2月7日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





カチャカチャと皿の底に溜まったルーをスプーンで掬う。最後のひと掬いまで惜しむように、久しぶりの学食カレーを堪能した俺は、手を合わせて言った。


「ごちそうさまでした!」


「んっふ……いい食べっぷりでしたなぁ、瀬良氏。私も奢らせていただいた甲斐がありましたぞ」


向かいに座る丹羽が、にちゃあと笑う。相変わらず不気味なツラだ……と言いたいところだが、今日ばかりはそれを飲み込む。


なんたって、こいつに昼飯奢ってもらってるしな。


俺は備え付けの紙ナプキンで口を拭きながら言った。


「昨日の礼なんて別にいいのによ。俺大したことしてねえし」


「その割には『奢りますぞ』に二つ返事だったような……いやぁ、それが瀬良氏らしさですかな。まあ、いいですぞ。本当に感謝しております故」


「いやこっちこそ、ありがとうな。五百円の学食カレーなんて高級なもんをよ」


「瀬良氏にはもっとたくさん食べさせてあげたいですなあ……」


丹羽が俺を憐れむような目で見てくる。

まあ、丹羽からしたら五百円なんて端金か?確か、こいつん家めちゃくちゃ金持ちだって聞いたし。もっと高えもんにしときゃよかったかな。ま、いいか。今度で。


「で、瞬は何だって?」


俺がそう訊くと、丹羽は「はい」と答えた。


「ひとまず、次の木曜……明後日ですな。その日の部活の時に提出していただくことになりましたぞ。……まだ、なかなか調子は出ないようですが、なんとか頑張ってみると」


「昨日の部活ん時は?書けてそうだったか?」


「うぅむ……苦心しておられましたな。雑談にも興じず、一心不乱にノートに向かわれてましたが……ああいう時は進まないものです」


「そうか……」


背もたれに体を預ける。瞬、やっぱまだ苦戦してんだな。小中高と作文をやらされる度に、姑息な技で行を埋めてきた俺には分かんねえ世界だ。


──何とかしてやりてえけど。


「……今も、図書館で必死にやってるよ。昼休みが一番書く時間作れるからって、早弁したとか言ってたな」


「なんとそこまで……はぁ……!ですが、もう締め切りはこれ以上延ばせませぬし……くぅ」


「いや大丈夫だ。丹羽が粘ってくれてんのは俺も瞬も分かってる。あとは俺達がやらねえと」


「ほぅ……『俺達』ですとな……はぁ」


丹羽が何やら、うんうん頷いてる。何だその反応。


「まあその……違うとは言われたけど、やっぱ俺のせいってのもあるし、そうじゃなくても瞬が悩んでんなら何かしてやりてえだろ……幼馴染なんだし」


「はあ……んひぃ……ひゅう……」


丹羽の呼吸が怪しげなものになる。マジで何だよ!そんなに興奮する要素あるか?今の会話に。


鼻息を荒げる丹羽から、ただならぬ気配を感じ、俺は椅子を立って言った。


「じゃ、じゃあな。丹羽。飯ありがとうな。瞬のことは任せとけ……ちょっと様子見てくるからよ」


「ほへぇ!?ま、任せておけ、と?!ンヒッ!こ、これはこれは……はあぁ……」


……よく分からんけど、丹羽がトリップしてる隙に俺はそそくさと学食を出た。



「これは今すぐ……報告しなければ……」





図書館の隅のテーブル席で、ノートを前に真剣な表情をしている瞬を見つける。俺は周りに気遣いながら、そっと近づき声をかけた。


「瞬」


「……っ!康太」


顔を上げた瞬が、慌ててノートを隠す。俺は「見ねーよ」と首を振ってから、ふと、テーブルの端に寄せられた大量の消しカスに気付く。


──頑張ってんだな。


いちいち、まとめてるのが何とも瞬らしいが。そんだけ、書いては消しを繰り返してるってことだ。これはまだ、しばらくかかりそうだな。


「……何か用だった?」


声を潜めてそう訊く瞬の頬に、俺は手に持っていた「それ」を軽く押し当てた。


「やる」


瞬が一瞬眉を寄せてから、それを受け取る。


「ココア……?」


「差し入れ。原稿を頑張る瞬先生に」


「何それ」


瞬がくすりと笑った。……まあ、ちょっとくらいは役に立てたか?


俺は瞬の邪魔にならないよう、あとは「またな」とだけ言って、瞬から離れる。


──大丈夫だ、瞬なら。


祈りに近い、でもどこか確信のような、そんなことを思いながら、俺は図書館を後にした。



「……はぁ」


図書館を出て行く康太の背中を見送ってから、俺は机に伏せた。今貰ったばかりのココアをじっと見る。


「ふふ……汚い字」


ココアの紙パックには黒いペンで「しゅんはできる‼︎」と荒い筆致で書いてあった。康太の字だ。ちょっと角張ってて、字と字のバランスが悪くて、「!」マークは半角をぎゅうぎゅうに詰めたみたいなやつ。それに相変わらず、俺の名前は漢字で書かないし。本当に……。


──でも、不思議と力が湧くんだよな……。


知らない人にはぶっきらぼうに見えるんだろうけど、康太はこういうところは、何というか、純粋というか……まっすぐで優しい。


だから、だから……。


ぴりっと、頭の奥が少し痛む。ダメだ、さっきから全然考えがまとまらない。


書きたかったことがあったはずなのに、それが何だったのか思い出せない。それを言い表す言葉が見つからない。自分の中の底の方で、まだ言葉にならない「何か」が、ずっと這っていて、もどかしい。


──でも書かなきゃ。


「しゅんはできる」……自分でもそれを繰り返して、ひとまず、図書館は飲食厳禁だし、と紙パックをポケットに仕舞おうとした時だった。


ふと紙パックに付いた「それ」が目に入る。


それは、薄い──何かが滲んだみたいな黒い跡だった。


目を凝らして、じっと見る。よく見ると、擦れて、形は崩れてるけど、文字……なのかな。


横棒と、それを貫いて、輪を描く字と、横の棒は二本。二本を縦に貫く線が一本。その下に半円よりも短い、弧を描く線が一本。



「す、き」



声に出した時、俺はそれに気付いた。





「何で、消してしもうたん」


教室へ戻る道すがら、気がつくと並んで歩いていたクソ矢が尋ねる。俺は奴を見ずに答えた。


「だって、今の瞬は集中してただろ。生き死にがかかってるとはいえ、俺の事情で混乱させるわけにはいかねえ」


「でも一回書いたやん」


「チャンスだと思ったんだよ……あんまり今の瞬の邪魔したくねえし、話しかけらんないだろ。でもこれじゃ余計邪魔になるなって……書いてから思ってやめた。その後、上から書き直して消したから大丈夫だと思うけど。あいつ、今『好き』って言葉に鈍いみたいだし、気付かないだろ」


「じゃあ、この後どうするつもりなん?」


「それは……まあ、また何か考える」


「ふぅん……」


クソ矢が腕を組んで頷く。


「お前、こうなってから、よう瞬ちゃんのこと考えるようになったんちゃう?今までよりも、意識的に」


「まあ……そうかもな」


「生きるためにとりあえず言ったろって感じやなくなってきたし」


「……ただ生きてりゃいいってわけじゃないって、思ったからな」


ふん、とクソ矢が鼻で笑った。


「でもまあ、さっき消したつもりのアレ、ばっちり見つかってるけどな。運ええなあ、お前。よかったな、クリアしとるわ」


「はあ?!」


俺はつい、人目も憚らず大声を出してしまった。マジかよ。俺は少し恥ずかしくなって、頭を掻いた。

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