1月28日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
【☆ボーナスタイム実施中☆】
・1月22日〜1月28日23:59までの期間、立花瞬は瀬良康太を『恋人』と認識する。
・期間中に限り、『恋人』という認識は誤りだと立花瞬に悟られた場合も、瀬良康太は即死する。
☆--本日、ボーナスタイム最終日--☆
☆
「いや知らん知らん知らん知らん……」
「知っとったやろ。毎日ご丁寧に儂がメールで『条件』送ってたやん。見てへんの?」
「見てるけど見てねえよ!」
「どっちやねん」
"本日、ボーナスタイム最終日"
クソ矢が突きつけてきた、その一文は俺にとてつもない衝撃を与えた。
ボーナスタイムは一週間で、今日がその最終日だなんて、知っていたはずなのに知らなかった。
え?何、今日最終日なの?明日じゃなく?嘘だろ……?
どうすんの俺、明日「デート」にしちゃったじゃん。
明日になったら、俺達はお互いに「ただの幼馴染」になる。恋人じゃないなら、出かけるのだって「デート」にはならない。ただ遊びに行くだけだ。それじゃ意味ないだろ。
あれ?それはそれでいいのか?
「何や……随分リアルな反応やな……まるで『ガチで間違えてた』みたいな」
「リアルとか、ガチってなんだ。ここが俺のリアルで、俺はいつもガチで生きてる」
「せやな」
クソ矢が掛けていたフルリムの黒縁眼鏡を、揃えた指先で軽く持ち上げた。クソどうでもいいが、リモートワーク中にPCで作業をするにあたってよく掛けていた「ブルーライトカット」できるものらしい。だから、神のくせに現代に染まりすぎだろ。
「神や言うたら、何やカビ臭いかもしれんけど。儂らやって現代に命ある者やしな。染まらんとやってけへん」
「大体リモートワークって何すんだよ。まさかウェブ会議でもすんのか?」
「まあ、それもなくはないけど。大半は事務仕事や……大変なんやで、神様一人維持すんのも」
クソ矢がふっと息を吐く。その様はどこかサラリーマンみたいな哀愁を感じた……まあ、勝手に苦労してろ。知らんけど。
「冷たいやっちゃなあ。まあ、お前に同情されるほど、儂も堕ちてへんし。……それよりお前、今日はどうするん?一応今日が最終日なんやし、何や死にかけるなり、ひと波乱起こせや」
「起こすか、そんなの」
人ん家のベッドの上で堂々と胡座をかくクソ矢に背を向け、俺は机の上のノートと教科書に向き合う。
今日は昼過ぎから、瞬が家に来ることになっていた。昨日は結局、ロクに勉強は進まなかったし、課題もやってないから、その続きだ。
『明日は……デートだからね。何も気にしなくていいように課題やっちゃおう?』
昨日の帰りに瞬に言われたことを思い出す。
「楽しい」用事の前に必要なことは全部済ますなんて、いかにも瞬らしい発想だ。
「お前も見習えや。自分から誘ったくせに」
「うるせえな、俺は今を生きてるんだよ」
とはいえ、『明日が最終日なわけだし、瞬は楽しみにしてるんだから、俺も気合い入れるか』なんて思って、こうしてノートやら教科書やらを広げていたんだが。
「何で一日勘違いしてたんだ俺……クソ」
「恋人ごっこ」が今日で終わりなら、それも意味がない気がしてくる。
認識が解けた瞬がどうなるのかは、まだ想像がつかないが、最悪、遊びに行くって話も流れる可能性さえあるし。
──俺のことだって、どう思うのか分かんねえしな。
「はあ〜……なんか一気にやる気なくなったな」
「元からないやん」
まあ、とクソ矢が続けた。
「ほんの一週間で、お前らの十数年が全部パアにもならんやろ」
振り向いた時にはクソ矢はもう消えていた。
代わりに、チャイムが鳴った。瞬だ。
☆
「じゃーん、見て?」
課題の間の休憩。瞬が突然、ポケットから一枚の紙を取り出して見せる。
「映画のスケジュール?」
「うん……午前中、ちょっとあっちの方に買い物に行くことがあって。ついでに貰ってきた」
「へー……」
スケジュール表はすげえ細かくて、じっと目を凝らさなければならなかった。瞬もそれは同じで、俺達は二人して、紙に顔を近づけてそれを見た。
