第二話 女と爺が出て来た

雨音、枝をへし折りながら走る音、草いきれの匂い。


それらと共に目が覚めた。


なんだ、死んでなかったのか、俺は。


「・・・起きてしまったか」


あ?なんだ、どっから聞こえたんだ、この声。あれ?イヤホン何処やった?


「泣かないでね、もうしばらくだから」


切羽詰まった、しかしどこか優し気な女の声が聞こえる。俺の頭の上から。どうやら女は、俺の頭を懐に押し付けるようにして抱きかかえているようで、視界に映るのはやけに固い黒い布だけだ。中に鉄板でも仕込んでいるのだろうか。


「あそこなら大丈夫・・・きっと」


自分に言い聞かせるように、女は呟いた。


匂いと音で、取り合えず今自分が置かれている環境は多少理解できる。寝ぼけ頭も少しはマシに回りだした。しかし、俺を抱えて走るって、巨人かこの女は。俺は、誘拐でもされているのだろうか。状況が混乱しすぎていて、逆に冷静さを保っていられているのは幸運か。とにかくもっと多くの情報を手に入れるため、視界の確保を試みる。


「くそっ、元気がいいな。頼むから暴れないでくれよ・・・」


(うるせぇよ、誰のせいで出したくもねぇ元気を出したと思ってやがる!)


あの謎の体調不良のせいだろうか。やけに体が動かし辛いが、俺はなんとか体を反らし、可動域いっぱいに首をめぐらせ辺りを見渡す。


ほとんど視界がない、時刻は夜か。顔を打つ水滴の冷たさを感じながら、なんとか目印になるような建造物は無いかと必死に暗闇を見つめる。


(死ぬのは受け入れたんじゃなかったのか、俺は)


存外、必死に無事帰路に就く方法を模索している自分の一貫性の無さに心中複雑になりながら、雨降る夜の森に、自分の両目を慣らしていく。その結果。


女の進行方向の20mほど先からは、景色が途切れていることが分かった。


恐らく崖であろう。


「あぅ!?・・・ぁあ!?」


現在の自分の状況に驚いてでかい声が出たが、自分の声に驚いてまたもやでかい声が出てしまった。おい、高すぎやしねぇか?キーが。そして、飛び降りるにしては、この崖は。


「ぁぁあああああ!!!」


「大丈夫だよ、心配はいらない」


くそったれが!イかれてんのかこの女!?飛びやがった!!ああ、これ完璧死んだ。まあいいか。死に直すとするか。一度は受け入れたのだ、そう、一人で死ぬのが二人になっただけ。旅は道連れっていうしな、これでいいんだ。全く状況は読めないままだが。


「:@。、・>>&$」


ふと、女のつぶやきが風切り音の中から聞こえた。


「:@;;。、+」


音なのは認識できた。しかし、言語なのだろうか?聞いたことが無い。獣のうめき声とも違う、不思議な旋律。確かな法則性は感じた。しかしこれは・・・


「スゥーー―・・・ああ!!」


深く息を吸い込んだかと思えば、女が急に大声を上げた。先ほどまでの音とは違う、今度はただ気合を入れただけだろうか。しかし、今更元気出して何になるというのだろう。もう死ぬのに。でけぇのは図体だけで脳みそはスカスカなのだろうか、このでくの坊が。


心の中で一通り悪態をついた後、俺の視界は一瞬だけ光に包まれた。


お次は下からの突風。女の手が俺の頭を自分の胸に押し付ける。壊れ物を扱うような、どこまでも注意深い手つきだった。


「あぅ??」


「さ、もうすぐだ」


気付けば、女は頑丈そうな、恐らく皮でできている黒いブーツでもって、しっかりと砂利だらけの地面を踏みしめていた。


下からの突風で自由落下の勢いが死んだのだろう。この状況ではこのように推察することしかできない。問題は突風が勝手に発生したか、それとも。


「ふぅ、魔力がもう尽きかけだ。そろそろ限界か」


魔力、か


「しかし、あの男の言う通りだな、なんとか辿り着いたか」


雨は、上がっていた。


そして自分の状況については、信じ難いが、信じるしかないのだろう。




再び首をなんとか後ろへ回した男、いや少年、否、赤子の目に飛び込んできたのは、月明かりに照らされた小さな城。壁は焦げ茶色で、屋根は赤茶色。尖塔が二つ、本館の両脇に立っている。




(俺は、生まれ変わってしまった、のか)


しかも、異世界に。これ以上、どう生きろというのだ。もういっぱいいっぱいだったというのに。


神よ、もしいるなら貴方は、私の地元のお巡りよりも厳格だ。犯罪と言えば、強いて言っても煙草の条例違反ぐらいでしょうに。しかも人のいないところで吸っているし、灰皿も持ち歩いています。




「これが失われしキョウカイの・・・」




「貴様、どこからやって来たのだ」


俺を抱える腕に力が入ったのを感じた。周囲の気温が何℃か下がった錯覚に陥った。


不意に聞こえたその声は、老人のそれだろうか。それにしては、あまりに静かなエネルギーに満ち満ちている。城の壁の色までわかる月明かりの中で、俺はその人を、なぜだか黒い影としか認識できない。というか、いつの間に出現したのだこの人は。なんだ?突風の次は瞬間移動か?


「アラドヴァルの紹介で、参りました」


「どこから来たか、と聞いたのだが」


女は、ぐっ、っと小さく喉を鳴らした。あまり答えたくない質問だったのだろうか、腕に入る力が増して、少し俺を締め付ける。


彼の声から、焦りや恐怖は微塵も感じられない。そして優しさは毛程も感じ取れない。ただ深海のように落ち着いた態度で、直球の質問を女に投げかける。


女は言いづらそうに質問に答えた。


「王都、から、任務の関係であの村に立ち寄り・・・そしてこの子をあの男から預かりました。」


人影は数秒の後、また女に尋ねる。


「監視の魔道具は?」


なんだ、それは?この女は追われているのか?そして俺は誰から預けられたんだ?アラドなんとかか?疑問は尽きないが、ここは聞き耳を立てるのが精一杯だ。クソ、なんだこの緊張感は、冷や汗が止まらない。


「任務中に半数が損壊、残りは魔素の濃い地域で外してから参りました」


女の返答を聞きどこか落胆めいた雰囲気を漂わせた人影は、城の方へ踵を返しながら言った。


「そんなものか、王都の技術は」


少しだけため息交じりに、人影は言葉を続ける。


「まぁ良い、入るがいい」


「良いの、ですか?」


人影は質問には答えずに、ただ堂々と城に向かって歩き出した。同時に、緊張感も少しだけ和らいだ。


数拍遅れて女も歩き出す。


一先ず、あの城には入れてくれるようだ。




(ちょっと、ちびっちゃったな)




お城におむつは、あるのだろうか。

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