(Re)marriage christmas
太田千莉
(Re)marriage christmas
サンタクロースは居ると思うか。そう問われれば、こう答えるだろう。
さっきコンビニで二割引きのケーキ売ってましたよ、と。
十二月二十五日、時刻は午後九時。アルバイト終わりのクリスマス。
雲の無い夜空は街の光やイルミネーションで星を映せないくせに、地表から熱を容赦なく奪っていく。
「さむっ」
人波を吹き抜ける冷えた風に思わず身を震わせる。
コートの前を掻き抱きながら、普段使いのバッグから飛び出した白い布を擦った。布の正体は、安っぽい大きな袋。ついさっきまでしていたコンビニバイトで、店長に無理矢理着させられたサンタのコスプレ衣装の一部だ。粗雑な作りなので素材も薄く、期待した温もりが返って来る事は無かった。
もう使わないからと半ば強引に押し付けられた訳だが、四十過ぎの父と高校生の息子の二人暮らしの家でもこんなコスプレ衣装が使われる事は無い。
「二人暮らし……か」
心の中で思い浮かべた、もうすぐ変わるかもしれないその言葉を復唱する。
今日、俺は父親の再婚相手に会う。厳密に言えばまだ再婚すると決まっている訳ではなく、これから父が予約した近くのレストランで両家の子供も交えた初めての顔合わせをしてその感触を確かめてから、という事にはなっている。
なっている、というのは俺自身、父親の再婚に否定的な感情が無いからだ。明らかな美人局とか地雷物件なら流石にその限りでは無いけど、そこは父親の審美眼を信じておきたい。
何はともあれ、その用事にコスプレ衣装は必要ない。バッグから荷物を飛び出させたまま、父の再婚相手及びその連れ子に会うのも不格好なので、無益な荷物は構内のコインロッカーに突っ込んでから行こう。
まさかこの衣装も、年に一度のハレの舞台を暗所で過ごすとは予想外だっただろう。そんな事を思いながら、寒空の下を歩く。
少しして、駅構内に設置されたコインロッカーが見えてきた。それと同時に、その隣に人の姿を見つける。
壁を背にする少女と、その前に派手な髪色の男が一人。
少女は俺と同い年くらいだろうか。男はそれよりも少し年上、大学生くらいに見える。
「キミ、可愛いね。クリスマスに一人で何してんの?」
ピアスを開けた男の口から出た、嫌に明るい慣れたトーンのそれは紛う事無きナンパ台詞だった。
「すみません。人を待ってるので」
「そっかそっか。じゃあさ、オレも一緒に待ってて良い? お話しでもしようよ。タイクツさせないからさ」
動じること無く、やんわりとノーを突き付ける少女。しかしナンパ男は諦めずに食い下がる。少女の口から溜息が漏れるが、ナンパ男は気づかないフリをしてヘラヘラと笑う。
物珍しさから、その一部始終を見ていたのが良くなかった。
顔を動かした少女と、偶然目が合った。嫌な予感が背筋を走る。そして、その予感は見事的中した。
少女が身体全体でこちらを向いて、口を開く。
「あっ、兄さん!」
誰が兄だ。反射的にそう返さなかっただけでも自分を褒めたい。
予期しない第一声に驚いて、他人のフリをする事も間に合わなかった。女の子は駆け寄ってきて、僕のそばに付く。
「へー、お兄さん」
ナンパ男もずかずかと近づいてきて、値踏みするように睨みつける。
「え、えぇまあ」
言葉を振り絞って、慣れない笑顔でその場をやり過ごせないか試みる。このまま引いてくれれば万々歳なんだけど。
「妹ちゃんとあんまり似てないんだねぇ」
バレたっぽい。
「オレ、妹ちゃんとちょっと仲良くなりたくてさ。……良いよな?」
肩に手を置かれ、不必要に強い力で掴まれる。最後だけ声を落とした辺り、要するに邪魔するなと言いたいらしい。
勝手に巻き込まれただけなのでお好きにと思う一方で、助けを求められたのに見過ごすのも良い気はしない。
