第1話

【ルル村/草原】


──どこまでも美しく広がる青空。

──揺れる草木。

──流れを止めないオルクス川。


 まさに『平和』という言葉がふさわしい自然の風景のなかに、タストはぽつんと草原の上で横たわっていた。

 二か月ほど前。結果通知書を受けとった“あの日”からタストはずっとこの草原にいる。


 そこに一台の馬車がタストのいる草原を通りがかった。馬車に乗ったぽっちゃり顔の女性が少年を見かけると、馬車の窓から顔を出した。


「おーい! タストや。ひさしぶりー! おぼえてるー!? マニラおばちゃんだよー!」


 すると馬車に相席あいせきしていた若い主婦があわてた様子で彼女の呼びかけを制止する。


「やめなって! あの子は……」


 二人のヒソヒソ話はタストの事情にれたものだったが、タストは気にもとめていない。


──この一か月。タストに近づく者はいない。


 タストを慰めようと母親が最初の一か月は何度か訪れていたが、返事をしないタストを見限みかぎったのか、それともあきらめてしまったのか、母親はタストのいる草原に姿を見せなくなった。

 タストに同情してか幼馴染の友達もタストに近寄らなくなり、タストはぼんやりと空を見つめるだけの日々をただひたすら消費し続けていった。


 すると突然、タストの顔を黒い影がおおう──


「ね! あたしと一緒に旅しない?」


 タストの顔を見知らぬ少女が覗きこんで話しかけてきた。タストはまるでお化けでも見たかのようにひっくり返る。


「あはははっ。驚いた? あたしってそんなに怖い顔なのかな?」


 タストは少女を上から下まで見下ろした。


──腰まで伸びる白銀はくぎん色の長い髪。

──東の国の人が着るとされる巫女服。


 タストよりも背丈の小さな少女を査定した結果……


「なんだ。ただのガキか」


 少女はタストの態度にムッとすると、タストの耳穴めがけて大きく叫んだ。


「あたしはガキじゃない! これでも十四歳のおとなー!」


 少女のゼロ距離で放たれた大声はまるで槍のように鋭くタストの脳内を突き刺し、反対の耳まで貫通かんつうした。


「それはシンプルにやっちゃいけないやつだろ!」


「『ガキ』って呼び方も年頃の女の子に言っちゃいけないやつだよ!」


(あ~面倒なヤツと出会っちまったな……)


 タストは心の中でつぶやくと大きなため息を吐き、面倒くさそうな顔で話しかけた。


「それじゃ、きみの名前は?」


「あたしはユーリカ! 世界を巡って旅をしてるんだ♪ えっへん!」


「そっか~。楽しい思い出がいっぱい作れるといいね」


『ユーリカ』と名乗る少女の自己紹介にタストは棒読み返事で返すと、ユーリカから背を向ける形で寝返りをうつ。


 それを見たユーリカは黙ってタストのそばにじりじりと近づいた。

 ユーリカはタストの耳にそっと口をよせると、先ほどよりも大きな声をタストの耳穴に向けて放った。


「ねえ?! た、び、な、か、ま、に、な、ら、な、いー?!」


「ぐおおおおおおおお!」


 脳を破壊しかねないほどの大声に、タストは絶叫したのち、体をピクピクと痙攣けいれんさせて口から泡を吹きだし、気絶した。




──空が橙色だいだいいろに染まり日が暮れる。

 一日が終盤を迎えた頃、タストは目を覚ますと鼻先に漂うこうばしい匂いにお腹の音が先に反応した。

 匂いのもとにタストが視線を移すと、そこには鉄製のバーベキューセットの前に立ったユーリカが鼻歌を歌いながら一人楽しげに肉を焼いている姿があった。


(いったい、あのバーベキューセットは何処どこからもってきたんだ……?)


