第142話 首がもげる


 ――国境を越えてから三日目。


 今日は珍しくリスキンドも馬車に同乗していた。彼の馬は騎乗時とは違うハーネスをつけられ、馬車の前に加えられている。


 席順は祐奈の向かい側がラング准将、その並びにリスキンド、こちら側の右隣にカルメリータという配置だった。


 祐奈はリスキンドから好奇の視線を向けられていることに気付いた。


「……リスキンドさん、なんでニヤニヤしてこちらを見るんですか?」


「いや、なんていうかさぁ……成長期の子供と半年ほど離れていて、再会した気分なんだよ」


「それってどんな気分なの?」


 祐奈の声音には警戒心が滲み出ていた。リスキンドがニヤニヤしている時って、ロクなこと言わないんだもん……と祐奈は思っていたのだ。


「祐奈っち、自分では気付いていないかもしれないけれど、すごく雰囲気が変わったよ。特にラング准将と喋っている時に感じるんだけど。二人きりで旅していたあいだに何かあったのかなぁー」


 なんて下世話な勘繰り……。祐奈は気を引き締めて臨むことにした。『油断していると身ぐるみ剥がされる』くらいの緊張感を持っていたほうが、被害が少なくて済む。


「……黙秘権を行使します」


「なんかさっき、六十七個目……とか言って質問してたじゃん。あれ何?」


 少し前に祐奈がラング准将にこっそり尋ねているのを、リスキンドは盗み聞きしていたらしい。


 ……黙秘権を行使するといったのに、まるきり無視するってどういうことなの……?


 困ってしまったものの、良い機会かもと思い直した。内緒にしておくよりも、ここらでオープンにしてしまったほうがいい気がする。先々も『あの二人、質問をカウントして、何やってんの?』と奇異の視線を向けられ続けるのは嫌だし……。


「――ラング准将から、百個質問していいと許可をいただいています。個人的なことを、なんでも」


「なんで?」


「ええと、相互理解のためですね。というか、そもそもこれは……」


 祐奈は躊躇ってから、思い切って続けた。


「素顔で向き合うことが目的なんです。――私が質問して、ラング准将がそれに答える。百問百答をクリアしたら、その時にヴェールを外すっていう約束で」


 ふわぁ、と気の抜けたような悲鳴が聞こえて、びっくりして視線を転じたら、隣席のカルメリータがおかしなことになっていた。彼女はすっかり赤面し、額を押さえている。……だ、大丈夫だろうか?


「カルメリータさん?」


「あ、お構いなく。ロマンチックな約束だなと思って、つい声が。……とにかく、私のことは放っておいて大丈夫です」


 顔がかなり赤いし、大丈夫そうには見えない。しかしリスキンドはお言葉に甘えて(?)なのか、


「そうそう、カルメリータは放っておいても大丈夫だから、話を続けようぜ」


 と薄情に済ませてしまう。


「リスキンドさん、ちょっと……」


「まぁまぁ」


 まぁまぁじゃないよ。


「百個ノルマで、今六十七個消化済なわけだな? ……なんだよー、もっと頑張れよ! もたもたしていると、旅が終わっちゃうぜ」


「そうはいっても、訊きたいことが多すぎて、絞れないっていうか……」


「いっぱいあるなら、手当たり次第ぶつけていきなさいよ」


「でも計画的に使わないと、なくなっちゃったら、もったいないなって……。だって百個までなら、なんでも正直に答えてくれるそうなんです。この先、聞けなそうなことも、聞いておきたいし……」


「あ、そうなの? なんでも正直に? そりゃ話が変わってくるなぁ」


 リスキンドは上官であるラング准将の前で、彼に関する話題をこれだけ伸び伸びと展開できるのだから、心臓に毛が生えているんじゃないかと祐奈は思った。


 ――ラング准将は途中から感情のスイッチを切ってしまったらしく、ポーカーフェイスで押し通している。下手に介入して火傷をするのが嫌だったのかもしれない。


 それに、ここで叱ってリスキンドを黙らせたとしても、自分が見ていない場面で祐奈がからまれるのは分かり切っていたので、しばらく泳がせておく作戦なのかもしれなかった。


 どちらにせよ、今ここでは祐奈が自力で切り抜けねばならなかった。――ゴシップモンスターの追及を上手く躱すのだ。


「これはラング准将と私の約束事ですから、リスキンドさんには関係ないですからね」


「そんな水くさいこと言うなよぉ。百個、なんでもかぁ。それってすごいチャンスじゃないか。――祐奈っちさぁ、ラング准将に何人の女の子と付き合ってきたのか訊いてくれよ」


「それってリスキンドさんが知りたい質問ですよね?」


 正直、祐奈はラング准将の女性遍歴については知りたくなかった。……そりゃまぁ気にはなるのだけれど、知ってしまうとダメージが大きそうで。


「俺が知りたいけど直接は訊けないから、こうして君に頼んでいるんじゃないか。あとさ、口説かれた回数も訊いて」


 ……それはちょっと知りたいかも。でもナンパ含めだと、数が多すぎて、本人が把握していない可能性が高くないかな……?


