2月12日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
『瞬の感情を奪った奴のこと、教えろよ』
『ええわ』と頷いたクソ矢が言うには、だ。
『前に言うたけど、瞬ちゃんの感情を奪った奴は儂らの身内で間違いないわ。儂らと同じ──今は神って言うてええか分からんけど、まあ、こっち側の奴やな』
『……何でそんなことをした』
『……お前の思っとる通りや』
『俺が?』
『せや。お前も薄々勘づいとるやろ。自分が関わってるって。瞬ちゃんが感情を奪われたんはな、ある意味、お前のためでもあるんよ』
『何で、それが俺のためになるんだよ』
『瞬ちゃんが感情を奪われる前──お前、瞬ちゃんに【もう好きって言わないでほしい】って言われとるやろ』
『……それが?』
『そいつはな……お前に死なれたら困るから、瞬ちゃんがそんなことを思わなくなるようにしたってことや』
『瞬が【好き】って言われることを、嫌だと思う感情を抜いて?』
『正確には、それを嫌だと思う原因の【感情】やな。何とは言わんけど』
『……』
『分からんって顔やな……まあ、ないもんは分かりようがないか』
『……で、誰なんだよ。その、瞬から感情を奪った奴ってのは』
『こいつや』
ほれ、とクソ矢が見せてきたのは──腕に抱かれた犬だった。
『わん』
柴とポメラニアンのハーフみたいな、ふわふわの奴が吠える。
とぼけた顔で、舌を出して俺を見つめるこいつが?
『せやで』
『……犬ってどうやったらゲップする?』
『お前、感情を何やと思うとんねん。そんな毛玉みたいに吐くか』
『ていうか、こいつが俺を死なせないためにやったとしたら、お前だって別に困ってねえってことか?』
『困っとるわ。儂かて、お前も生かさなあかんし、でもそれだけでもあかんねん。思惑にないことされるわ、おまけにこいつは身内に殺されかかっとるわで……無茶苦茶やでほんま』
そう言ったクソ矢の眉間に寄った皺には苦労が滲んでいる……ような気がした。
『とにかく……こいつが殺されたら、お前も困るってことは分かったやろ。瞬ちゃんの感情、取り返したいんやったら、面倒見てや』
『面倒見ろって言ったって、どうすりゃいいんだよ』
『そら可愛がったらええやん。可愛がってたら、そのうち機嫌ようなって感情、返してくれるかもな』
──知らんけど。
ある意味、お決まりのそのフレーズを残して、クソ矢は俺に犬を預けて消えた。
後に残された俺と、足元で尻尾をぱたぱた振る犬の目が合う。
『わん!』
『わん、じゃねえだろ……』
俺は頭を抱えた。さて、こいつをどうするか──。
☆
「あらまあ、瀬良さんとこの。どうしたの?可愛いワンちゃんねえ」
「いや……その、ちょっと、友達の犬預かってて」
「……きゅぅ」
おばさんから隠れるように、俺の足下で震えている犬を抱える。おばさんはそれを見て「ごめんなさいね」とそっとその場を去った。
とりあえず一晩。母親から隠しつつ、俺の部屋で匿っていたこいつを外に連れ出してみたんだが。
早速、近所のおばさんに見つかってしまった。田舎は噂が広まりやすいし、母親の耳に入んなきゃいいけど……。
そんなことを考えていると、腕の中で犬が鳴いた。
「くぅーん」
「おいそんな可哀想な声出すなよ。もう誰もいねえよ」
人目を避けるように家を出てから十分くらい経つが、ちょっとだけこいつのことが分かってきた。
この犬は、人がいない時はとことこ歩くんだが、誰かとすれ違うと、足元で震えて止まってしまう。人見知りなんだな。
クソ矢曰く、一応、元々は神だっていうこいつが犬の形なのは「お前に可愛がってもらえるように見た目調整したんやで」とのことだが。俺別に犬好きってわけじゃないし……。
ため息を吐きつつ、犬を地面に下ろそうとするが、犬は俺の腕にしがみついて離れない。
「わん!」
「歩けよ!自分で」
「わん!」
「クソ……」
路上で変な体勢になっている俺に通行人の視線が刺さる。下ろそうとすればするほど、犬は短い足をばたつかせて粘る。ふさふさのしっぽもぱたぱたさせてきて鬱陶しい──。
「きゅぅ……」
「おいやめろよ……その目」
「きゅぅん……」
「くっ……やめろ」
「康太?」
俺と犬が格闘しているところに、頭上からよく知った声が降ってくる。
「瞬!助けてくれ、こいつが」
「くぅーん」
「わぁ、可愛いワンちゃん」
瞬がしゃがみこんで、犬を見つめる。犬は俺の腕からは離れたが、瞬から逃げるように背後に隠れちまった。
「人見知りなんだね……でも、どうしたの?」
「ちょっと知り合いから預かっててな……言うこと聞かなくて困ってんだ」
「でも康太には随分懐いてるね」
「わん!」
応えるように犬が鳴く。本当……何で、俺は大丈夫なんだ?クソ矢の仕業か?
