7 激変した花姫教育

 アリーシャ・クロックベルは突然本格化された妃教育に毎晩へとへとに疲れ果てていた。

 日課のようにしていた繕い物をする余裕もなく、深く眠りにつく日々である。


「さぁ、アリーシャ様。次は食事の作法についてです。お茶に関してはほぼ問題ないと思います」


 アリーシャとは対称的に日々活気に満ちたフローエ夫人は本日の授業の内容をあらかた説明する。

 礼儀作法、政治学、経済学、法学、地理学、農業学……今まで分担されていた教育を全て担っているというのに彼女はそれすらも楽しいと言わんばかりであった。

 今まで教科書10ページくらいでふりだしに戻されていた日々を送っていたとは信じられない。

 嫌みさえ気にしなければ前日までの方が楽だったかもしれない。


 今まで指摘されもしなかった姿勢矯正に首も、肩も、腰も痛くて仕方ない。

 その上で滝のように知識を詰め込まされる。今まで遅れていた分を取り戻そうといわんばかりであった。

 回帰前に独学で本を読んでいなければ、もっと頭がパニックになっていたことだろう。


 おかげで何とかフローエ夫人の授業のテンポについていけるし、回帰前に理解不能のまま放置されていた知識が形になって頭に改めてインプットされるのは楽しい。


 暇だからとローズマリーに勧められた本を読んでいてよかった。


「……いや、よくない」


 束の間の休憩時間にアリーシャは自分の現状に気づかされた。

 妃教育が進んでしまっているが、それはアリーシャにとってはどうでもよくない。

 逆にこの多忙さにより再度ジベールへの花姫辞退の申し出る気力が起きなくなっていた。

 花姫を辞めたいのに、それを忘れてしまうなど不覚である。


「まさかあの爺(じじい)……これが目的では」


「爺(じじい)?」


 教材の整理をしていたフローエ夫人の眼鏡がきらりと光る。思わず山村育ちの頃の言葉が出てしまった。


「いえ、……そういえばジベール様は今どうされているのでしょうか。この前、花姫管理に専念したいと言っていたようですが」

「もちろん着々と行っておりますよ。1時間前にアリーシャ様の勤勉な様子をご覧になり、満足に頷かれ去ってしまわれました。今は別の花姫の元へ訪れていることでしょう」


 待って。様子を見に来たのなら、何で私に挨拶をしないの。私は花姫でしょう?


 こっちはジベールに再度花姫辞退の申し出をしたいと機会を狙っているのに、貴重な面会の機会を何故河に捨てるような行為をされるのだ。

 ジベールの行動に理解できなかった。


「そんなことよりも2週間後に控えている王主催の星祭の社交パーティーに向けて準備をしなければ。ドロシーさん」


「はい、既にドレスデザイナーよりカタログを事前に頂いております。明日、寸法合わせにいらっしゃいますしその時にリクエストをばしばし行うつもりです。その後に宝石商との面会の手続きをとっています。今まで使用されなかった花姫費用をふんだんに使用し最高のコーディネートをしてみせます」


 エリーと前任教師たちがいなくなった後判明したが、アリーシャのドレスや宝石は中古品がほとんどであった。中には娼婦の間でも評判の悪かった値段落ちしたものもあり、一見豪勢な衣装にみえてもかなりコストが抑えられていたことが判明した。

