狐人の写真館

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狐人の写真館

 優しい飼い主に看取られ18年の生涯を終えた虎猫のテツは、目が覚めると浜辺にいた。ここが天国なのかとぼんやりしていると、海の中から得体の知れない人の形をしたモノが自分をジッと見ていることに気が付いた。彼らは水を含んだ身体を重たそうに引きずって……近づいている。


「半端者の狐人」

「尾が2つしかない狐人」


「何の力もない」

「何にもできない」


「魂を食らおうか」

「肉を食らおうか」


 全身からボタボタと腐った匂いがする肉を落としながら歩いている姿にテツはぎょっとした。だが彼は身震いをしながらも、敵意を向けてくる相手と戦うために指に力を込めた。


「お前らなんか俺様のこの爪で! ーーあれ? なんでこんなご主人様みたいな手になってるんだ!? 」


 テツは威勢よく言葉を発したものの、対抗する術が何もないことを悟るとーー恐怖におののいてペタンと座り込んでしまった。助けてと叫ぶこともできず、ブルブルと震えるだけで、動くことができない。


 ーーく、くそっ。家猫の俺を脅かす敵なんか、今までいなかったのに。……どどどど、どうしよう!? 


 勇気を振り絞って掴んだ砂を投げつけた。……だが彼らはせせら笑うだけで、歩みを止めることはなかった。万事休すと汗をだらだらと流していたテツは、ふと真後ろに気配を感じた。


「半端者はお前たちであろう? 生まれ変わるどころか、消えることも出来ない悪魂共が! うちの従業員に手ぇ出すんじゃないよ」


「九尾の狐人」

「黄泉街の狐人」


「我らを葬るか? 」

「我らを消し去るか? 」


「お望みなら跡形もなくきれぇいに塵にしてやるぞ。嫌ならさっさと地獄へ帰りな」


「あな恐ろしや」

「恐ろしや」


 九尾狐人を恐れた悪魂たちは波打ち際まで戻ったが、躊躇するように立ち止まった。彼らはそこから動かずに周囲をキョロキョロと見渡している。


 その様子に九尾狐人が苛立っているとーー手にこん棒を持った赤鬼と青鬼が海から現れた。海の上をスタスタと歩いて悪魂に向かってこん棒を振り下ろしている。


 巨大な体躯に驚愕したテツは座ったまま後ろにスササササと後退ったが、小さな蟹がお尻で作った溝を歩いている姿に興味をそそられてしまった。……子猫のように目をくりくりさせて蟹に覆いかぶり、捕まえようと必死になっている。