 タストがバーベキューセットと肉の調達ルートを考えるなか、ユーリカはトング片手に肉をつかみ、口で「ふーふー」と熱を冷まして口の中に入れた。


「わっふ!」


……どうやらまだ冷ましきれてなかったようだ。


 ユーリカは再度、念入りに「ふーふー」と冷ましている。

 タストは上半身を起こして耳を軽く叩き、鼓膜の無事を確認する。

──タストが目を覚ましたことに気がついたユーリカは、しゅんとした顔でぺこりと頭を下げた。


「……さっきはごめんね」


「いや……おれのほうこそ悪かった」


 しんみりとした空気が二人を包む。

 一時の逡巡しゅんじゅんすえ、ユーリカは優しげな笑みを浮かべて口火を切った。


「──じつはね、きみが空を毎日眺めてるのをずーーーーーーーーーーーっと観察してたんだけどさ……」


「いや、それを黙って観察し続けたおまえがシンプルにこわいわっ!」


 タストが言い放つと、ユーリカは「ふふっ」と笑う。


「なにがおかしいんだよ?」


「いや~投げたら全力で返してくれるから楽しいなぁ〜って♪」


「おまえは楽しくてもおれは全然楽しさを満喫してないが?!」


「ほんとにー? うそだぁ。今週のなかでは一番ノリノリに見えたよ?」


「いや、いつから見てたんだよ!」


「ふふふ」


 途端、ユーリカの顔から笑みがフッと消え、タストの顔を覗き込んだ彼女は首を傾げた。


「ねえ、きみはなんでここに一人でずっといるの?」


 すると、タストはさっきまでのテンションが嘘のようになくなり、黙り込んだ。

 しかし、静かにタストの返答を待ち続けるユーリカにタストは諦め、口をゆっくりと開く。


「──二年」


「……え?」


「おれの残りの命。成人になったら能力試験を受けるだろ? 空の大地へ行ける為のテスト。おれは落ちて寿命はあと二年とわかった。あっさりと」


 ユーリカはタストの話を静かに聞いた。


「おれはすぐに死ぬ能なしの役立たずだから、こうやって“呼ばれる”のを待ってるのさ」


 タストは近くにあった小石をつまむと、目の前に流れる川へと投げ入れた。小石はポチャッと川の水を跳ねさせたのち、ゆっくりと沈んでいく。

 小石が川底に落ちると、一瞬にしていつもの川の流れを取り戻していく。──抵抗むなしく川底へ沈む小石にタストは自分をかさねた。


「……だからおれに構うな」


 自分の暗いうえ話をすれば流石さすがにユーリカも立ち去るだろうと思ったタストはユーリカのほうに顔を向ける。

 だが──


「むすっと!」


 ユーリカはほほを膨らませてムスっとした顔をわざわざ言葉で表し、『わたしは怒っています』アピールを強く主張した。

 タストは彼女が怒っている事よりも怒りの表し方があまりに斬新すぎて言葉を失う。


「神さまなんて会ったことのない人に自分の人生を決められていいの? それに従うなんて大馬鹿者おおばかものだよ!」


 突然キレたユーリカに戸惑うタスト。

 どこに怒るポイントがあったのか、タストに思い浮かぶ点はなかったが、とにかく彼女の怒りをしずめようと頭の中で彼女の攻略法を必死に思案しあんする。


「それにね!」


「ところでなんだけどさ! ……きみは“しあわせの花”というヤツを知ってるかな?」


──タストは思い切って話題を変えてみた。

 タストの考えでは今までの彼女の言動からさっするに、自由奔放ほんぽうな性格の彼女と対話するには変化球へんかきゅうを入れた会話のほうが最もてきした会話方法なのではとタストは考えた。


「ほうほう!」


──そして、タストの思惑通りに彼女はまんまと引っかかった。


「この村のはずれにある森にとても大きな木があるんだ。その上にひっそりと咲いてる花をんできた者には幸せなことが起きると言う伝説がある」


「“しあわせなこと”ってどんな?」


 ぎくっ。


「そ、そりゃあ……しあわせのカタチは人それぞれだ。語るもんではない」


「それはそっか、あたし探してみる!」


 ユーリカは腰に下げた神楽鈴を手に取ると目を閉じた。

……すると、タストが生まれて一度も見たことがない魔法陣が彼女の足元にあらわれ、輝きを放った──その姿は神々しく、まるで神の使いのように見えた。


「じゃあ、“しあわせ”とってくる!」


「おうおう、行ってこい! その花を無事に取ったらもう戻ってこなくていいからなー!」


 ユーリカはにんまりと笑みを浮かべて魔法陣の中に飛び込むと、魔法陣ごとタストの前から消え去った──……。


「ふぅー」


 無事にユーリカを見送ったタストは、どさっと草むらの上に倒れた。

 気が付くと、あたりはすっかり暗くなっていた。タストは眼前がんぜんに広がる夜空を見やり、ポツリとつぶやく。


「“しあわせの花”なんて、そんな花は無いけどな……」

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