第170話 カルメリータ(&リスキンド)


 カルメリータはティアニーにて祐奈を待っていた。


 祐奈、ラング准将、リスキンド――三人一緒に戻ってくるはずだった。しかし現れたのは、リスキンドただ一人。


 決戦の地から生きて戻ったリスキンドは、カルメリータにウトナでの顛末を語って聞かせた。――しかし彼自身もまだ、祐奈とラング准将の死を信じることができないのだと口にした。


 陽気な彼が憔悴しきっているのを見て、カルメリータは身も心も張り裂けんばかりだった。二人が死んでしまったのは本当のことなのだと理解できたからだ。彼女は彼の肩を抱き、涙をこぼした。


 リスキンドは遠目で戦いの様子を目撃したらしい。――炎龍が上空を舞うさまや、祐奈の放った極大魔法が、空に黒い帳を下げ、星のように瞬く雷雪が炎龍を包み込む、すさまじい規模の決戦を。


 あとで森を抜けて駆け付けてみると、地面は大きく抉れていたそうだ。そして祐奈もラング准将も消失していた。


 アンもすでにいなくなっていた。


 リスキンドが空になった東屋に踏み込むと、空の演台の表面が淡い光を放った。


 じっと眺めおろしていると、石の表面が削れ、文字が浮き上がってきた。それは聖典がしたためる記録なのだろう。


『――戦いを制した聖女アンに、聖典を貸し与える――』


 台の上に聖典はないので、勝利したアンが持ち去ったということか。聖女はあれを音読する役目があったなとリスキンドは思い出していた。


 カルメリータは話を聞き、無念に感じたし、揺り返しとして、現実を拒否する気持ちにもなっていた。どうしても二人の死を信じることができなかった。頭では『もうどうしようもない』と分かっているのに、『もしかしたら』と期待してしまう。


 それはリスキンドも同じだった。


「もしかして……二人はなんとか生き延びているかもしれない。そのうちに……ひょっこり戻ってくるかも……」


「そうですね。そうに違いありません」


 カルメリータとリスキンドは根拠のない何かに縋り、ひたすら待ち続けた。


 しかしそのまま何事もなく半月が経過すると、リスキンドはとうとう「俺はここを発つことにするよ」とカルメリータに告げた。「これ以上待つのは、もう耐えられそうにない」のだと言って。


 リスキンドは戦場にて、あの疑いようもない大破壊の光景を実際に見ていたから、カルメリータよりも希望的観測を抱けないでいたのだ。――おそらく彼はティアニーに着いた時には、すでに二人の死を受け止めていた。それでも彼は半月のあいだカルメリータに付き合った。


 カルメリータはリスキンドのことを、薄情だとは思わなかった。


 彼女は涙ぐみ、「これまでありがとう」と小声で礼を言い、去って行く彼を見送った。


 ずっと一緒に居てくれた可愛いルークは、きっと親友であるリスキンドと一緒に行きたかったはずだ。カルメリータは「あなたも行っていいのよ」とルークに伝えたのだが、紳士な彼はじっと彼女を見上げ、その場に腰を落とし、『俺もあんたと一緒に、ここに残るぜ』と視線で伝えてきた。