 九尾狐人はそんなテツに顔をほころばせていたが、スッと表情を変えてーー捕まえた悪魂たちを籠に入れている鬼に向かって怒鳴り声を上げた。


「ちょいと! 来るのが遅いじゃないのさ! 」

「ツムギさま、申し訳ありません。その……いろいろ立て込んでおりましてーー」


「言い訳なんかいいから! さっさとそいつらを連れて帰っておくれ。毎回言ってるけど、2度とこんなことはごめんだよ! 」


「すぐに穴は塞ぎます。お怒りはごもっとですが、どうかお許しください。では失礼いたします」


 ガタガタと動く籠を小脇に抱えた赤鬼と青鬼は海の中に消えていった。無邪気にも蟹を捕まえていたテツはハッとしたように九尾狐人のツムギを見上げた。


「うわぁ、キレイな人だなぁ」


「はははっ! 毎日、見ているというのに何を今さらーー。おや? お前……魂の色が違うね。そうか、入れ替わったのだね。私がいない時に……」


 ツムギは目頭を押さえて、今までの思い出を振り返った。もう何代目かも忘れてしまったテツの思い出を……綺麗な宝石箱に入れて心の宝物庫に置いた。


「それでは改めて挨拶しようかね。私は黄泉街で写真館を営んでいる狐人のツムギと言う。そしてお前は従業員の狐人のテツだ。さぁ、仕事に戻るよ」


「仕事? 俺の仕事は寝ることだぞ。それに狐じゃない」

「その姿を見てもそう思うのかい? 」


 テツの顔や身体は猫ではなく、ツムギと同じように人型だった。茶色い髪にはふわっとした毛並みの髪と同じ色の耳が乗っていた。そして黒いズボンのお尻からはーー。


「あれぇ? 俺は細長い尻尾だったのに、ふさふさが2本もあるぞ。おかしいなぁ。それにこの前足や身体は、ご主人様みたいな人型になってるぞ」


「ここで過ごしていれば、そのうち気にならなくなるさ」

「猫だった俺が天国で仕事するなんて不思議な気分だ」


「ここは天国ではないよ。そもそも、そんなものは理の中に存在しない」

「地獄はあるのに天国はないのか!? 」


「あはははっ! 死んだ魂が天国なんかに留まった日にゃぁ、この世はがらんどうになっちまうじゃないか」



 テツは写真館に着くまで雇い主であるツムギを質問攻めにした。彼女は嫌な顔もせずに、右耳だけにつけている房の付いた耳飾りを揺らして笑顔で答えていた。


 ーー死んだらすぐに天秤に乗せられて、私利私欲にまみれた悪魂は地獄に落ちるのか……そうでないものはすぐに生まれ変わるなんてビックリだな! 


「あれ? じゃあ俺は、何でこんなところにいるんだい? 」

「その理由は、この黄泉街でテツ自身が探さないといけないんだよ」


 なんだかよく分からないとブツブツ言いながら、下を見て歩いていたテツは立ち止まったツムギの9尾にポコンとぶつかった。ふわふわした毛が気持ちよくて、枕を抱きしめるように思わず抱えると、頭をコツンとグーで叩かれてしまった。


 テツが猫の時は撫でられたのにーーとボソッと言ったのを聞いたツムギは毬を弾ませるようにテツの頭を撫でた。ニヤニヤといたずらっ子のように笑っている。


「もう! 社長ったら、意地悪しないでよっ」

「ははは。いいじゃないか。楽しいスキンシップだよ。それにもう着いた」


「おや? 屋根のてっぺんに十字の造り物が刺さっててるけど、ここが写真館なのか? ご主人様の娘ちゃんの絵本で見た……教会ってやつにそっくりだ」


「へぇ、家猫だったのにずいぶんと物知りなんだねぇ。お前が言う通り、ここは教会だ。写真館じゃぁない」


「写真館に向かってたんじゃないのか。なんでこんなとこに来たんだい? 」


「それは、これから仕事があるからに決まってるじゃないか。働かないと、おまんま食い上げになっちまうだろ? 」


「死んだのに飯の心配しないといけないのか……」


「お前の家賃と飯代は給料から天引きだから、しっかり働いておくれよ。ーーそれと、これはお前の写真機だ」


 カメラのストラップを首にかけられたテツは困惑した。見たことも使ったこともないアイテムに目を白黒させている。


「こんなの使ったことなーーいや、ご主人様のすまーとなんちゃらってやつで自撮りしたことはあったな……。だけど、見た目が全然違うぞ。なぁ、社長さんこれはどうやって使うんだい? 」


「ファインダーを覗いたら、心魂を込めてシャッターを押せばいいんだよ。じゃあ、あとは任せたよ」


「おい待ってくれ! 独りでいきなり仕事させんのか? 参ったな……右も左も分からないというのにーー」


 教会の敷地内から坂を下っていくツムギを見送りながら、テツは渡されたカメラをのあちこちを触った。身体が覚えているのかすぐにファインダーとシャッターというものが何かはすぐに理解できた。ただ、心魂というものがよく分からなかった。


「乗り掛かった舟だ。オスは度胸で波を乗り越えろ! ……ご主人様の言葉はいつ思い出しても、心にしみるな……」


 主人に可愛い可愛いと頭を撫でられた記憶にテツが浸っていると、教会の扉がガチャリと開く音が聞こえた。狐の耳をピクリと動かして、扉の前に立っているシスターに目を向けた。


「写真館のテツさんですね。お待ちしていました。ちょうど今、花嫁が支度しています。そのシーンから撮って欲しいとのことですので、こちらにどうぞ」


 扉から入ってすぐ左に進んだ先に、下の階に降りるスロープが見えた。ロウソクに照らされた緩やかな坂には赤い絨毯は敷かれている。そこに足を1歩踏み入れたテツは、瞬時に支度部屋のドア前に着いたことに驚いて目を大きく見開いた。


 思わずヒャッと声を上げた彼をクスクスとシスターが笑っている。恥ずかしそうに顔を赤らめながら、部屋に入ると真っ白なドレスを着た花嫁が待っていた。


「これからベールをつけるところなんです。写真屋さん、それを撮ってもらえますか? 」


 鈴を転がすような可愛らしい声で話す花嫁は白いふわふわの毛を身にまとったネズミだった。彼女は支度用の丸い椅子の真ん中にちょこんと座っている。ここまでテツを案内したシスターは小さなネズミの頭に乗せるベールをピンセットでつまんだ。


