1月15日
「ええ知らせと悪い知らせがあるんやけど……どっちから聞きたい?」
それはよくある話の導入だった。
ただし、それは、あくまでも他人の人生か、フィクションの中では、という話だ。
まさか、自分の人生で、この選択を迫られる時が来るとは思わなかった。
「じゃあ、良い方から」
来るとは思わなかったけど、世の中の大体の奴は、この質問に対する自分なりの答えを持っていると思う。皆はどっち派だ?俺は……今答えた通りだ。
正直、こういう情報にどっちからもクソもないし、早く全ての情報を並べて、必要なことを考えるのに時間を割いた方がいいと思う。
だから、とりあえず最初に提示された方を選んだだけなんだが。
「御託を言うんは儂の仕事なんやけどな……まあええ。ほな、ええ知らせからするな」
「おう」
「昨日、お前が言うてた……『ストック』やけど。あれな、今日ちょろっと出社した時に神様に言うてみたらな、おもろいこと考えるわあって、えらい感心してたで。今度お前に直接会うてみてもええかなって。よかったな?滅多にないことやで」
「……で、悪い話は?」
「それはそれとして、そんなん認められるわけないやん。だからお前……何か余裕こいてんけど、今日の分ちゃんとこなさんと死ぬで」
「もっと早く言えよ!!!!」
俺はクソ矢の肩をエア揺さぶりした。
触れられてないので、当然、痛くも痒くもないだろうクソ矢はヘラヘラ笑って心にもない「すまんなあ」を口にする。
ふざけんな。今日は一日、こいつの姿を見かけなかったし、特に急かされもしなかったから「あ、やっぱストックってアリなんだ」とか思ってたわ。
「てか、一日複数回言っても無駄とか、そんな大事なこと、条件にちゃんと但し書きしとけよ」
「いや、厳密にはもう書いてあるで。ほれ」
クソ矢は例の「条件」を俺の目の前に表示して見せる。
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
「これの『1』を見てみ。ちゃんと『毎日』って入ってるし、『一回以上言うこと』って書いてあるやん。だから、何遍言うてもしゃあないんやで。これが『一回言うこと』やったらなあ、ワンチャン『ストック』とやらも成立してくると思うんやけど……ダメやわ」
「クソ……ッ!!」
思わず、テーブルを拳で叩く。台所で夕飯の支度をしていた母親に「うるさい」と怒られた。
代わりに、心の中で舌打ちして、壁の時計を睨む。
現在時刻は十八時ちょっと過ぎ──瞬が二十一時に就寝することを考えると、タイムリミットまで、実質三時間しかない。
病み上がりだから、まだ遠出はしないだろうし、たぶん家にはいるだろうが……。
──この時間だと瞬は……買い出しに行ってるかどうかってとこか。
この辺で買い出しといえば、駅前のスーパーくらいしかない。道も限られてるし、探しに行けば瞬が見つかる可能性は高い。行くか……?
「そういえばお前……メールとか使わへんな」
思考を巡らせている俺に、クソ矢が訊いてくる。
「『条件』に伝え方は問わんって書いてあるんは知っとるやろ。何でや?」
「メールは記録に残るだろ。削除できるならアリだが、消したら無効だし。なら、できるだけ避けたい。それに、瞬ってスマホいじんねえから下手したら既読つかなくて詰む」
「ほーん……なるほどなあ……」
クソ矢が得心顔で頷く。頷かれたところで、別にこいつが協力してくれるわけでもないので、余計にムカつく。
わざとらしくため息を吐いて、俺は立ち上がる。
「探しに行くん?」
「ああ、お前が早く言わなかったせいでな」
「自業自得やと思うで。全部が」
「うるせえ」
どうせついてくるんだろうが、俺はクソ矢を置いて居間を出る。
すれ違いざまに、クソ矢が何事か呟いていた。
「記録は消えへんけど、記憶はいずれ薄れるもんなあ……」
☆
「瞬」
「あれ、康太……?」
陽が落ちて、すっかり暗くなった通りをスーパーに向かって歩く途中。
大荷物を提げて歩く瞬の姿は、思っていたよりも早く見つかった。
「よう、買い出しの帰りか」
「うん、今週の分。康太は?」
「ちょっとコンビニ」
「そうなんだ」
偶然を装って話しかけてみたものの、先が続かない。とにかく今日はもう、ここしかないんだから、何とか言わねえと……。
「……それ貸せよ。俺ももう帰るとこだったから」
「え、だってコンビニはあっちじゃ……」
「いいから」
有無を言わさず、瞬の提げていたぱんぱんのエコバッグを引ったくる。とりあえず瞬と一緒に帰ろう。帰りながら何とか考えよう。
戸惑う瞬に「行くぞ」と声をかけて、並んで家路につく。
