第10話 君ならできる
陛下の物腰は常識的で落ち着き払っており、この策に過度な期待をかけている様子もなかった。
――期待どころか、だ。本題に入った途端、陛下の纏う空気は冴え冴えとしたものに変わっていたので、彼のそんな在り方は、冷めた視点を維持している人のそれであるともいえた。
ルースは難しい顔で考え込んでしまう。これは、でも……
「今……世間では、強大な癒しの力を持つ聖女が出現したことが話題になっていますね? とある庶民のお嬢さんが脚光を浴びている」
「マギー・ヘイズのことか」
そう――シンデレラ・ガールとして一躍時の人となったマギー・ヘイズ。
彼女は十七歳になるまで自身が能力者であることに気づいておらず、とある事故現場に居合わせて、怪我人を奇跡の力で治してみせた。
十七歳で聖女認定――これは貴族ではありえないことである。
なぜかというと貴族は、十二歳になったら必ず魔力測定を受ける決まりになっているからだ。その時点で各人の能力は公的機関でしっかり検分され、広く周知される。
ちなみにこの年齢で測定を受ける理由は、魔法の才能が開花するのが十二、三歳前後であるためだ。これは第二次成長期が関係しているのかもしれない。
才能の開花前にすでに魔力測定は可能な状態になっているので、十二歳時点で先に判定を受けておき、その後の学習計画を立てるという流れになっている。
その魔力測定時に『才なし』と判定された者が、後天的に爆発期を迎える可能性はほぼゼロである。
これは歴史がそう証明している。そういった意味では、サプライズの起こりえない領域であるといえる。
ところがこのルールは庶民には当てはまらない。
そもそも庶民が魔力を有していること自体が滅多にないので、彼らには魔力測定を受ける機会すら与えられていないからだ。
だからこそマギー・ヘイズのようなケースが起こりえる。
「ええ、その――マギー嬢なら、陛下の問題も解決できるのではないですか? 彼女は近々名家の養女に迎えられる予定であるとか。陛下の婚約者候補としても名前が挙がっていると聞きましたが」
氷帝が結ばれるべき本来の相手はそちらだ。
陛下はマギーとすでに会っているのか? それともまだなのか? ルースとしてはそこが気になる。
「マギー・ヘイズに私的な問題を相談するつもりはない」
「え? ですが」
「私が頼るのはソフィアだけだ」
なぜ……! ルースは叫び出したかった。前世でゲームをプレイ済なので自分は正解を知っている。陛下の問題を解決できるのは、マギー・ヘイズだけである。
お嬢様には無理――だってゲームのソフィア・ブラックトンは十代前半から英才教育を受け、長い年月を魔法研究に費やし、身を焦がすほど氷帝に執着して、とうとう闇の魔法にまで手を出したのに、それでも彼の問題を解決してあげることはできなかったのだから。
それは凡人には決して手の届かない領域なのである。
無理だ。お嬢様には絶対に無理。
「それ――私には無理です、陛下」
不意に、これまで黙っていたソフィアが口を開いた。真っ直ぐに陛下を見つめて、そう告げる。いつになくきっぱりした口調だった。
「私にできることなら協力したい。だけどこれはやっぱりだめ――恋人のフリをする理由が『魔法』にあるのなら、私には何もできません。マギーさんが解決できそうなら、陛下は彼女に頼むべきです。そのほうがいいわ」
「――ソフィア」
それは静かな声音であるのに、彼がソフィアを呼ぶ声はとても優しかった。聞きようによっては、甘やかにも感じられるほどに。
彼もまた真っ直ぐにソフィアを見つめ返して告げる。
「初めて会った日に、互いの手が触れた時のことを覚えているか?」
手が……ソフィアの脳裏にあの日の出来事がよみがえる。
あの時、彼の着けていたブローチがなんだか気になって、うっかり触れようとした――それを彼に止められ。近くで見つめ合った。
こちらに向けられた、あなたの瞳の色があまりに綺麗で。
まるで時間が止まったみたいに感じられた。
「……ええ」
ソフィアは頬を赤らめた。どうしてだかあのことを思い出すと、心臓の音がうるさくなる。
「それなら分かるだろう? 私の言いたいことが」
「それでもたぶん私には無理だわ」
「君ならできる」
「分からない」
「せめてトライしてみてほしい――私を助けてくれないか?」
成り行きを見守っていたルースは、鈍器で頭をガン! と殴られたような衝撃を味わっていた。
懇願――あの誇り高き氷帝が、お嬢様に乞うている! ありえない――一体何がどうなったら、こんな事態になるのか。
氷帝に求められたソフィアは少し泣きそうになっているようにも見えた。
これまでは年齢のわりに幼い言動が多く、陽気な子供のままでいた彼女が、心揺らし、大人の女性に変わろうとしている。
「私、今……ものすごく困っているわ……」
とうとうソフィアが泣きごとを漏らした。
それは同性のルースでもドキリとさせられるような、艶めいた呟きだった。
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