 一瞬だけ、テツは、えっ!? と思ったが、すぐに当たり前のように身体が動いた。嬉しそうな笑顔を見せる花嫁をファインダーで切り取り、シャッターを押した。


「写真屋さんは、こんな年寄りが今さら結婚式だなんて驚いているかしら。私の人生は、あの人の子どもを産んで、育てていたのに……浮気された悲しいものだったわ。でもね、その彼が結婚式をしようって言ってくれたの」


「そうだったんですね。えっと、……お子さんは式に参列されるんですか? 」


「フフフ。私の可愛い子どもたちは……たくさんいたけど、その分だけたくさんの別れがあったわ。生き残ったあの子たちは元気にしているかしら」


 遠い目をしている彼女を見たテツはサッと目をそらして、バツの悪そうな顔をした。家の中をうろついていたネズミを爪を出した前足でなんども転がし、牙を突き立てて遊び倒したことを思い出したからだ。テツは責められているような気がして、目を泳がせた。


 ーーまさか、アレは……この花嫁の子どもだったのか? いや、でもそんなはずは……。


 気持ちを誤魔化したくなったテツは、ファインダーを覗いて、ベールをかぶった花嫁が屋根のない馬車に乗る瞬間をカメラに収めた。そんなテツの心を見透かしたのか、ネズミの花嫁がフフフと笑った。


「いいのよ、それが自然界の……理ですから。私は短い生涯だったけど、素敵なドレスに包まれて美しいブーケを持って……愛する人とまた結婚できる。なんて幸せなのかしら」


 ーー短い生涯? 社長は死んだらすぐに生まれ変わるって言ってたよな? じゃあ、俺のように黄泉街の住人になって、結婚式を……。う~ん、猫の頭じゃ、分からん! 理解不能だ。


 頭が痛くなってきたテツは考えることを止めて、花嫁が乗った馬車を追いかけた。シュツとすぐに教会のホールに移動したが、今度は声を上げなかった。堂々とした態度で、花嫁に付き添っているシスターにドヤ顔を見せた。


 花嫁は白いかすみ草の花を小さな手に持って、ネズミには大きすぎる教会の扉前に立った。緊張して少し肩を震わせていた彼女は、パイプオルガンで厳格な結婚式の曲が奏でられると、遠い祭壇まで参列者がいない椅子の間に敷かれている赤い絨毯の上を歩き始めた。


 その様子に魅入られていたテツはしばらく、ぼうっとしていたが、慌てたようにを手に持っている一眼レフカメラで、彼女の真後ろから静かにシャッターを切った。祭壇の向こうの壁にある美しいステンドグラスと淡く輝いているネズミの花嫁にテツは感動を覚えた。


 テツはこの美しいシーンを写真に収めなければいけないという心に突き動かされ……自然と身体を動かしていた。ファインダーを覗いて考えるだけで、あらゆる角度から撮影できることに少しも疑問を抱かず、当たり前のようにシャッターを切っている。


 フラッシュがないカメラを持ったテツは薄暗い通路に身体を屈めた。レースのベールをズームアップして、うっすらと浮かび上がる緊張した表情の彼女の時間を切り取り、すぐに俯瞰からホール全体をカメラに収めた。


 ーーもう6枚目だよ。枚数に気を付けて。


 夢中になってファインダーを覗いていたテツは頭に響いた声にハッとした。フィルムカウンターに目を向けて確認している。


 ーーあっと、いけない。12枚フィルムだったな。あとは新郎と一緒じゃないと駄目だ。


 飼い主が使っていたようなデジタルではなく、フィルムを使うカメラだったと当たり前のように考えながら、テツは厳かに進んでいる結婚式を見守った……。 


 花婿の元にたどり着いた花嫁は少しうつむいて牧師の言葉に耳を傾けている。2人の緊張感が伝わったのか、テツの手のひらに薄っすらと汗が滲んだ。目線を彼らに向けたまま、黒いズボンで静かに拭き取りーーカメラを構えた。