「自転車使わなかったのか?」
「うん、ちょっと運動した方がいいかなって……」
「病み上がりなんだから無理すんなよ」
「大丈夫だよ」
瞬が力こぶを作って見せる。瞬は決して貧弱ってわけじゃないが、何というか、あまり強くなさそうだ。
「本当かよ」と額を軽く小突くと、瞬は「うわあ」と目をぎゅっと閉じた。変なやつだな。
「康太は?俺の風邪、うつったりしてない?」
額をさすりながら、瞬が訊いてきた。
「別に。どこも悪くねえし……俺、もう何年も風邪引いてないって言ったろ」
「馬鹿は風邪引かんって言うしなあ」
安い煽りは無視する。
「確かにそうだけど……あれ?じゃあもしかして……康太が風邪引いたのって、あの小学生の時が最後?」
「さすがにそれはねえと思うけど……まあ、あんまり風邪引いたって記憶ないな」
「そっか……」
瞬が空を見上げた。薄い雲の裏から月の光がぼんやり透けている。目を凝らすと、塵みたいな星が二つ、三つ、やっと見えた。
ふいに、瞬が口を開く。
「……折り鶴のやつ、覚えてたの?」
俺は少し考えてから答えた。
「まだ持ってる」
「え、ほ、本当?!」
「手紙とかってなんとなく捨てづらいだろ。別に絶対とっとこうって意識してたわけじゃねえけど……気づいたら、まだあった」
「えー……何か意外」
瞬が驚いたような顔で俺を見ている。
心外だな。俺にだって、昔のものを残しておくかっていう情緒くらい、ちょっとはある。
折り鶴──というか、正確には折り鶴だった紙ぺらだが。
あれは小学生の頃、瞬に貰ったものだった。確か、俺が風邪を引いた時に瞬が見舞いで持ってきたやつだと思う。
何回も折り直したのか、ぼろぼろで、その割には角が全然合ってない、不恰好な折り鶴だった。
昔の俺には、それを「瞬が一生懸命折ってくれた証拠だ」と受け取れる感性はまだ養われてなかったので、「綺麗に折り直してやろう」とそのぼろ鶴を開いてしまったのを覚えている。
すると、それは案外正解だったのかもしれない。
鶴だった折り紙の裏には瞬の字でメッセージが書いてあったのだ。それが──。
「『すき』」
「……う、その話はもういいよ……」
瞬が苦い顔で俺から視線を外す。
この話になると、瞬は大抵こんな反応になる。まあ、瞬にとっての黒歴史ってやつなんだろうな。
俺にとっては、アレの意味は未だによく分かんねえし、まあ、小学生の時の話なので、特にどうともない思い出なんだが。
瞬の反応がちょっと面白いので、部屋の掃除か何かで見つけたりする度に、こうしてたまに弄っている。
すると、俺が少し笑っているのに気づいたのか、瞬は口を尖らせて言った。
「忘れていいことは覚えてるんだから……」
そのうちに、気がついたらマンションの前まで来ていた。
ん?
「康太、もう大丈夫だよ。ありがとう」
「ああ、はい」
言われるまま、瞬に荷物を返す。
「じゃあね、康太。また明日」
「おう……じゃあな」
階段を上がって、廊下で瞬と別れる。手を振る。
ん?
「いや、待て待て待て待て瞬……!」
「え?」
思わず瞬の肩を掴む。驚いて固まっている瞬をそのまま壁際に押しつけて、俺は言った。
「好きだ」
「……」
瞬が目をぱちくりさせている。
ややあってから、瞬は呆れたように息を吐いて、それからふっと笑って言った。
「何度も揶揄わないでよ」
瞬は俺の胸を軽く小突いてから「また明日ね」と言って、階段を駆け上がっていった。
俺はその背中が死角に消えていくまで、じっと見ていた。
──まあ、何とかクリアはできたか。
「言い溜めはできへんって言うたやん」
代わりにクソ矢が現れる。
「言い溜めって……どういうことだよ」
「一回言うてたのに、何でまたあんなことしたん?瞬ちゃんが可哀想やん」
「一回……?」
「折り鶴の話してた時に」
「はあ……?!」
アレ、カウントされるのかよ。ていうか。
「もっと早く言えよ!!!!」
再びクソ矢の肩をエア揺さぶりする。クソ矢は悪気なく「だってほっといたらおもろそうやし」と言った。
「おもろそうで済むか、クソ金髪」
「ふん……まあ、お前は瞬ちゃんに感謝しい。あんな健気な子、粗末にしたら罰当たるわ……いや」
ひらりと身を翻したクソ矢は、消える前にこう言い残していった。
「罰当たりな奴やからこんな目に合ってるんか」
クソ矢の消えた跡を、俺はじっと見つめていた。
──何だよ、今の。
よく分からない後味の悪さが、胸に残って気持ち悪かった。
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