「――女の子にビンタされたことがあるかも知りたい」


 なんでよ……。


 祐奈はげんなりしたものだから、負の感情を精一杯態度に出してみたのだが、どうやらまるでリスキンドには伝わっていないようである。


 ……なぜに? と疑問に感じて、それで祐奈は自分がヴェールをしているせいだと気付いた。


「ああ、なんてこと……! 軽蔑した顔をしてみても、ヴェールをしているから効果なかった」


「ていうか祐奈っちは、ヴェールを外していたとしても、俺をビビらせることは不可能だからね。君が睨んできても、全く怖くないし」


「どうしてですか」


「チワワが眉間に皴を寄せていても、なんとも思わないだろ。迫力ゼロなんだ。自覚してくれ」


 ひどくない?


「とにかく嫌ですよ。なんで貴重な質問の一つを、ビンタされたか否かの件で消費しなきゃいけないんですか」


「知りたくないの?」


「知りたくないし、大体――ラング准将が女の子にビンタされたことなんて、あるわけないでしょ」


「あるかもしれないじゃん! 俺は知りたいんだよぉ、ラング准将が女子にボロクソにけなされたことがあるのかどうかを! ――じゃあ分かった。逆に、ビンタしたことがあるか訊いて」


 逆に、じゃないよ。君は何を言っているんだ。


「ていうか、ラング准将本人を目の前にして、よくそんなアホアホなことが言えますよね。私を巻き込まないでください」


 するとここで、これまで静観の構えを取っていたラング准将がようやく口を挟んだ。


「――俺がビンタしたことがあるかどうかを、そんなに知りたいのか、リスキンド」


 祐奈はラング准将が助けに入ってくれた! とじんわり感動していた。


 そしてカルメリータはこっそり悶えていた。『実はこれ……祐奈様とリスキンドさんが仲良く喋っていたから、割って入ったってことはないのかしら……?』と。実際のところどうだったのかは、ラング准将のみぞ知る、なのであるが。


 ラング准将の口調は静かであったのだが、リスキンドは彼の佇まいにただならぬ気配を感じたらしく、ちょっとだけ及び腰になった。


「ええと、まぁその……そうすね」


「女性にはしたことがないが、男相手にならある」


 これはなんというか『いい加減にしないと、お前にもするぞ』というメッセージに聞こえなくもなかった。リスキンドもそう感じたらしく、なんだか血の気を引かせているようなので、そんな彼の様子を見た祐奈はちょっと笑ってしまった。


「リスキンドさんも、ビンタしてもらったらいいんじゃないですか? シャキっとしますよ、きっと」


「祐奈っち、鬼か。ラング准将にビンタされたら、首がもげるわ」


「首がもげるわけないだろ」


 リスキンドの雑なボケにラング准将が律儀にツッコミを入れるという、なかなかにレアな光景が繰り広げられた。


「でもラング准将は一撃で人を殺せるから」


「お前は話を盛りすぎる」


「いや、今のは冗談じゃなくて、単なる事実なんですけど」


「とにかくもう祐奈をいじめるな。あれこれ言ったら可哀想だろう」


 ラング准将が呆れた様子でため息を吐いている。


「……ラング准将が相変わらず、祐奈っちだけに甘すぎる件……」


 リスキンドはブツブツ言っていたのだが、祐奈は『ラング准将、優しい……』と胸をトキメかせていた。


 しばらくのあいだリスキンドにいたぶられていたのに放置プレイ(?)を受けていたような気もするが、祐奈はラング准将が大好きなので、彼の言葉一つに、健気に感動してしまうのだ。


「――それで結局、何を訊きたいのですか?」


 ラング准将に尋ねられ、祐奈は六十八個目の質問をした。


「では、ええと……言われて嬉しくなる言葉は?」


「エド」


 彼が端的に答える。


 エドというのは彼の愛称だ。前に変身薬を飲んだ時、バノンでそう呼ぶように言われた。彼はあの時十三歳当時の姿になっていたから、『ラング准将』呼びが不自然だから、と。


 あれ以降、ラング准将のことをエドと呼んだことは一度もない。


 ――彼は他人から愛称で呼ばれるのが好きなのだろうか?


「今の答えは、あなた限定ですよ。――俺はあなたにまた『エド』と呼んで欲しい」


 祐奈はかぁっと頬が熱くなるのを感じた。『じゃあ、エド』……とこの流れで呼ぶのは自然な気もするのに、どうしてもそれができない。


 前にそう呼んだ時は、彼の見た目が幼く変化していたこともあり、緊張感を覚えなかった。


 だけど今の大人な彼を愛称呼びするというのは、明確に一線を越える行為のような気がしてしまう。


 祐奈は少し俯き、跳ねる自分の鼓動を聞いていることしかできなかった。


「呼んではくれないのですか、祐奈」


「あの、ラング准将……それは……」


 祐奈はぎゅっと太腿の上でドレスの布地を摘まみ、消え入りそうな声で続けた。


「今はちょっと、その……二人きりの時でも、いいですか?」


 とにかくこの場を切り抜けたくて、問題を先送りにしてしまった。


 ラング准将はそれを聞き、からかうような、それでいて柔らかな笑みを浮かべた。


 それで祐奈はますます居心地が悪くなってしまったのだった。


 ――リスキンドは目をパチクリしてそんな祐奈の様子を眺めていたのだが、やがて感心したような呟きを漏らした。


「ヴェールしていても顔が真っ赤になっているの、分かるぞ」


 ……ちょっともう、黙って。


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