第7話 美少女が語るエゴイスト

やっと好機が訪れたのはその日の夕食のとき。その日は部員全員で肉やら野菜を焼いて食べたり、酒を飲んだりしていたのだが宴の末には龍平はひとりぼっちで、ただ時間が過ぎるのを待っていた。頬に冷えた缶ビールを押し当ててくれたのが姫奈だった。


「論評の準備は進んでいるのかしら。」


 姫奈は龍平の隣に腰かけて缶ビールの蓋を開けた。


「その顔色では上手くお仕事が進んでいないようね。お話を聴かせてちょうだい。あなたは羅生門のどこに注目して論じようとしているのかしら。」


 羅生門という物語の主人公はひとりの下人である。時代は飢饉や辻風などの天変地異が続き、都は衰微していた。


ある日の暮れ、羅生門に下人は現れた。数日前に職を失った下人は生き続ける為にいっそのこと盗賊にでもなろうかと思い詰める。ただ、その勇気が乏しい。


羅生門の二階に人の気配を感じた下人は様子を見に行ったが、そこには、檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆の姿があった。老婆は若い女の死体から髪の毛を抜き取っている最中だ。それに怒りを燃やした下人が老婆に襲いかかってなにを企んでいるのかと問い質すと、抜き取った髪の毛でかつらを作って売ろうとしていたと言う。


老婆は言いわけを続ける。死体から髪の毛を抜き取ってかつらを作って売ることは悪いことかもしれない。しかし、そうしなければ自身が生きていくことが難しい。髪の毛を抜き取られた死体の女も生前は蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた。生きる為には仕方のない悪だったのだろう。そんな女だから、老婆が生き続ける為に髪の毛を抜き取られることも許すだろう。そう開き直る老婆に下人は老婆を組み伏せて着物を剥ぎ取った。そうしないと自身も餓死をする体なのだと言って。


先程まで欠けていた勇気が生まれたのだ。そして下人は闇の中に消え去った。下人の行方は誰も知らない。

 


龍平は主人公の下人の行動と心理を分析して論じたいのだと言う。


「そうね。羅生門という物語を批評するのであればそこに目を付けるのは当たり前のことね。もちろん、わたしもそのことについて論ずるつもりよ。ふたりの話が同じではおもしろくないわ。あなたがどんな批評をする目論見なのか聴かせてちょうだい。」


 龍平は甚だ困っていた。意見がないわけではないのだが、それは口に出せるほど熟していない。面皰をいじりながらため息をついている様子を見れば姫奈にも事情は勘付かれる。


「いいわ。わたしが先に話しましょう。話を聴きながらあなたの意見を纏めておきなさい。」


 缶ビールを一気に飲み干して語り始めた。歌を歌うときとはまったく違う色だが、とても張りのある大きな声で。


「下人はもっぱらエゴイストなの。下人だけではないわ。人間はすべてエゴイストであるべきなの。あなたは自分がエゴイストであることを自覚している?」


 龍平はなにも答えられないし、姫奈の顔を見ることも難しい。


「大丈夫。わたしの知る限りではあなたは間違いなくエゴイストよ。そして、もちろんわたしもね。」


 おそらく龍平はエゴイストというものについて思いを巡らせたことがなかったのではないか。まるで初めて聴いた言を噛締めるような表情で姫奈の話の続きを聴いた。


「エゴイストとは自分の利益を最優先し、他人の利益を軽視するものを指すわ。ここでいう利益とは金銭的な利益や、物質的な利益のことを指すわけではないの。多くの人間はここをはき違えているわ。利益とは欲求を満たすこと。つまりは快楽を得ることを指すの。


いいかしら。下人が欲しかったものは老婆の着物ではないの。生きていきたいという安全の欲求の先にある快楽なの。勘違いしないでね。我々はそんなに馬鹿なものではない。快楽の為には多少の犠牲も必要だと知っているの。エゴイストを批判するものの多くはエゴイストというものを勘違いしている。


エゴイストは誠に自分の欲求、目的をいうものをしっかり自覚しているわ。ときには自分の意見や行動を控えたりもする。苦痛に堪えながら誰かに奉仕することもある。自分の意見を通すことが快楽なのではないのだから。


他人との関係を一切受け容れない人のことをエゴイストというのではないの。エゴイストはあくまで自分の利益を最優先するだけなの。そのことと他人に感謝をする気持ちがないとか、他人を無意味に傷付けることとは関係しないわ。つまり下人は老婆の行く末を案じなかったわけではない。ましてや死んでも構わないなどとはまったく考えていなかったはずよ。」


 それでも下人は老婆を羅生門に置き去りにした。そして着物がなければ老婆はいずれ凍えるか、売るものに困って餓死をすることを心得ていたはずだ。


「そうでしょうね。でも、自身の快楽を追求する過程で人を傷付けてしまってもそれは決して悪ではないの。なぜなら悪意がないのだから。悪意無きものの攻撃からは自分の身体をもって守ってちょうだい。」


 それはあまりに極端な主張ではないだろうか。それなら支配の欲求の為に人を殺めるのも不可避なことだというのか。


「あなたの質問は随分粗いものだと思うわ。そもそも支配の欲求なんてものは存在しないのよ。でも、今はその話はやめておきましょう。あくまで、芥川の描いた下人というものの性質だけに論点を絞って話をしましょう。さて、あなたは下人の性質というものをどのように捉えてどのように論じてくれるのかしら。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る