なんて考えている間に、瞬が犬に話しかけている。
「お名前は?」
「くぅーん……」
「言うわけねえだろ。てか、瞬はこいつ知らねえのか?」
「え?知らないよ……会ったことないし」
「そうか……」
瞬の感情を奪ったのがこいつなら、会ったことがあるんじゃないかと思ったんだが……ないか。
かと言って、ストレートに「感情を奪われた時のこと覚えてる?」って訊いてもしょうがねえ。本人に自覚はねえだろうしな。
「わん!」
「何だよ……」
「康太。この子、これからお散歩に行くんでしょ?俺も行っていい?」
気がつくと、瞬は犬を抱えていた……って、すげえな。
「いつの間に懐いたんだよ」
「康太の話をした」
「犬と話せるのか?」
「話せないけど……アレだよ。フィーリング、みたいな」
ねー、と犬と顔を見合わせてる。まあ……いいか。
そんなわけで、俺は瞬と犬を連れて近所の公園にでも行くことにした。
高校の近くにある、バーベキューなんかもできるようなでかい公園で、俺達みたいに犬を連れて散歩に来ている人達もちらほらいた。
俺達も同じように、広いグランドのあるエリアに来てみたが……。
「わん!」
「せっかく広いとこに来たってのに、全然動かねえじゃねえか」
「やっぱり人見知りなんだね。いいよ、落ち着くまでここにいよう?」
「わん!」
結局、こいつは隅のベンチで座っている。俺と瞬の真ん中で伏せて、まったりモードだ。瞬は優しいから、耳の後ろを掻いてやったり、背中を撫でてやったりしてる。
「男の子なのかな?女の子?」
「さあ?そういえば聞いてねえな。ここに来るまで小便もしなかったし」
雄は確か、片足を上げて小便するんだよな。ていうかこいつ、一応神だし、その辺で小便してても嫌だけどな。それ以外の見分ける方法は……。
「あ、タマがついてる。じゃあ男か、こいつ」
「くぅん……」
「ちょっと!可哀想だよ」
犬を抱えて確認していたら、瞬に咎められた。何だよ……まあ。
「……悪かった。ごめん」
「わふ」
犬は尻尾をぱたぱた振っている。許してくれたってことか?
「あ、そうだ。ねえ、名前はなんていうの?それは知ってるよね?」
「あー……」
瞬に訊かれて答えに困る。知り合いから預かった犬の名前を知らないのはさすがにマズいよな。
クソ矢にも聞いてねえし……適当につけるしかないか。
「タマ次郎だ」
「へえ……タマ次郎くんかあ」
瞬が名前を呼びながら、わしゃわしゃと背中を撫でる。犬、改め、タマ次郎は気持ちよさそうにしている。昨日から続く春みたいな陽気の中、穏やかな時間が流れた。
「タマ次郎くん、寝ちゃったね」
「ああ……俺もなんか眠くなってきたな」
「康太は寝たら置いて帰るからね。俺、連れて帰れないし」
「分かったよ……」
それから何をするでもなく、ベンチでぼんやり過ごした。遠くでフリスビーを投げて遊ぶ家族連れや、走り回っている子ども達を眺めたり、瞬と何でもない話をしたりだ。時々、眠っていたタマ次郎が欠伸をすると、瞬が目を細めていた。
──なんか、悪くねえな。
「こうのんびり過ごすのも……いいもんだな」
「そうだね。本当に……」
瞬はそこで言葉を切ってから、言った。
「康太がいてよかったって思うよ」
「……おう」
風が瞬の髪を揺らした。柔らかい陽の光が頬をなぞって、それが周りの世界から瞬を切り取っているみたいだった。
「……俺も瞬がいてよかったって思う。瞬とこうしてるのが好きだ」
「うん。俺も好き」
「なんか飲み物でも買ってこよっか」と瞬がベンチから立ち上がる。俺はタマ次郎と留守番になった。
ちょっと離れた自販機に向かう瞬の背中を見送る。
「わん」
「ん?」
ふいに、タマ次郎が起きて俺に……話しかけてきたのか?何言ってんのかは分かんねえけど。
「わふ」
「何だよ……お前、本当は犬じゃねえんだろ」
「くぅん」
「何だよ……」
タマ次郎が俺に小さな頭を擦りつけてくる。尻尾は千切れるんじゃないかってくらいぶんぶん振ってる……まあ、見た目は可愛いな。でも。
──中身は瞬の感情を奪った奴だ。「俺のため」とからしいけど。
だけど、そんなこと頼んでねえ。
「なあお前……瞬の『感情』持ってるんだろ。返してくれよ」
「わん」
──って、返事があるもんだと思ったんだが。
「できないよ。あの子が自分で、返してほしいって思うまでは」
「……は?」
「ただいまー……あれ、どうかした?」
「い、いや、何でもねえ……」
瞬が戻ってきたらもう、タマ次郎が喋ることはなかった。
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