第6話 私のために喧嘩しないで


 ケイレブ聖泉は王宮の敷地北東にある。


 時間が差し迫っていたため、パトリシアはロザリーほかに気を遣うことなく、一人先を急ぐことにした。彼らは儀式を見学するつもりでいるようなので、パトリシアに案内されずとも、勝手にケイレブ聖泉に向かうだろう。むしろ来ないなら、そのほうがいい。


 ところがこのパトリシアの振舞いは、『ツンケンしていて自意識過剰』『同行者を気遣えないクズ』というふうに彼らの目には映ったらしい。あとを追って来る彼らの、持って回ったような嫌味を、パトリシアはずっと聞かされることになる。


『大丈夫かい、ロザリー。か弱い女性には、早足の移動はキツイだろう。案内人が無粋だから、君に無理がいってしまっているね』


 いちいち気にするのも大人げないのかもしれないが、パトリシアはアレック殿下の台詞に胸がザワついてしまった。早足で移動しているのは確かだが、これは別に意地悪をしているわけではない。それにパトリシアは、毎日この距離を行き来しているのだ。雨の日も、風の日も。


 それに先日、『儀式を終えてから、すぐに妃教育が始まってしまうので、ケイレブ聖泉から走って移動しなければならず……』ということを殿下に伝えたら、彼はパトリシアに対して『我儘だ』と断じたではないか。彼は『急ぎ移動するのは当然』という考えだったはずだ。


 しかしそれをするのがロザリーとなると、『女性の足にこの移動はキツイ』という考えに変わるのだろうか? パトリシアだってロザリーと同じ女性なのに。


 ロザリーが健気な感じで力なく答える。


『ごめんなさい、アレック殿下……私、頑張って歩いているのですけれど、足手まといですよね。パトリシアお姉様が私に腹を立てて、先に行かれるのも当然です』


『君は悪くない。あんなふうにあてつけがましく先に行くほうがどうかしている』


『でも、パトリシアお姉様は、私のことを愚図だとお思いのはずですわ。……なんだか、自分のだめさ加減に気分が落ち込んでしまいます。私、私……情けないわ……』


『ほら、泣かなくていいから』


 ロザリーは泣いているのか……パトリシアはちょっとした驚きを覚え、一瞬、振り返って確認したい衝動に駆られた。しかしそんなことをすれば、藪をつついて蛇を出すというやつで、なんだかんだと絡まれるのは分かっていたから、心を無に保つべく、深呼吸を繰り返しながら黙々と前進を続けることにした。


 パトリシアのほうだって見かけほど余裕なわけでもなかった。彼らに引き留められたせいで時間が削られ、ほとんど小走りで移動しないと間に合わない状況にあったため、無理がきて、靴ずれが起きている。かかとが擦れてジクジクと痛み始めていた。


 先日移動中に転んだせいで足首が少しまだ腫れており、ワンサイズ大きな靴を選んだのが悪く出た。足に合っていないから、地を蹴る際に、靴が変にずれて擦れる。


 しかしパトリシアはそれを顔に出すこともなく、一人淡々と足を進めるのだった。


『あっ……!』


 ロザリーの短い悲鳴。……転んだのだろうか? パトリシアは進みながらそう考える。


『どうしたロザリー、歩けないのか?』


 アレック殿下の気遣う声。ロザリーが転んだのなら、きっともっと大騒ぎね。では彼女が不意に立ち止まった、ということだろうか。


『靴が擦れて……でも大丈夫です! 私、我慢できますから! パトリシアお姉様にこれ以上、憎まれたくありません! 大丈夫です! 歩けます!』


 生まれてこのかた、パトリシアはロザリーを憎んだことはない。憎んだことがないのだから、当然、ロザリーにそう告げたこともないのであるが……。


『無理をするな。君って子は我慢強すぎて心配になる。――なぁ、ほら、抱えていってやろうか?』


 アレック殿下はなかなかに大胆な提案をするものだと、パトリシアは考えていた。


 彼は武道のほうはからきしで、肉体派というわけではなかったから、細身な彼がロザリーをお姫様抱っこして、長距離を移動するのは相当な苦行ではないだろうか。殿下がそれに耐えうる筋力を持ち合わせているようには見えない。


 騎士のマックスがその役を引き受けるなら、まだ現実味がありそうだ。


『殿下、それならば私が――』


 マックスもそう思ったのか、控え目に申し出る声。


『しかし未婚のロザリーを君が抱えて歩くのは、外聞がよくないと思う。君たちは婚約者同士ではないのだから』


 アレック殿下がもっともなことを言って、マックスを諫めた。


 これにパトリシアは思わず瞳を細めてしまった。アレック殿下はご自身のことをすっかりお忘れのようだが、彼はロザリーとではなく、パトリシアと婚約関係にあるはずだ。


 そしてパトリシアはこの時、『彼らが後ろのほうにいて良かった』と思っていた。もしも横並びであったなら、パトリシアのこの表情を見て、またなんだかんだ――『嫌味な顔をするな』とか『言いたいことがあるなら言え』とか絡まれたに違いないから。


 するとここでロザリーの必殺技、『私のために喧嘩しないで!』が炸裂。


『あの、仲良くしてください! お二人が私を気遣ってくださっているのは、すごく嬉しいです! でも、でも……仲良くしてくれたほうがずっと嬉しいですから!』


『ロザリー……』


『ね、それじゃあお二人とも、腕を貸していただけませんか? お二人に掴まらせてもらえるなら、私、もっと頑張れると思うんです!』


 どうやらロザリーはもっと頑張れるらしい。「それは何より」とパトリシアは静かに呟きを漏らしていた。これは嘘偽りではない。本心からの言葉だった。


 だってロザリーが頑張ってくれないと、先行するパトリシアはずっとこの芝居じみたやり取りを聞かされることになる。それはこの上ない苦痛だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る