第42話 斜陽の国


 このところの心労により、げっそりと痩せ細ったアレックは、力なく背を丸め、惨めな気分で、西隣にある大国アストリュックに向かっていた。


 移動しているあいだも、自国の惨状が頭から離れない。


 ――ブレデルは今、荒れに荒れている。ヘナベリー川に近いあたりから作物が枯れ始めたと思ったら、その範囲は瞬く間に広がって行った。転落が始まると、あとは坂道を転げ落ちるがごとくだった。人々は次第に怒りっぽくなり、投げやりになり、今ではあちこちにゴミが溢れ返って、略奪が横行している。


 病害の広がりは作物だけに留まらない。ヘナベリー川の水は飲用には使用されてはいないのだが、川沿いに住む者は、昔から川で野菜を洗ったり、洗濯をしたり、体を洗ったりしていた。そうした者の中から疫病が発生し、人から人へと感染を広げて行った。


 状況がまずくなり始めた当初、宝石商に聞かれてしまった、例の内輪揉め――一番高い宝石を欲したロザリーを、グレース王太后殿下が激しく糾弾した、あの一件。あれが致命的だったと、のちにアレックは思い知ることとなる。


 怒りに駆られた民衆は、『王族は自分たちだけ贅沢をしている!』と矛先をこちらに向けて来た。


『下劣で無能な悪女、ロザリー! あのクソ女のせいで、今、国が荒れに荒れている! あの女を選んだアレック王子は、どうしようもない大馬鹿者だ!』


 人々の監視の目が厳しくなったので、国王陛下以下、王宮では贅沢品が厳禁となった。手持ちのものを売り払い、その金を下々の者に還元し、こちらは質素に暮らしているさまを見せねばならなかった。そうしていてもいつ誰に襲われるかもしれないという恐怖に怯えながら。


 先日、外出したクロエ王妃の乗っていた馬車が暴漢に襲われ、王妃は辱めを受けただけでなく、右目を失う重症を負った。それからクロエ王妃は正気を失い、今はベッドにて寝たきりの生活を送っている。


 彼女の夫である国王陛下は、もともと寡黙な性分ではあったけれど、このところますます口数が減り、とうとう置物のように、もの言わぬ人となってしまった。日がな一日身動きをせず、じっと一点を見つめているような状況である。


 アレックの一番の側近であったはずのマックスは、このところ王宮に寄りつきもしなくなっていた。とはいえ上手く逃げおおせたわけではない。彼は彼で、アレックやロザリーに媚びていた過去のことを責められ、まずい立場に置かれている。苦労知らずに生きてきたマックスはこの状況に耐えられず、酒に逃げる日々を送っているようだ。公爵家の三女との縁談も、先方からとっくの昔に破棄されている。


 元凶のロザリーはといえば、彼女はまったく憎らしいほどに逞しい女で、王宮で一番元気に威張り散らしているのだった。トレードマークの前髪を少し短く切りそろえ、似合わぬ髪飾りを側頭部にゴテゴテとたくさんつけて、独自のセンスを周囲に見せつけている。この期に及んで得意満面の様子である。


 ――ただ、もしかすると彼女は彼女で、自身の危うい状況にはちゃんと気づいていて、内心では焦り倒しているのかもしれなかった。実際は惨めで仕方がないのに、どうしてもそれを認めたくなくて、『私は人気者よ! だって可愛いんだもの! そして優秀なの! 私は勝ち組! 私はすごい!』というのを必死でアピールすることでしか、心の安定を得られなくなっているのかも。


 だからこそロザリーは、苦言を呈してくる人や、自分よりも優れている女性が目の前に現れると、怒り狂った毒蛇のように暴れ出す。


 そして不幸にも、それが許されるような状況が整ってしまっていた。――いまやグレース王太后殿下の命はいつまでもつか分からぬ状況で、聖泉礼拝のことが分かっているのはロザリーだけ。


 彼女はそのことを盾に、『私に少しでも八つ当たりしたら、聖泉礼拝を本当にやめてやるから! 国がもっとひどいことになるわよ!』と厚顔無恥にもアレックを脅してくる。


『八つ当たりもなにも、こうなったのは全て、間抜けなロザリーのせいではないか!』と、アレックはアレックで、パトリシアを排除してしまったという自分のミスを、決して認めようとはしない。


 近頃アレックはロザリーを見ると、鳥肌が立つほど気持ちが悪くなり、冷えた殺意が日に日に膨らんでいくのを実感していた。かつてはあったはずの彼女に対する愛情は、綺麗さっぱりどこかに消えてしまい、もう戻ることはないだろう。


 ――目障りだ、殺したい――毎日、毎日、彼女の跳ね返った前髪を眺める度にそう考える。本当に息の根を止めてやってもいいのだが、ロザリーのために指一本動かしたくないとアレックは思っていて、それゆえ彼女は死なずに済んでいるのだった。


 パトリシアに会いたい……今のアレックを支えているのは、ただその想いのみである。彼はかつての婚約者に会いたい一心で、単身、安馬車に揺られてアストリュック国を目指していた。そうしてついに彼女のもとに辿り着いた。


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