 残りの費用は教師たちらで着服していたようである。


 意外なことであるが、エリーは横領をしていなかったらしい。

 教師たちに横流しした疑惑はあるが証拠が出てこなくて再教育の為にベルタ宮のクレアの元へと送ったと聞かされた。

 おそらく他の花姫がエリーのバックにいたため大事にできなかったようだ。

 エリーをアリーシャの花姫侍女から外し、信頼できるベルタ宮の女性たちに預けたという流れだった。


 さすがにジベールも花姫とその実家には手を出せなかったようだ。


 その代わり各花姫の様子を頻繁に見廻りして怪しい点がなかったか目を光らせているようだ。

 これで他の花姫はアリーシャに対して陥れるような行為は控えるようになった。


 まぁ、今更である。


 今更そんなことをしてもアリーシャの悪評が変わるわけでもないし、王太子の態度が変わるわけではない。

 元々アリーシャ自身も気に入らないことがあればすぐに行動に移してしまっていたのだから、自分の悪評は半分自業自得である。

 ジベールがはじめから花姫監督を頑張っていたとしてもアリーシャは何かしらやらかしていたと思う。


 真夜中、寝る前にドロシーが髪や肌の手入れをしてくれた。手つきがよく意外に気持ちがよい。


「パーティーの前に火傷の痕が綺麗に消えてよかったです」


 ドロシーはアリーシャの頬と首筋について安心したと言わんばかりに微笑んだ。


「あの軟膏が良かったのよ」

「ええ、数日遅れていたらこうは綺麗にならなかったでしょう。さすが王宮。いくつかストックがあってよかったです」


 普通は欲しくてもすぐに手に入るかわからないとドロシーは説明していた。

 王宮のものであったらアリーシャの手に渡ることはなかっただろう。これはシオンがアリーシャに渡してくれたものだ。


「いつかお礼をしに行かなきゃね」


 手入れが終わった後、アリーシャは寝台の方へ向かう。

 花姫になってから一度も変えられることがなく変色してしまったシーツは、今は綺麗なシーツに取り換えられていた。ドロシーが毎日変えてくれるようになったからだ。

 その寝台の上に見かけない影をみて警戒した。


「何かある」


 やはりドロシーも信用してはいけなかったと後悔した。しかしすぐに警戒姿勢は崩されてしまった。


 寝台の上にあるのはどんと構えた子供サイズの大きなテディベアのぬいぐるみであった。


「なにこれ」


 アリーシャは思わず間抜けな声をあげる。ドロシーは満面の笑みでぬいぐるみを紹介した。


「はい、行商人のカタログをみていると目についてこれだと衝動買いしてしまいました。勿論花姫費用ではないのでご安心ください」


「何で買ったの?」


 ドロシーの明るい説明に理解が及ばない。


「だってアリーシャ様、お人形が好きなのでしょう」


 何故そう思ったのだろうか。


「クローゼットの中の人形」


 ドロシーの言葉にアリーシャは項垂れた。

 そういえば、回帰前からストレス発散で繕いものをしていた。材料は使用しなくなったドレスの生地や、ぼろぼろになり捨てる予定の枕の中身。

 適当に動物の形をした人形も量産していたと思う。これが呪詛の道具だと言われ処刑へ追い込む証拠となってしまったのだが。


「素晴らしい出来栄えでした。もしかしたらアリーシャ様はぬいぐるみが好きなのでは……もしかすると寂しいからこっそり添い寝しているのかなと思うと思わず微笑ましく感じて、きっとこのテディベアと添い寝したら可愛いと思いました。抱き心地も満点なので絶対良い夢をみられます。そしてそれを眺める私は良い夢がみられます」


 最後は自分の願望だと言わんばかりのドロシーの発言に頭を抱えた。


「そんな子供みたいなことを花姫がすると思う?」

「王太后様は今も寝る前は侍女に物語の読み聞かせをしてもらっていますよ。ぽんぽんとされるのも好きで、私もやっていました」


 花姫時代からそうだったらしい。時には侍女にぽんぽんとされるのが好きなようである。

 そんな子供っぽい王太后の一面など知りたくなかった。

 なのに何故ドロシーはアリーシャにあっさり言ってしまうのだろうか。

 王太后の秘密をここで暴露されて王太后が気の毒である。


「さぁ、アリーシャ様。アンジェリカちゃんと一緒に寝ましょう」

「もうベアの名前が決まっているのね」

「はい、王太后様がつけてくださいました」


 知りたくもない事実をさらに暴露されてしまう。


「王太后もご存じなの」


「はい、お人形を一目みたいと仰られておりました。丁度いいベアの人形を見つけたら是非プレゼントするように、名前はアンジェリカでと注文があり」

「待って、このぬいぐるみは」


「費用は王太后様が持ってくださっています」


 つまり王太后からのプレゼントなのだ。それを無下に扱うこともできず、アリーシャはドロシーの言う通りにテディベアと添い寝することになった。


「こんな予定はなかった」


 テディベアと添い寝しながらアリーシャは呟き眠りにつく。その日はドロシーの思惑通り穏やかな夢をみれたのが悔しかった。

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