「やっぱこれか?一番回数も多いし」
俺は昨年の十一月くらいから上映している、有名なアニメ映画を指した。大音響上映だとか、色んなタイプで上映してるらしく、これが一番、縛りなく好きな時間に見られるだろう。
俺の提案に瞬も頷く。
「あ、それちょっと気になってたんだよね。良いって聞くし……今日も何か、特典?の配布があるからって、結構混んでたみたい」
「混んでるのか……」
その情報にややテンションが下がる。
まあ、遊園地と違って、チケットさえ買えば、混んでても見られるわけだし、席だって一番後ろにすりゃ気にならないか。
「瞬がいいなら、これにしようぜ」
「いいの?じゃあ決まりね。時間は……」
「おう」
そうやって、瞬と明日の予定を決めていく。
朝、どっちかの家で合流してから行くか──やっぱりデートっぽく、駅とかで待ち合わせしようかとか。
朝イチの回を見て、ちょっとゲーセンとかぶらぶらして、お昼はあそこに行って──とか。
「あ、そうだ。駅の近くに、なんか広くて綺麗な漫画喫茶ができてた。……俺、そういうとこ、行ったことなくて」
「じゃあ行くか?俺も行ったことねえし」
「うん」
──明日、「恋人」じゃなくなる瞬と、「恋人」だったらするデートの計画を立てている。
瞬はそんなこと知らなくて──明日も、ひょっとしたら、この先もずっとかもしれない、「恋人」の俺との未来を見ているのだ。そんな未来は、今日を最後に途切れるのに。
認識が消えたら、今の瞬はどうなるんだ?
瞬の中で「恋人の俺」がいなくなるのと同じで、俺の中でも「恋人の瞬」はいなくなるだろう。
──元々、ない可能性だったんだ。
だから、何事もなかったみたいに、この一週間が始まる前に戻れるのかもしれない。
だけど、起きた事は取り返せないし、言った言葉は取り消せないのだ。
それが俺達の間にどう積み上がっていく出来事なのか、俺は少し──恐れているかもしれない。
──いっそ、この関係が……。
その時、肩に温かい重みを感じた。
「へへ……」
見れば、瞬が俺の肩に頭を寄せて、もたれかかっている。
「何だよ……」
「なんとなく……重い?」
「重いな」
そう言って、頭の乗った肩をわざと一瞬下げる。でも、瞬は離れなかった。俺はそれを受け入れた。胡座を崩して足を伸ばす。
しばらくそうしていたが、ふいに、瞬が姿勢を正して俺に向き直った。
「あの……」
「ん?」
瞬は少し迷ってから、口を開いた。
「俺、もう一つ、したい、と思うことがあって」
俯く瞬の喉仏が微かに上下する。緊張で、俺と瞬の間の空気がぴり、と引き締まる。
「何?」
渇いた声でそう訊くと、瞬は言った。
「き、キス……」
小さな「う」の口のまま、瞬が上目遣いに俺を見る。耐えられなくて、俺は瞬から視線を逸らした。
「そ、そういうの、できないんじゃねえの?」
「できないけど、できなかったけど……でも」
震える声で瞬が言った。
「今なんか、したいって……思った」
「不良になったからかな」と誤魔化すように瞬が笑う。
「康太は……」
瞬が俺を窺う。俺は意を決して、瞬の顔を見て、それで、やっと気づいた。
──できない。
期待と不安と勇気と色々で揺れる瞬の瞳は、俺じゃなくて「恋人」を見ていた。
瞬がしたいのは、俺じゃないんだ。
いつか、そんな相手ができた時の誰かなんだ。
俺は単なる神の気まぐれで、そんな瞬のいつかを。俺が知るはずもなかったいつかを、覗いてしまっただけなんだ。
だから今の瞬に、俺が応えてはダメだった。
起きた事は取り返せないから。
たとえ、死ぬかもしれなくても、応えられない。
「瞬。目、閉じて」
それが俺の答えだと思って、瞬が目を閉じる。
──ごめんな。
震える唇を裏切って、俺はそこに指を軽く押し当てた。
それから、別れの挨拶を「恋人」の瞬に言った。
「好きだ」
目を開けた瞬が、俺を見てはにかむ。
こうすることが正しかったのか、どうか。
それは明日が来ないと分からない。
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