いっそ、この間にあの子が逃げてくれればそれはそれで楽なのだが、厄介を押し付けて見捨てる事は憚られるのか、そうはせずにこちらを見ている。
「ねえ兄さん。これ何?」
どうしたものかと悩んでいると、少女が僕のバッグから飛び出た布をツンツンと突く。
「え? サンタのコスプレ。バイト先で押し付けられた」
「また要らないもの貰って来たの?」
「またって言うな。ちょっ、何してんだ」
「おー、袋だー。でっかーい。子供一人くらいなら入りそうだね」
「例えのチョイスが怖いな。……い、妹よ」
取ってつけた様な妹呼びで身体の内側が痒くなるのを何とか耐える。
バッグから引っ張り出した袋を広げて、感嘆の声を上げる少女。その視線が一瞬だけ足元に落ちた。
「何のバイトしてきたの? 人さらい?」
「なんで子供を入れようとしてるんだ。ただのコンビニバイトだよ」
「そっかそっか。ずっと前から思ってたんだけど、コンビニエンスストアをコンビニって略すとコンビニエンス――便利な事しか伝わらなくない? ストアは何処に行ったの」
「知らない上にどうでも良いなぁ」
「だから私はコンビニエンスとストアの両方を含むために、スストアと呼んでいこうと思うんだけど、どう思う?」
「スの一文字からコンビニエンスを導き出すのは無理があると思うかな。あと言いにくいし」
「赤スストア青スストア黄スストア。どや」
「はいはい、良く言えました」
「ところでキスストアって、夜のお店の新業態みたいじゃない?」
「言わなくて良い事をよくも言ってしまいました」
「お、おい! なにワケわかんねー事言ってんだ」
ナンパ男が俺の肩を引っ張って声を張る。その言い分には全面的に同意を示したいが、グッと我慢する。
「っと、立ち話もほどほどにしてお店入ろうか。兄さん」
「あ、ああ。そうだな」
その声を無視して、袋を手にしたまま歩き始める少女の後を追う。そうだ、目的は良く分からない話をすることでは無く、この場を後にする事だ。
「何無視してんだ! 待てよ!」
しかしそうは問屋が卸さない。俺を押しのけて、ナンパ男が少女の手を乱暴に掴もうとする。
「触らないで」
少女は予期していた様にクルリと踵を返して、その手を躱す。そして少し前傾姿勢になったナンパ男に頭から袋を被せた。
「んぶっ!?」
二の腕辺りまで真っ白に包まれたナンパ男。一瞬の事に呆気に取られていると、右手に柔らかい感触が触れ、そのまま強く引かれた。
「走るよっ、兄さん!」
「おわっ、ちょっ!?」
前につんのめりながら何とか足を動かして、走りながらバランスを持ち直す。駅前というのが幸いして、すぐに人混みに紛れてナンパ男の姿は見えなくなる。
後方から聞こえた男性の怒声のような声は、気のせいという事にしておきたい。
「ふふっ……ははっ、あはははははっ!」
イルミネーションの下。人混みを掻き分けながら走る少女は、突然笑い出した。
色々思うところはあった。それでも、そのどれもが少女の眩しい笑い声と胸の内から顔を出す高揚感には敵わず、釣られて俺も笑ってしまう。
「くふっ……くっくくくくくっ……!」
「うわっ!? 兄さんの笑い方キショ!?」
理性が笑いを抑えようとしたのか引き笑いになってしまった。手を繋いだままの妹に引かれる。いや、妹じゃないんだけど。
「話を合わせてやったのに酷い言い草だ」
「あはは、ごめんごめん。そこはすっごい感謝してる。あと袋貸してくれたのも。ありがとね、兄さん」
「袋は貸した覚え無いし、兄さんじゃないけどな」
「ん? お兄様の方が好みだった?」
「違う」
「兄者兄上アニキおにいたんおにいちゃまにいにい」
「呼び方の問題じゃなくて」
「じゃあ――
「……は?」
少女から出てくるはずのない名前に、思わず足を止める。
なんでこの子が俺の名前を知っている?
