漂着物/漂着者

六脚かるこ

漂着物/漂着者

 子供の頃、私はよく一人で、街から離れた浜辺で遊んでいたんだ。砂を固めてお城とかを造ったり、気に入った貝殻を集めたりしてね。

 その日もそんな感じで夕方になるまで遊んでいた。溶けたバターみたいな夕日が砂浜を照らしていて、砂も私の身体も真っ黄色になる。この時間帯になると、近くの灯台に住んでいるお兄さんが浜辺を見回りに来るから私は持ってきた玩具やスコップを片づけ始めた。

 何の気なしに顔を上げると、私は向こうの砂浜に茶色いモノがあることに気づいた。最初それが何なのか分からなかったが、少し前に出て見ることで分かった。

 鳥籠だ。海水で錆びたのか、焦茶色の大きな――あの頃の私だと抱えないといけないくらいの――鳥籠。それが漂流瓶ボトルメールみたいに砂浜に打ち上げられていた。

 理由は分からないが、ここの浜辺には色々な物が流れ着く。何かの肉が詰まった木箱、喋る石の頭、頭が抉れた西洋人形ビスクドール、錆びた黒い球体、星空が入った硝子瓶、知らない文字で書かれた紙の入った瓶――

 そういったものを見つけて、灯台のお兄さんに報告すると、お兄さんがそれらを回収して、私にはお菓子を渡してくれる。だから一時期宝探しみたいに一日中探していたこともあった。

 いつだったか、お兄さんに「他所の浜辺はこんなものが頻繁に流れてくることはない。」と言われた。それまでずっとこれが普通だと思っていたが、ここの浜辺は他所よりもおかしいらしい。

 今向こうに見えるその鳥籠もそんな変なものの一つなんだろうと思って見ていると、あることに気がついた。

 その鳥籠のあるあたりを見ていると妙にチカチカと視界が瞬く。最初、それが何なのかわからなかったが、凝視することで理解できた。鳥籠の中で青白く光る何かが動いていたのだ。

 あの光は何だろう…。

 そう思うや否や私はその鳥籠に向かって歩いていた。ゆっくりとそれでいて確かに一歩一歩を砂浜に踏みしめながら。



 鳥籠に間近まで迫ったことでその光の正体が何なのかが分かった。

 虫だ。大きな――三〇センチくらいの――虫の形をした青白い光、あるいは硝子のようなもので出来た光源を持つ虫、虫の形をした洋燈ランプのようだと言うべきか。そんな何かが鳥籠の中に閉じ込められていた。

 今まで見たことも聞いたこともないような「虫」に思わず食いつくように見ていると、こちらに気づいたのか、「虫」は私の方へ頭部カオを向けた。そしてそれは硝子や砂を擦り合わせた時のような音を鳴らし始めた。変な話、何故かその時私はその音を聞いて、「虫」が何を伝えたいのかが解った。

 「虫」は懇願していた。「だしてくれ」「ここからだしてくれ」と。

 聞こえるのはただザリザリと擦り合わせるような音だけだというのに、その音ひとつひとつに持つ意味が頭の中で、私に理解ができるように変換されていくという奇妙な感覚が起きていた。

 「たのむザリザリ」 「“あれ”がくるまえにザリザリ ザリザリザリ」 「だしてザリザリ

 「虫」が出す音と頭の中で変換される懇願が続く。最初、私はその「虫」をただ珍しいものとして見ていたが、――頭の中で起きる奇妙な感覚が原因なのかあるいはその感覚が相まったからかは分からないが――段々とそれが放つ青白い輝きが「ひどくこわいもの」に思えてき始めた。その輝きがそのまま私の頭の中に染み渡ってくるんじゃないかという想像が頭を満たした。

 私は思わず数歩後退った。「虫」はそれに気づいて、行かないでくれと言うニュアンスの音を鳴らしながら私の方に向かって全身カラダを鳥籠にぶつけ始めた。多分それが私の中にあった「こわい」と言う感覚を刺激したのだろう。もう数歩後退って直ぐ、私はその場から、その砂浜から逃げ出すように、走り去った。その時、「虫」は最後に一回音を鳴らしたが、その音の意味を私はもう覚えていない。



 その日の深夜、私はこっそり家から抜け出し、小さな洋燈ランプを片手に再びあの砂浜に向かっていた。あの時の恐怖心が和らいだのか、私はあの「虫」に対して「あれだけ懇願されたのに思わず逃げ出してしまった」と言う罪悪感が起きていた。

 それに好奇心もあった。私は家に帰ってから、「虫」が鳴らして言っていたことを思い返していた。


『“あれ”がくるまえに』


 “あれ”とは一体何なのだろうか。

 好奇心と罪悪感を両立させながら、あの砂浜に着いた。月に照らされた砂浜。遠くの方では灯台から灯りが出ている。

 私はあの鳥籠のあった場所を探し始めた。確かこの辺だった筈というふうに。

 あの青白い光はまだ光っていたのですぐに場所が分かった。砂浜に着いた場所からだいぶ離れていた。私はその方向へと走っていった。月光と私の持つ洋燈ランプ、そして今向かっている先にいる「虫」の光に照らされた暗い砂浜。私はそんな場所を駆けていく。

 だいぶ進んだぐらいで、波の音と私が砂を踏みしめる音以外に別の音が聞こえ始めたのに気づいた。

 割れた硝子片が撒かれた地面か霜を踏んだ時のような音。あの「虫」が発していた音とは違う。

 何の音だ?

