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鏡の前に立って制服のリボンを慎重に、形良く結ぶ。とりあえずはオーソドックスなリボン形。
小鳥遊学園高校の制服の面白いところは、胸元のリボンが既に蝶々結びになっていて取り付けるようなタイプではなくて、それぞれが好きな結び方にアレンジしても良いところ。
青を基調としたタータンチェックのスカートと、トーンを合わせたネイビーのリボンは品があってとても可愛い。白いブラウス、生成に細い水色のラインが入ったニットベスト。その上に着るネイビーのジャケットには艶消しの金色のボタンが並ぶ。ボタンには、嘴にクローバーを咥えた小鳥の絵柄が刻印されていた。
「茉里奈ちゃん、準備できた?」
トントン、と音をさせて階段を上ってきたお母さんが戸口から覗く。まぁ、と目を細めて嬉しそうに笑ってから、はっとした顔になる。
「そうだ、写真撮らなくちゃ」
「えー、帰ってきてからでいいよぉ」
「だーめ、やっぱり朝じゃなくちゃ。ねぇ、お兄ちゃーん、カメラどこかしら? あら、お父さんも映るのよ? ちゃんとスーツ着てね」
バタバタしながら家族四人で写真を撮って、そのまま手を振って出発する。家の玄関の前で三人が手を振る姿は何だか面白くて、私は必要以上に大きく手を振った。
浮き足立っていたせいか事前に調べたよりも少し早い時間に駅に着いた。一本前の電車だけど、多少早い分には構わないだろうと乗り込んで、ちょうど空いた座席に腰掛ける。周りはスーツ姿のサラリーマンや、自分と同じような制服に身を包んだ学生、オフィスカジュアルの女性も多い。だいたいの人が眠そうにスマホの画面に目を落としている。
これから私の高校生活が始まる。友達たくさん出来るかなぁ。鞄からスマホを取り出してライン画面を開くと、直斗に「電車に乗ったよ」とメッセージを送り、それからイヤフォンを取り出して、お気に入りのポップスを流し始めた。
しばらくスマホでSNSをチェックし続けていて、なんだか電車の中が空いて来たように感じて顔を上げて、それでやっと違和感に気が付いた。高校の最寄駅に向かっているはずなのに、同じ制服の人が見当たらないのだ。もしかして乗り間違えたかも? 改めて周りを見回すと、隣のシートの向かい側の座席の端に、同じ小鳥遊学園の制服を身にまとった女の子がいる。良かった。大丈夫そう。
そう思った時、車内アナウンスが次の駅名を告げて、私はいよいよ立ち上がってしまう。だいぶ、違う方向だと思う、これ。
とりあえず次で降りるとして、さっきの女の子もたぶん乗り過ごしてるはず。
私はその子の前まで行くと、あのー、と声をかけた。女の子は分厚い文庫本を読んでいたけれど、ふと顔をあげてこちらを見た。よっぽど夢中だったのか、ぼんやりしている。
「あの、同じ高校ですよね」
「……ああ、そう、ですね」
「そしたら、乗り越してませんか?」
「え……」
その子は私の顔をじっと見て、それから辺りを見渡して、私と自分の制服を見比べて、それからまた私の顔を見た。うん、と頷く。
「ですね、降りますか」
「うん!」
彼女は、ホームに降りると桃井羽純と名乗った。私も自己紹介してお互いが同じ高校の新入生だと確認する。さて、私たちはこれから高校の入学式に間に合わなくてはならない。どうしてもかと聞かれたらそうでもないかも知れないけれど、そこは間に合わせたい。だって、入学式だもの。
私がラインで直斗に「乗り過ごしたみたい。遅れるかも」と報告している間、桃井さんは時刻表と路線図を見比べて何やら考え込んでいるようだった。
「どうしたの?」
「うん……何で乗り過ごしたのかな、と思って」
いま、それ考える必要ある? とは、正直思った。だとしても反論できるほどまだ仲良しになってはいない。桃井さんは、考え込む顔のままホームをゆるゆる歩いて反対側まで来ると止まる。くるりと向きを変えて、今度は元いた側へと歩く。そしてまた向きを変えて。