 きっと女性一人をここに残して去ってしまうのは、心配だったのだろう。


 カルメリータはルークの背中を撫で、ふたたび涙をこぼした。



***



 リスキンドはティアニーを発ったあと、ハル・ハルの故郷に向かった。


 寒がり族の住まうその土地は、一年の大半が夏であるので、皆陽気に、享楽的に、あと腐れのない暮らしをしている。


 あんなに夢見ていた楽園にやって来たというのに、リスキンドには何もかもが味気なく感じられ、心動かされることがなかった。


 ――昼間から酒場に入り浸り、カウンターに腰かけて、のんべんだらりと過ごす日々。


 初めのうちは強い酒を煽って侘しさを紛らわせようとしていたのだが、すぐにそれはやめた。どんなに酔っても、つらいことは何も忘れられないと悟ったからだ。


 息をしているだけで侘しさが増す。


 しかしこうして雑多に人が集まる場所にいると、自分もまだ生きているのだなと実感できる気がして、こうしてつい酒場に来てしまう。


「よぉ、リスキンド」


 すっかり顔馴染みになったウェイターがリスキンドの元に歩み寄って来て、カウンターに木箱を置いた。


「これは?」


「あんた宛だ」


「誰から?」


「さぁな。俺は配達人からそれを受け取っただけなんだ。リスキンド宛だと言われて。受け取りのサインをした伝票は、そいつが持って行っちまった」


 リスキンドは木箱を開けようとして、釘で蓋が打ち付けられていることに気付いた。


「――釘抜きない?」


 と尋ね、貸してもらってこじ開ける。中には緩衝材にくるまれた高級な酒が入っていた。酒の上にはカードが一枚。




『酒は祝いの席で飲むものだ。 E.L.』




 見間違いようもない彼の筆跡だった。そしてこの文言は、彼とリスキンドだけが知る、思い出の台詞だった。


 付き合いの長い二人は、仲間を亡くした時や、どうしようもない状況に追いやられた時、よく酒を酌み交わしたものだった。


 そんなある時、リスキンドはつい愚痴めいた言葉を漏らしていた。


「酒ってのは、祝いの席で飲むものですよ。……こんな苦い酒は嫌だな」


「俺もそう思う」


 彼は自身のグラスをリスキンドの手の中のグラスに押し当て、献杯してから、ねぎらうようにこちらを流し見てきた。


 そしてその反対に、良いことがあった時も、互いに酒を酌み交わした。


「やっぱり祝いの酒はいいものです」


 リスキンドがそう言うと、彼は淡い笑みを漏らし、グラスに酒をつぎ足してくれた。


 ――積み重ねてきた歴史がある。


 リスキンドはカードを眺めおろし、親指の腹で目元を拭った。彼はさっと椅子から腰を上げ、店の中をぐるりと見回して、景気良く声を張り上げた。


「今日は俺のおごりだ! みんな楽しく飲んでくれ!」


 そこここで歓声が上がる。


「いいことでもあったのか?」


 ウェイターに尋ねられ、


「人生で最高の気分さ」


 リスキンドはポケットから有り金全部取り出して、それをカウンターに放り投げて告げた。そうして木箱の中の酒瓶を懐に抱え込むと、


「――どうか素敵な夜を!」


 と粋に告げて、入店した時とは打って変わった元気な足取りで、その場をあとにしたのだった。



***



 リスキンドが去ったあと、カルメリータは寂しさで気が狂いそうになり、一時ティアニーを離れたことがあった。


 ルークを連れ、馬車に飛び乗り、祐奈たちと辿って来た旅路を戻って行く。ティアニーを出て、カナンまでもうすぐ目と鼻の先というところまで来た時、体から力が抜けてしまって。


 ……怖くなった。


 このまま国に戻り、王都まで行くとする。道中、旅してきた思い出ばかりだ。ここであれを食べたなとか、皆でこんな話をして笑い合ったなとか。……それに自分は耐えられるだろうか。


 カルメリータはめそめそと泣きだしてしまい、肩を落として、ふたたびティアニーに戻ることを決めた。


 たぶんもう、祐奈とラング准将が戻るなんてことは信じていなかった。ただもうつらくて、寂しくて、どうしていいか分からなかったのだ。


 ティアニーに戻ると、教会に足繫く通い、祈りを捧げ、静かに過ごした。――こうしていて、いつ踏ん切りがつくのか分からない。なんの生産性もない、そんな生活をただひたすら続けた。


 ――いつものカフェでお茶を頼む。湯気を立てていたそれが冷めていく中、ぼんやりと考えを巡らせる。足元にはルークが寝そべっていた。ルークもこのところしょんぼりムードだった。


 ふと道行く人の中に、祐奈に良く似た若い女性を見付け、はっとして腰を上げる。しかし彼女がこちらに顔を向けると、まるで似ていなかったことに気付いて、がっかりして椅子に腰を落とした。


 こんなことの繰り返しだ。祐奈と同じくらいの髪の長さ、背格好、声――何かにすがって、期待してしまう。冷静になってみれば、似ても似つかない相手であるのに。


 願望が見せる幻に振り回されて、期待したぶん、その倍も傷付く。


 カルメリータはテーブルに肘を突き、額を押さえた。


 もう……もういい加減、諦めるべきだわ……だめだもの……期待しても、もう……。


 すぐ近くで人の気配がした。俯いていた視界に、女性のドレスの裾部分が映った。


 誰だか知らないが、テーブルの横で立ち止まっているらしい。足元に寝転がっていたルークが機敏に顔を持ち上げ、あんぐりと口を開けたのが見えた。


 もう……なんなのかしら。


「――カルメリータさん」


 優しい声が降って来た。


 カルメリータは『そんなはずはない』と思った。『まさか』と顔を上げて、またがっかりするのが怖かった。でも……でももしかして……?


 おそるおそるというように顔を上げる。そしてカルメリータは、視線の先に、かけがえのない人の笑顔を見ることとなったのだった。


「遅くなりましたが、戻りました」


「ああ、神様……!」


 カルメリータは飛び上がり、華奢な彼女に抱き着いた。


 カルメリータがあまりにボロボロと泣いているので、祐奈も涙ぐみながら、ものすごく困っている様子であった。


「ごめんなさい。無事を知らせるため、ラング准将が手紙を出してくれたのですが、上手く届かなかったようで、戻って来てしまって……。それから人を雇って、カルメリータさんの行方を探してもらっていたのですが、時間がかかってしまいました」


「一時、ここに居るのがつらくて、カナンまで戻りかけたことがあったのです。手紙が届かなかったのは、そのせいかも」


 カルメリータは『なんて馬鹿なことをしたんだろう!』と過去の行動を悔やんだ。あのままティアニーにずっと居続けていれば、もっと早くに祐奈の無事を知ることができたのだ。


 ルークは興奮した様子でそこらをうろうろと歩き回り、首を傾げながら、抱き合う二人を見上げているのだった。


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