1 何故か回帰してしまった
目を覚ますと見覚えのある天井が視界に入った。
あの世の建物とは随分俗世に近いものである。
ぼんやりと考えながら体を起こすとさらりと銀の髪が目にちらついた。処刑される前に刃が引っかからないように短く切られていたはずなのに、腰あたりまで綺麗に髪が伸ばされている。
「あら、今日はお早いのね。アリーシャ様」
抑揚のない声で挨拶をしてくる侍女にアリーシャは首を傾げた。ノックもなしに入ってくるこの無礼はあの世でも健在なようである。
「あなたも、死んだの?」
「は? 何言っているのですか?」
心底馬鹿にしたようなまなざしを送られる。どうやら彼女は生きているようである。
アリーシャは起き上がり朝の身支度をしながら彼女から情報を引き出した。
彼女の言葉によるとどうやら自分が処刑される6カ月前の日だと判明した。
何故自分が回帰したのかわからない。しかし、自分が死ぬ前の時間に回帰してしまったことを受け入れざるを得なかった。
化粧台の引き出しをすーっと開けてみる。引き出しに入っているブローチは4カ月前に紛失したものであった。誰が盗んだのだと侍女たちを責め立てて、あっという間に噂は広まってしまった。元から悪かった評判がさらに悪くなってしまった。
このブローチは祖母がアリーシャの誕生祝いに作ってくれた品であった。赤ん坊の時に亡くなったので記憶になかったが唯一自分を愛してくれた存在を認識できるものだった。
母から虐待を受けていた時もこのブローチのおかげで辛くなかった。
今度は決してなくさないようにしたい。
アリーシャは胸元に着けたブローチをそっと撫でた。
ガチャンと乱暴な音がテーブルの方からしてアリーシャは眉をひそめた。先ほどの侍女が朝の食事を持ってきてくれた音である。
「さぁ、どうぞ。泥姫様にはもったいないくらいの食事ですよ」
その食事は固いパンに、熟れすぎた果実、泥の混じったスープであった。
相変わらず陰湿だ。
この侍女の名前はエリーという。ことあるごとにアリーシャへ嫌がらせをしていた女であった。
料理といい、衣装合わせの時といい、アリーシャをいつも苛立たせるのが上手である。
おかげでことあるごとに衝突し、彼女の頬をひっぱたき乱暴な花姫と周りから敵視されるようになった。
花姫に対してこれはないのではと侍女に注意したが、まるでアリーシャが悪者のように扱われた。
腹を立てて料理を侍女に投げつけたことがあった。時には「お前が食べろ」と口に突っ込んで嘔吐を起こさせたこともあった。
我ながらやりすぎたなと思う。
今はパンと果実はまだ食べられるレベルなだけましだと思えるようになった。回帰前の牢獄に捉えられた日々を思い出すと嫌なくらい意味を持たされるのにうんざりとした。
ただし、衣装合わせの時もわざと針を残して何度か痛い目にあったことがありこれは我慢ならなかった。未だに痛いのは嫌である。
彼女が他の花姫からの回しものだと知ったのは、死刑判決を下された夜であった。彼女が別の花姫の侍女になったと聞かされたのを覚えている。
「あれ、食べないんですか?」
「食欲がないみたいなの。ああ、そうだ。ジベール様を呼んでもらえる?」
エドガー・ジベールは王宮執事で、花姫の世話人の統括もしている。伯爵の地位にあり、王からの信任が厚い男である。
「大事な話があるの。いくらでも待つから今日中に来てもらいたいと伝えて」
「ジベール様はお忙しい方よ。そんなこともわからないの」
馬鹿にしたような口調、はじめからアリーシャの指示に従う気はないといった態度である。
「わかったわ。私が直接会いに行くわ」
アリーシャは立ち上がり、部屋を出ていった。
「ちょ、待ちなさいっ! 誰か、アリーシャ様がまた我儘を起こしたのよっ。止めて」
アリーシャの歩きが早すぎて、追いつけないエリーは慌てて叫び周りの応援を求めた。
行く先々で侍女たちがアリーシャを止めようとする。
「触らないで。泥臭さが移ってもいいの?」
そう耳元で囁いてやると侍女たちは思わず後ずさった。いつもと違う雰囲気と声に蹴落とされ何かされるのではと怯えていた。また新しい噂が流されるのだろうかとアリーシャは他人事のように考えた。
後ろで「何をしているのよ」とエリーは声を荒げていた。それに腹を立てたのか「あんたの主なんだから自分で何とかしたら?」と嘲笑が聞こえさらに騒がしい声となっていた。
おかげさまでアリーシャはエリーに追いつかれることなく目的地へとたどり着けた。
ジベールの執務室に行き、部屋の主はきょとんとアリーシャを見つめた。
「これはアリーシャ様、突然来られて如何いたしましたかな」
机の上の書類に埋もれていたジベールは慌てて立ち上がりアリーシャに礼をとる。アリーシャにしてみればジベールに対しても思うところがあるが、他の侍女に比べればましな方である。礼儀はとってくれる分、話は通じるであろうと期待できた。
「大事な話があります」
「そうですか。せめて侍女を介して時間を確認してほしいですな」
「侍女は嫌がっていたので」
ジベールはため息をついて何の用かと尋ねた。
「花姫をやめるにはどうすればいいかしら」
「は?」
「後で私の部屋に来ていただけないかしら」
アリーシャはそういい捨て、執務室を出た。
息をきらしながらエリーは扉の前まで走ってきていた。
扉は閉まっていたので話の内容は聞こえていただろうか。聞こえたら他の花姫に報告するだろうか。
どちらでもいい。ジベールと話ができればいい。
彼女が色々嫌みを言っていた気がするが、アリーシャは無視し続けた。彼女をいちいち気にして怒るのも今になっては時間と精神力の無駄だと思った。
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