第172話 戦いが終わり、二人は共に


 カルメリータとティアニーで再会してから、一月後。


 緑深い丘の上に建つ屋敷に祐奈はいた。早朝まどろんでいると、肩にキスが落とされた気配で目覚める。


 だめ……まだ寝かせて……うつ伏せの状態で寝たまま、ぼんやりとそんなことを考える。


 やがて隣で彼が起き上がる気配がして、祐奈は急に寂しくなってしまった。身じろぎをしてベッドに肘をつくと、かぶされていた布団が滑り、剥き出しの肩に光が反射する。


 祐奈はあられもない自身の格好をやっと自覚し、慌てて布団を肩の上まで引っ張り上げて体を隠した。


「……エド?」


「起こしてしまった?」


 囁くような静かな声音だった。甘いけれど、やはり爽やかで、穏やかで、どうしようもなく心惹かれる。


 ――彼は存在自体がずるいなと思う。何もかもが素敵なのに、気取ったところがない。そして優しいのに、どこか謎めいている。


「どこかに行っちゃうの?」


 体の向きを変え、寝転がったままベッドサイドに腰かける彼を見上げると、ラング准将から端正な笑みが返された。


「君はまだ寝ていたいんだろう?」


「でも、あなたが行っちゃうと寂しい」


「君はおねだりが上手になった」


「そんなことないの。ただ本心を語っているだけだから」


 彼が少しだけ身を乗り出し、布団の上に出ていた祐奈の手を取り、指を絡めてきた。艶っぽい仕草でもなかったけれど、祐奈はこうされるだけでドキドキしてきた。


「……どこへ行くの?」


「色々と片付けなければならない用があって。数時間で戻る」


「そう」


 彼はまだ王都に戻っていない。――ただの一度も、だ。


 だから書類の作成や、提出など、あれこれとやらなければならないことが山積みなのはよく分かっていた。


 ここ最近では、彼がティアニーから動かないので、用がある人は、向こうが王都を発って、遠路はるばるやって来るような始末だった。


 そうするとラング准将も面会しなければならないので、一時、屋敷を留守にする。祐奈の負担になるので、客人をここに入れたくないらしい。


 ――ウトナ到着後、ラング准将は死亡したものとして扱われたが、彼の場合は生家の家族もいることだし、その情報を訂正せずに、全て放り出してしまうというわけにもいかなかった。


 それで手紙にて、家族に無事は知らせておいたらしい。そして所属先の上官宛にも。


 祐奈は彼に『一緒に王都に戻りましょう』と言ってみたのだが、彼が首を縦に振らなかった。


 ラング准将は祐奈の様子を見て、まだ本調子ではないことを把握していた。彼はこの状態の祐奈に長旅を強いるつもりはなかった。――ここで無理をさせて、あとあとそれが影響して、虚弱になってしまうようでも困る。


 どうしてもカルメリータに会いたいと彼女が言い張ったので、ティアニーに行くことだけは許可し、道中事細かに気を配って移動したのだが、今の段階ではここまでが限界だと彼は考えていた。


 そこで環境の良いティアニーに留まり、祐奈をしばらく療養させることにしたのだ。


 ――滞在先に選んだのは、ヴェールを彼女が外したあと、その晩泊った丘の上の屋敷だった。


 カルメリータももちろん屋敷についてきた。


 ラングは再会した彼女に、「これからも妻のために仕えてくれないだろうか」と打診してみたところ、カルメリータは「喜んで」の数文字を口にするまで、嗚咽と涙を垂れ流し、とてつもなく長い時間を要した。


 傍らでそれを見上げていたルークが『俺も行くぜ』と言わんばかりに一声吼えて、存在を思い出させようとしていた。それも今となっては良い思い出である。


 今頃カルメリータが祐奈のために、搾りたてのオレンジジュースを用意しているだろう。


 ルークは……まだ寝ているかもしれない。



***



 祐奈は今でも時々、ウトナで起きたあれらの出来事が、全部夢だったんじゃないかと思うことがある。


 全てがあまりに現実離れしていた。


 自分が今もこうして生きていられるのは、全てラング准将のおかげだ。――彼があの時差し出してくれた手のひらの上に、青い石板の欠片が乗せられていたから。


 彼はカナン遺跡にてあれを手に入れた。それは偶然のような成り行きで、転送板の受け側である、あの青い石板に欠けがあることに気付き、触れたところ――手の中に転がり落ちてきたのだった。


