幕間
回る
ちょうど高校生になるタイミングで、家族で夢のマイホームに移り住んだ。
それまでの団地暮らしとは格段に違う生活に胸のワクワクが止まらなかった。
初めて与えられた兄と別の居室。可愛いインテリアを、自分の好きなだけ(もちろん、予算の都合はあるけれど)飾れるというだけでも幸せ過ぎた。
フラワープリントのカーテン、ビタミンカラーのラグ、乙女趣味なルームライト。建売住宅だったけれど自分の部屋の壁紙なんかは選ばせて貰えたので、白いけれどキラキラした質感あるものを選んだ。
居室は南向きで明るく、窓を開ければ行儀良くならんだ同じような住宅の列が見渡せた。可愛らしくてアンティークな煉瓦や街灯を配した街並みは、小規模なヨーロッパのようにも見える。
小さな街並みの裏手には階段が続いていて、降りて行くとなかなか広い公園があってやわらかな風が緑を揺らしている。公園の中心を流れる小川では小鳥たちが遊び、清らかな水流は木造の水車を静かに回していた。
毎日ワクワクしていた。たくさん勉強してやっと同じ高校に進学できた大好きな直斗との時間も嬉しくて、お洒落には寛容な校風もあって毎朝髪を巻いたり、派手すぎず、でもギャルっぽいスタイルを目指したりしていた。あくまで「ぽい」であってギャルではない路線。そう言った時の直斗の面白そうな顔は忘れられない。
友達もたくさん出来た。いちばんの仲良しは羽純。部活も違うし、ファッションも違う、あまり似てないと言われる私たちは、入学式の朝に出逢ってから教室ではずっと一緒に過ごしている。羽純といると自分が自然な状態になるような気がする。ニュートラルってやつだろうか。呼吸が楽になると言うか、これが「気を許している」って状態なんだなぁと思う。
中学で出逢ったチアリーディングも高校では本格的になって、放課後ほとんど毎日ある練習は正直なところ少し辛かったけれど、その分、昨日は上手く決まらなかった技が今日は出来るようになったりもして、技の難易度が上がった分、達成感もあがって。だから部活も楽しくて、毎日仲間と励まし合いながらも笑顔でグラウンドに向かった。
とにかく毎日が充実してたから、だから。あの眩暈が起きた時、こんなの何でもないんだって、そう思った。
「あれ? ……なんか、目が回る?」
部屋にヨガマットを敷いて寝る前のストレッチをしていた時だった。視界が不自然に揺れたような気がして動きを止める。
すぐに、気のせいか、と追い払ってストレッチを再開した。朝、目が覚めてベッドから起き上がる時、やっぱり眩暈がする。着替えの途中で片足立ちになるとふらつく。階段を降りる時、平衡感覚がおかしくなり、ついにはうずくまってしまう。それでも不調を認めたくなくて、何でもない事って思い続けた。けれども。
その数日後、練習中に組んだフォーメーションからバランスを崩して落下した。これまで一度だってそんな目に遭ったこともなかったのに、落下する直前に感じたのは、あの眩暈だった。
病気を疑って近所のクリニックを訪ねてみた。眩暈の訴えを柔らかな笑みで聞いてくれたのは女医さんで、白衣の胸のポケットからウサギのマスコットがこちらを覗いていた。
耳の聞こえの検査と鼓膜自体の検査をして、片足立ちや、眩暈とは関係のなさそうに思える検査をいくつか受けて、結果の書かれたカルテを見ながらお医者さんが下した診断は「自律神経の乱れ」だった。
それは「思春期にはありがちなこと」なので、「そのうち止むから心配し過ぎないように」と笑顔のままで言っていた。それに思い付いたから付け加えるという体で、部活は眩暈が落ち着くまで休むよう勧められたのだった。
「お風呂できちんと温まって、ストレッチをして、夜更かしはほどほどにして睡眠時間をちゃんと取ってね」
「はい」
簡潔に返事をしながら、これで安心して良いのか、心配した方が相応しいのか、私にはまったく分からなかった。体中が不安を告げていた。
家に帰るとやっぱり眩暈はするし、立ち眩みのようになる。診察結果を聞いたママはほっとした顔を見せたけれど、スマホ画面をスクロールすると吐き気がこみあげてしまうので、情報を検索どころか誰にも相談すらできなかった。
何も分からないなりに処方されたビタミン剤をきちんと飲んで、気持ち長め湯に浸かり、いつもより早い時間に、まるで何かから隠れるようにベッドに潜り込んだ。
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