「あのう、電車に乗ったほうが」
いいのでは、と言いかけた時に放送が入って、乗って来たのと反対向きの電車がやって来ることを告げる。これ、と桃井さんが何かを指さすようなジェスチャーをした。それはきっと、放送されている音声内容の電車の事を指している。
「これ、乗ると大丈夫だから行こう」
「……あ、うん」
桃井さんに促されて乗り込んだ電車は空いていた。私たちは隣同士に座ってスマホで時間を確認する。乗り換えアプリの計算に寄れば、高校の最寄り駅に着くのは集合時間の少し前。駅から急げば間に合いそうだ。
私はホッとしてスマホから顔をあげたけれど、桃井さんはまだ画面を見たままで考え込んでいる。
肩口で切り揃えられたショートボブ。髪を染めている気配も、お化粧の気配もなくて、軽く開いたままの唇が少し荒れているのが気になってしまう。まつ毛はあんまり長くないけど綺麗にカールしている。これは自前だ、ちょっと羨ましい。頬のうぶ毛が窓からの光に透けていて、まるで果物みたい。
「わかった」
桃井さんがスマホから顔をあげてこちらを見た。やっぱりリップくらい塗ったほうが、などと思う。
「昨日の夜に調べなかった?」
「あぁ、路線検索」
言われてみれば。確かに寝る前に調べた。遅刻しないように、早めの時間に着くようにと集合時刻に三十分は余裕をもった時間で直斗と待ち合わせを決めていた。
「私もなんだけど、たぶんその時に昨日の日付のままで検索してるの、私たち」
新年度で、今朝から鉄道会社のダイヤ改正があったらしく、それと今朝から始まった他の鉄道路線の乗り入れも重なって、私たちは意図しない場所に連れて来られてしまった、らしい。
「美原さんが電車に乗る時に一本前だと思ったのは、改正後の新しいダイヤの電車だったからで、たぶんそのせいで発車時刻に見覚えがなかったんだと思う。それで私のほうは、時刻は同じだったけど行き先に見覚えがなかった。方向が合ってたから、違和感はあったけどそのまま乗ったんだよね」
やっぱ私も緊張してたのかな、と苦笑いする桃井さんは何だか少し変な子だけど、でもちょっと面白い。
「ねぇ、ライン交換しない?」
「え、あの、どうすればいい?」
私は笑ってしまいながら桃井さんのスマホ画面をタップする。友達第一号だねぇと言い合い、出身中学やら最寄り駅などから自己紹介をし、何となくお互いのプロフィールを把握するころには電車が込み合い始めて、私たちは無事に高校の最寄り駅に到着する。駅の改札を抜けると走り出しながら桃井さんが言った。
「同じクラスだといいね、美原さん」
「うちのことは茉里奈でいいよ!」
「じゃあ私も、羽純で」
人影がまばらになった掲示板前で、貼り出されたクラス分けは二人が見事に同じクラスになったことを告げていた。私たちはふたりして小さな歓声をあげた後、並んで教室へと向かう。
「あ。ねぇ、待って」
教室に入る前、羽純を呼び止めてから胸元のリボンを少しだけ手直しした。私よりも小さな背丈の羽純のリボンは、不器用なのか、細く結ばれたままだったから。実は電車に乗ってる時から気になっていたのだ。左右でバランスを調整してからふっくらと広げると、やっぱり可愛らしい形になる。
「ありがとう。茉里奈、器用だし優しいし、それにすごく綺麗だね」
「褒めすぎだって」
私はたちまち嬉しくなった。お礼を言いたいのはこちらの方だと思う。名前順で割り当てられた席も美原の「み」と桃井の「も」のおかげで私と羽純は前後並びだった。そこでもひとしきり笑顔になる。席に座ってから真っ先に私がした事は、直斗にラインでメッセージを送ることだった。
「友達できたよ」
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