「中井くん、じゃあちょっと他人行儀だよね。これからは私もそうなるかもだし」
いつの間にかかなりの距離を走っていたらしい。駅前の商売っ気あるエリアとは異なり、住宅街寄りのこの辺りでは人の姿も少なくなっていた。
「なん、なま……どういう……」
言葉未満の声が口を突く。文字通り言葉を失ったのが面白かったのか、少女は口元を押さえる。
「私は
―――
「つまり、瑠未のお母さんが俺の父さんの再婚相手ってことか」
近くの公園のベンチに腰掛けて、瑠未の話を纏める。
「そ。だから私にとって紅斗くんは
二人が再婚を決めればだけど。そう言いながら瑠未は缶のコーンスープを傾ける。
「いや、同じ高一なんだろ?」
「私は七月七日生まれ。紅斗くんは五月五日でしょ? 前にお母さんから聞いたの」
「……正解」
おおよそ父親が何かのタイミングで瑠未の母に話し、それを瑠未が又聞いたのだろう。自分が父親から再婚の話を聞かされたのはここ一週間の事なので、以前から知っていたような瑠未の口振りに少し驚く。男家庭と女家庭の差といったところだろうか。
「もちろん名前も顔も、全部お母さん経由でね。見たの写真だし、ブレブレだったからちょっと不安だったけど、一か八か賭けてみて良かった」
「写真なんて……あぁ、あの時か……」
一ヶ月くらい前。不意を突く形で父親がスマホのカメラを向けてきた事を思い出す。あの時は変な気まぐれだと思って深く気にしないでいたが、どうやら意中の相手との会話の種に使われていたらしい。
「あ、ってか待ち合わせ! 父さんに連絡入れないと」
慌ててスマートフォンを取り出す。ロック画面には数件のメッセージが届いていた。どれも父からで、内容を要約すれば、手違いで店の予約が取れていなかったので自宅で顔合わせをする事に決まった、というものだった。
「何やってんだ……」
父親の失態につい天を仰ぐ。
「あははっ。でもこれから駅前に戻るのはちょっと怖いし、丁度良かったかも」
母親から同じような内容が送られてきたのだろう。瑠未が自分のスマホに返信を打ち込みながら、朗らかに笑う。
「もうお母さんたちは着いてるみたい……あ、位置情報データ飛んできた。結構近いんだねぇ」
ふんふんと鼻を鳴らし、それからコーンスープの残りを一気に呷った。空になった缶を小さく揺すって、僅かに聞こえる、缶の中に残ったコーンたちの音に不満そうに眉根を下げる。
それも一瞬で、すぐに元の明るい表情に戻った。
「さて、っと。それじゃあ行こ――っ」
元気よく立ち上がって、顔をしかめた。
「お、おい? 大丈夫か?」
「うん。ヘーキヘーキ。ごめんね」
そう言いながら、瑠未の視線が真下に落ちる。調子を確かめるような、厚底ブーツのつま先が地面をノックする音は、静かな住宅街では良く聞こえた。
「捻ったか」
「ん~、まぁね。でも大丈夫だよ。後から絶対に追い付くから」
「それは追い付けない奴の台詞だ」
「ここは私に任せて先に行け!」
「それも追い付けないから」
「行けたら行く!」
「そう言う奴は行けても来ないんだよ」
「紅斗くん、大したツッコミ力だね。漫才師にでもなった方が良いんじゃない?」
「ツッコませてる犯人はお前だ」
「ホントに良く拾えるね」
感心したような拍手もそこそこに、瑠未は身体を公園の出口へ足を向ける。
「行くよー、紅斗くん」
「で、足は大丈夫なのか?」
「……大した記憶力だね。鶏にはならない方が良いよ」
踏み出そうとした右足を引っ込めて、静かに地面に降ろす。今度は予期していたからだろう、僅かに渋面を浮かべるだけに留まったがそれでもやっぱり痛むようだ。
「ゆっくりなら歩けるから、本当に先に行ってて? 場所は分かるから。ほら」
スマートフォンを手に取り、地図アプリを見せつけてくる。画面には確かにここから家までのルートが示されている。迷子になる心配はないだろう。でも、
「そうもいかないだろ。怪我してるの見過ごして自分だけ家帰って、どんな顔でお前の母さんに顔合わせれば良いんだよ」
「……ごめん」
しゅんと肩をすぼめる。
「謝る事じゃないけど――いや、やっぱりちょっとは謝ってくれ」
「えぇ!?」
「だって走ったの瑠未だし、多分もうちょっと穏便に済ませられただろ、あれ」
「……ぐぅ」
ぐうの音は出る程度の正論だったらしい。思う所はあるのだろうが、納得してもらえたのならそこについて深く聞く必要は無いだろう。
「だって……人入りそうな袋だったんだもん……」
深く聞く必要は無いと思ったばかりだし、何より怖いのでその呟きは聞こえない振りをした。
それから瑠未と並んで歩く。公園から出る十数メートルの間でも瑠未は時々顔をしかめていた。だから、その決断をするのにあまり躊躇はしなかった。
「……瑠未」
「うん?」
「ほれ」
瑠未の前に立ち、背を向けて屈む。
「えっと、ウサギ飛びはホントに足やっちゃうと思う」
「誰がやらせるか。……おぶってやるから、乗れ」
