といって、描写が無くて良い場合もある――前々話の続き

 私の念頭にあるのは、ラジオである。良く深夜ラジオを聴くのだが、その中でも、パーソナリティ(DJ)がするエピソード・トークが好きである。自ら経験したことに、多少盛って、オチを付けて話すあれである。ここでは、いわゆる描写――その身に着ける衣装なり、目にする風景についての描写――はほぼないが、それで不満を抱くこともない。


 そりゃあ、ラジオと小説だから違うのは当たり前だろうという向きもあるかもしれない。しかし、一概にそうとは言い切れないのである。先のラジオのトークを支配しているもの――この言葉が嫌いなら、「律しているもの」と言い換えてもよい――は語りであり、小説においても、この語りは重要である。


 小説では、この語りは流れとして意識される。例えば、小説を書いているとき、どうしてもこの情報を入れ込みたいんだけど、流れが切れてしまうなと感じることはないだろうか? 流れを重視するか、情報(それを描写にまで仕上げるのは、小手先のテクニックではあれ、大事なことだったりするけど。そう、小さなことからコツコツと。)を重視するかは、まさに作者の個性といってよいが。


 描写を重視するにしろ、語りを重視するにしろ、面白ければいいのさ! なんてね。どうやら、おあとがよろしいようで。


 

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