから……それに、学生の間は、早い気がするし、待ってほしいって』
──『やっぱり、付き合ってるのにそういうことしないのって……変だよね……?だから、康太が、俺を嫌に、なったりするんじゃないかって、俺、不安で……』
ああ、そうか──と、今更になって、俺は気が付いた。
あの時、先に覗いてしまった、瞬が抱えていたことは、本当のことで。
それに、一緒に向き合うべき相手に、俺はなったのだと。
「瞬……」
だから俺は、やっぱり、瞬を抱きしめて、もう一度──言った。
「……好きだ、瞬」
しばらく言ってなかったようなその言葉を口にした瞬間、俺の中で──これから本当に、どうするべきなのかが分かった。
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