「……へ?」
背を向けているので、瑠未がどんな表情をしているのかは分からない。それでも、漏れ聞こえた声はこれまでに聞いたことのない、素を感じさせる声だった。
抱いていた瑠未の印象とは違う、弱々しい声音に急に脈動が強くなる。
「い、いやなら無理しなくて良――」
恥ずかしくなって撤回しようとしたその時、肩と背に重みが乗っかる。
「おねがい、しようかな」
「……脚、持つぞ」
「うん」
頭のすぐ後ろから聴こえる瑠未の声。一度深呼吸をして、それから瑠未の脚に触れる。
「んっ……」
タイツのザラザラとした感触と、その奥の柔らかさに身体が強張る。別に何を考えている訳ではないけど、今が冬で、厚着の季節で良かったと心から思った。
「よ……っと」
「わわ」
曲げていた身体を戻して、瑠未を背負いこむ。少し位置が悪いので恐る恐る手を動かして調整する。肩を掴む手の力が一瞬だけ強くなった気がした。
「お、重くない……?」
「……多分」
「重い可能性が!?」
耳元で大声を出すのはマズいと思ったのだろう。それでも衝撃を伝えようと、器用に声を抑えて叫ばれた。
「ま、まぁ多分重くはないと思う。俺が背負えてるんだし」
「紅斗くん、部活動は?」
「帰宅部。やりたい事も無いし」
「体力テストの点数」
「覚えてない……けど覚える必要も無いくらいの点数」
「ん~~~……良し!」
数秒の葛藤の後、良しを頂けた。お眼鏡に適ったらしい。
この頃にはさっきまでのしおらしさは無くなって、明朗快活な色が戻ってきていた。こっちの方が気軽に話せるので、正直助かった。
「ここ右ー」
「へいへい」
「次は二個先をゴーレフト」
「地図見ただけなのによく分かるな」
見知った道のナビゲートを受けながら、のっしのしと歩く。
「小さい頃は良く迷子になってお母さん困らせたから、その反動で道覚えるの得意になっちゃって」
「小さい頃から元気っ子だったんだな」
「んーん、その逆。ボーっとしててはぐれるタイプのお淑やかちゃんでした」
「へぇ」
「あー。いま私の事、お淑やかの影も形も無い傍若無人無差別振り回し脚捻り自業自得因果応報女だと思ったでしょ?」
「そこまでは思ってない。意外だなって思っただけで」
「意外かぁ、そうだよね。そうでしょうそうでしょう」
「何故に得意げ?」
後ろから、ふんすと得意げな鼻息が聞こえた。
「ふんす!」
声でも聞こえた。どっちにせよ、空気が揺れて耳が少しくすぐったい。
「あ……、雪」
言うが早いか、手の甲に小さな冷たさを感じる。予報通りの雪が降り始めた。
左肩から手が離れる。肩越しに振り向けば、瑠未が降る雪を手に伸ばしていた。掌に乗った雪は、人体の熱であっと言う間に溶けて水になる。
「……積もるかな」
瑠未がポツリと呟いた。言葉だけは無邪気だが、雪に紛れて消えてしまうんじゃないかと思えるほどに落ち着いた声。
「さぁ、どうだろ」
「積もらずに全部溶けちゃうかも」
「溶け切らずに積もるかも」
「積もったら大変だよ? 道路は凍るし、交通網も麻痺するし」
「こっち側じゃそこまでは滅多に降らないと思うけど」
「あと雪が溶けた時に、冬眠から目覚めた熊やイノシシと遭遇するし」
「それは怖いなぁ、都心に熊とイノシシが居る事含めて」
「それでも、紅斗くんは雪に積もって欲しい?」
「そこまで言われるとちょっと尻込みするけども」
満足したのか瑠未は手を引っ込めて、溶けた雪で濡れた手を自分の服で拭ってから俺の方に手を戻す。
「まぁ、積もっても積もらなくても良いよ」
「……その心は?」
「どうせ冬休みの間はバイト以外で外出ないし」
「えいっ」
「つめたっ!? 何!?」
頬に添えられた瑠未の手の冷たさに、反射的に声を上げる。
「多分だけど、年末年始もお母さんたちに連れ出されると思う」
「あぁ、それはありそう。それまでに足、治ると良いな」
「だねぇ。っと、そこを左でゴール!」
最後の手柄をかっさらうナビゲーターの指示に従って、曲がり角を左に曲がる。するとすぐそこに我が家が見えた。
玄関門の前で瑠未を降ろす。右足に気を付けながら着地。
いつもの様に門扉をくぐる俺には続かず、瑠未は降ろした場所で立ち止まっていた。おもむろにこちらを見て、首を傾げた。
「ただいま? お邪魔します?」
「まだ、お邪魔します、なんじゃないか? どっちでもいいけど」
そこまで言って、既に瑠未の存在を家族として受け入れるつもりの自分に気付く。
それと同時に、瑠未が傍に居てくれたら毎日が楽しいだろうなと、そう思い始めていた。
目の前でうんうんと頭を捻る彼女を見ていると湧き上がる、この感情は――。
「あっ! おじゃいま!」
「うん。それでは無いな」
(Re)marriage christmas 太田千莉 @ota_senri
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