 「虫」が放っている光に導かれながら、鳥籠のあった場所に近づくと、そこにはもう一人誰かがいた。

 その姿を確認した時、私は思わず声をあげそうになった。

 あれはなんと説明したらいいだろうか。毛も鱗もないザラザラとした青い濡れた皮膚、黄色くギョロっとした双眼、そして鳥に似た大きな嘴、そんな特徴を併せ持ったヒトガタの何かがその嘴を鳥籠の隙間に突っ込んでいた。私はその嘴を伝うように鳥籠の中に視線を移す。鳥籠の中にいたあの「虫」はそのヒトガタの嘴によって啄まれていた。そして身体が嘴で千切られる度に、先ほどの硝子片を踏み抜いた時のような音が鳴り、辺りには小さな青白い光が飛沫のように飛び散った。「虫」の頭部はもう無くなっており、胴体も半分以上が失われていた。

 私が何もできずにその様子を見続けていると、そのヒトガタは私の方に黄色い瞳だけ向けた、だが私がその場で立ち尽くしているのを一瞥するとまた鳥籠に突っ込んだ嘴を動かし始めた。

 「何をしているんだい?」

 不意に後ろから声が掛けられる。その言葉は目の前のヒトガタにではなく私に向けて言ったのだと感覚的に分かった。

 私が恐る恐る振り向くと。そこには黒髪を短く纏めた大柄な男の人が立っていた。灯台に住むお兄さんだ。

「ここで何をしているんだい?」

 突然現れたお兄さんに私が何も答えられずにいると、お兄さんは再度私に聞いてきた。

 何から話せばいいだろうか、私は迷いながら、とにかく思いついた順に話し始めた。夕方あの鳥籠と虫の形をした光を見つけたこと、急に「虫」が怖くなって逃げ出したこと、結局気になって今こうしてやって来たことを。

ある程度話を聞き終えると、お兄さんは理解したという風に頷き、私の手を取った。

 「家まで送ろう、親御さんには内緒にしておいてあげるから、もう家に帰りなさい。」

 「え、でもあれは…」

 私はあのヒトガタの捕食現場を見遣った。あれらはどうするのだろうか、そもそもあれらが何なのかお兄さんは知っているのか。そんな視線を向けると。お兄さんは――私の視線の意図に気づいたかは分からないが、――ただ黙って首を振った。

 お兄さんは私の家がどこにあるか知っているので、私の手を掴みながら、その方向に向かって歩き始めた。私も引っ張られた勢いで転ばないように、歩き始める。

 最後にもう一度、あのヒトガタと「虫」のいる方を見た。

 「虫」の身体はさっきよりも無くなっており、ヒトガタは変わらず啄み続け、飛沫のような光はさらに飛び散っていた。



 家にこっそり戻され寝床についた数時間後の早朝。私はまたあの砂浜にやって来た。あのヒトガタや「虫」、鳥籠はどうなったのだろうか気になったからだ。もう何も残っていないだろうというのは何となく分かっていた。鳥籠はお兄さんが回収しただろうし、あの嘴を持つヒトガタも「虫」を食べ終えてどっか行ったかもしれない。それでも私は何か痕跡が残っていないかという淡い希望を持って砂浜に来ていた。

 案の定、砂浜にはどこを見ても鳥籠やヒトガタらしきものはなかったが、もう何度も来たからか、鳥籠があった場所は何となく覚えていた。

 その場所に着いてすぐ、私は何かないかとそこら中を散策し続けているとあるものを見つけた。

 前よりも少なくなっていたが、飛沫のように飛び散っていたあの青白い光の欠片が残っていた。



 結局あれらが何だったのかはこの歳になっても分からない。

 灯台のお兄さんもあれから数年経ったぐらいに、灯台守の仕事を辞めて何処かへ行ってしまったし、こうやってこの噺をいろんな人に語ってはいるのだけれど、あの「虫」と嘴を持ったヒトガタについて知っている人に未だ出会えていない。どれだけ調べてもあれららしきものに関する事柄は見当たらなかった。

 それはそうと、最後に話した光の欠片たち、そのあと集めて家にあった硝子瓶に入れて保管しているんだ。

 見てみるかい?今も変わらずに輝いていているよ。

 それでいて長く見続けているとそれが怖く思えてくるんだ。



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