 それから彼はそれを大事に持ち歩いていた。


 カナンからローダーに飛ばされ、そこから地道にローダールートを逆行する形でカナンまで戻って来たところで、若槻陽介と遭遇。


 祐奈の魔力が暴走した際、青い石板の欠片をポケットに入れていたラング准将が、祐奈の体に触れた。


 回復魔法、圧縮魔法、雷撃、キューブ、青い石板(転送板)の組み合わせで、奇跡的に異界への穴が開いたのだ。それはカナンという土地そのものが脆弱であったので、次元の壁が薄かったという事情もある。


 そしてそもそもの話、若槻陽介が呼ばれたのは、聖典が世界のバランスを保つために『致し方なく』そうしただけであったので、彼という異分子はこちらの世界に馴染むことはできていなかったのだろう。


 ――だから猫が毛玉を吐くような要領で、押し返された。あれは祐奈だけのせいではなかったのだと思う。


 あの一件と比べると、ウトナでの最終決戦はまるで状況が違った。


 アンと祐奈、二名の使い手が極大魔法を行使し、膨大なエネルギーがあの場に滞留していた。


 祐奈は二撃、なんとか横に逸らして直撃を避けたものの、大地に着弾したあとの余波で、ダメージがこちらに返ることを知った。


 そこで三撃目の前にキューブを取り出し、そこに炎龍を流し込むことにしたのだった。


 ――思えば、これが分岐点だった。


 流すためには狭い入り口を通すため、端っこに圧縮をかける必要があった。この処理により、ワームホールを維持できる条件が揃ってしまったのだ。


 ――転移に必要なものは、出口と入口――そして穴を開けたあと、そこを人が通過するあいだ、崩壊させずにホールを支えられる膨大なエネルギー。


 入口として代替できるものは、ラング准将が持っていた。聖典が緻密に作り上げた、転送板――つまり青い石板の欠片である。これはカナンの石なので、本来『出口側』のものなのだが、それを逆向きに展開させる術は、祐奈はすでに習得していた。カナン遺跡からローダー遺跡に飛んだ際、彼女はそれを成功させている。


 ――実はあの一度目の転移の時、ラング准将が干渉し、メンターのような役割を果たして、逆行を可能にさせていた。ローダーからカナンへの転移時、彼は大胆にも、ワームホール維持のための膨大なエネルギーを、聖典から拝借することにした。魔法行使も、突き詰めていけば、彼が普段していることとなんら変わりはない。間合いと呼吸を読み、相手の持つものを利用して、カウンターで返す。


 今回はウトナであり、カナンのように脆弱な地盤ではないが、極大魔法の行使で場を荒らしてしまえば、同等のことが起こりうる――ラング准将はそう考えていた。


 結果として、そのとおりになった。――石板の欠片を媒介にして、極限状態で世界に穴を穿つ。


 どこに出るかは、運次第。


 もしかすると世界の境界を越えてしまうかもしれない可能性もあった。――というのも、一個前の転移現象は、カナンから若槻陽介が、異世界に押し出されたあの一件であったからだ。あの処理には、ラング准将が所持していた石板の欠片が絡んでいたので、同一アイテムを用いた今回も、また異世界と繋がってしまう危険性があった。


 ――そして事実、そうなった。


 虚無に呑み込まれたあと、祐奈の魔力の残滓に、ラング准将が干渉し、導いた。


 二人は一瞬のあいだに、新しい世界に辿り着いていた。


 過去、現在、未来――そしてあらゆる座標――それらがスイッチし、目まぐるしく展開した。ラング准将と祐奈は、同時にありとあらゆる場所、時間軸に存在し、そして引き戻された。


 転送板を軸に飛んだので、転送板の元に戻るはずであった。


 カナンか、ローダーか……


 結局、転移した先はローダーだった。やはりカナンの石を起点に始まったことなので、それと対となる、ローダーだったのだろう。


 聖典は祐奈を殺さずにはいられなかったのだが、彼女が一度この世界から完全に消失したことで、抹殺プログラムがリセットされた。――つまり祐奈は異世界間をまたぎ、地球を経由したことで、聖典から見逃してもらえたのだ。


 彼女は生きたままこの世界に迎え入れられたばかりか、魔力も失うことなく持ち続けることとなった。


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