ゆののゴミ箱

湯野正

豹変

私は、友達というものを作るのが苦手だ。

大学への進学を機に田舎から出てきた私は、五月のある講義で、偶然彼女と知り合った。

彼女もまた、人付き合いが不得意だった。

そんな私たちは、怯える小動物のような慎重さで距離を詰め、呆れるほど時間をかけて、友人になった。

春休み直前の事だ。



長い春休みの最初の日。冬の終わりを感じさせる陽気を浴びながら、人影もまばらな駅を二人で、映画館に向かって歩いた。中身のない会話を時々交わして。

映画を見に行こう、と誘ってくれたのは彼女だった。

私は、とてもとても嬉しかったのを覚えている。

一歩踏み込むこと、それが、私にはどうしても出来なかった。踏み込んで、嫌われたらどうしよう。そうなるくらいなら、今の距離感のままでいい。そんな呆れかえる臆病さが、私を止めていた。

きっと彼女も、そうだったはずだ。私を映画に誘う時、彼女は、とても、怖がっていた。

なのに、踏み込んでくれた。それが、なにより嬉しくて、なんだか申し訳なくて、やっぱり、嬉しかった。


 

二人で映画を見た。

定員数十人くらいの、小さなシアターで。

特に可もなく不可もない映画だったなと、スクリーンを下から上に流れていく、人の名前と役割を見ながら、私は思った。

スタッフロールが終わり、彼女の方に顔を向け、微笑みかけようとした私は、固まった。  

彼女は、立ち上がって拍手していた。

スタンディングオベーションというやつだ。

私は、彼女にとってこの映画はそんなに面白かったのか、と若干面喰いながらも、その時はそう自分を納得させたが、違った。

自分以外、誰もが立ち上がっていた。

皆立ち上がり、拍手して、同じような顔で、笑っていた。

私は、縋るように彼女を見た。

彼女も、同じ笑顔をしていた。

その瞬間、地面が突然なくなってしまったような、あるいはある日いきなり西から太陽が昇ったような、確かだと思っていたものが、脆く崩れ去るような、強烈な、吐き気を伴う寒気が叩きつけられた。

彼女は、他の観客たちと、ぞっとするような中身のない映画の感想を、その作者を褒めたたえるグロテスクなほど空虚な言葉を、楽しそうに、楽しそうに、語り合い始めた。

腹の底から込み上がる何かに耐えている私を、彼女は、彼女の仲間たちに紹介した。

それからのことは、余りちゃんと覚えていない。といっても、何か酷いことをされたという訳ではない。ただ何かを紹介されて、映画を作った何者かの良さを、楽し気に、とても楽し気に押し付けられただけだ。


 

気づけば私は、自宅でシャワーを浴びていた。脆く崩れ去ってしまった何かを、洗い落とすように。

やっぱり、踏み込むべきじゃなかった。こうなるくらいなら、あの距離感のまま、あの彼女のままいてくれたら、よかったのに。あんなに怖がってまで、踏み込まなければ。

そう考えて、気づいた。

そうだ、彼女は、怖がっていたんだ。

踏み込んで、自分の見せていない姿をさらして、嫌われるかもと恐れながら、でも、踏み込んでくれたのだ。

シャワーから出た私は、スマートフォンに彼女から謝罪の文言が送られているのを見た。

その文章の一つ一つから、彼女の気遣いや恐れが感じられて。

私は、決意した。

私も踏み込もう。

彼女は、変わったしまった。

私の中で、永遠に。

今日見た彼女の一面を、私が受け入れられる日はきっとこない。

でも、私と友達になった彼女が、消えたわけじゃない。

小動物のように怯え合って、慎重に、慎重に、近づき合った彼女が、いなくなったわけじゃない。

彼女だけ踏み込んで、私が踏み込まないのは、不公平だ。

私も見せよう、見せていない私を。

それが、きっと。

友達になるってことだろう。














小指の爪を切り、屋拭穢に乗せ焚き上げた。

上がる煙の臭いに包まれながら、祈る。

繭児主様。

繭児主様。

島に、友を連れて帰ります。

どうか、歓迎してくださいませ。

繭児主様。

繭児主様。

どうか、彼女にも祝福を。


祭りは来週だ。

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