 カシャン。


 花婿と花嫁が向かい合う静かなシーンだというのに、ホール全体に音が響き渡った。牧師が険しい表情でじっとテツを見ている。


 ーーし、しまった。こんなに音が大きく聞こえるなんて思わなかった。


 雰囲気を壊してしまったことにかなり焦ったテツは全身から冷や汗を垂らした。


 だがネズミの男女はそんなことは気にしないという風に、微笑みながら見つめ合っている。花婿がベールをそっと掴んで……ゆっくりと上げた。テツは素晴らしい瞬間を思い出として残すためにーー気を取り直してファインダーを覗いた……。


「なんだこの醜悪な老婆は!? 」


 テツは耳を疑うような言葉にギョッとした。ファインダーの中で美しい花嫁が大蛇に飲み込まている。ーースローモーションのように感じた瞬間……反射的に動いた指がシャッターボタンを押した。


 ーーあ、写真撮ってる場合じゃない! なんてやつだ! テツは慌てて大蛇の口から花嫁を救出しようと駆け出した。


「おい、すぐに花嫁を吐き出せ! 」


 怒鳴り声をあげながら、テツは牧師だった大蛇に掴みかかろうとした。だが、大蛇は沈黙を保ったまま大きな肢体をくねらせてテツに体当たりをすると、教会の扉を突き破り、逃げ去ってしまった。


 追いかけようにも、あっという間に大蛇の姿が見えなくなりーーテツはどうすることもできなかった。


「嘘だろ……なんでこんなことに。そこのシスター、説明しろよ! くそっ、逃げやがった……あいつも蛇だったのか。ーーあっ、花婿は? おい、大丈夫か! 」


 花嫁を食べられてしまった花婿は祭壇の前でハラハラと涙を流していた。彼はヨタヨタと赤い絨毯を歩きながら……自分を責めている。


「あぁ……。私は失敗してしまった。また私は妻を悲しませてしまった。きっと彼女は失望している。今度こそ私を見捨ててしまう……ううっ…‥」


「悪いのはあんたじゃなくて、あの大蛇だろ? 俺も助けられなかった、すまない……」 


「いいえ、いいえ。写真屋さんは悪くありません。すべては今までの私の行いが悪いせいです……。妻の願いを叶えれば、一緒に帰れるはずだったのに、私は最後の最後で……なぜあんなことを思ったのか」


「話がよく分からないんだが……」

「写真屋さん、ありがとうございました。私は……白いベッドに戻ります」


 灰色の毛並みを持ったネズミの花婿は深々とテツにお辞儀をすると……白髪頭と白い髭の老人に変わった。教会の真向かいにある黄泉街の駅に向かってトボトボと歩いている。そんな彼の後ろを、テツは静かについて行ったーー。


 老人はいつの間にか足を上げずにスーっと滑るように移動していた。後ろを振り返ることなく、無言のまま改札を通り過ぎていった……。駅構内入ることはできなかったテツは改札口から、この世行きの電車に乗る老人を見送った。


「この世行き? どういうことだ? 」


 初仕事だというのに不可思議で釈然としない状況に、テツの心の糸はぐちゃぐちゃに絡まってしまった。この紐をほどくには写真館の主である九尾狐人のツムギに尋ねるのが良さそうだ。そう思ったテツは写真館を目指して、転がるように坂を降りていった。



「ただいま戻りました。って、なんでここが写真館だって俺は分かったんだ!? ぜんぜん、普通の1軒家っていうか、まったくもって、それらしくない建物なのに! 」


「ははは! そりゃぁ、身体が覚えているからに決まってるじゃないか。お帰り、テツ。仕事は順調に終わったかい? 」


「え、あぁ……それが、その……花嫁が食われちまって、牧師が大蛇で、花婿が爺さんでーー何がなんだか……」


「ふ~む……。あの男は失敗してしまったんだねぇ。イザナキと同じになったのか。そうか、残念だ」


「イザナキ? 社長さん、あのネズミの夫婦は黄泉街の住人じゃなかったのか? 」


「テツ、私のことをまだ社長だなんて! よそよそしい呼び方はやめておくれ。悲しくなるよ」


「ええっと、じゃあ、ツムギさま? うーん、ツムギさん? 」


「……以前のように、ツムリンとは呼んでくれないんだねぇ。入れ替わったのだから仕方ないとはいえーー」


 何度もため息を吐くツムギに何て言ったらいいのか分からず、テツは汗をまき散らすように困惑している。その様子にフッと笑みを漏らしたツムギは、先ほどのテツの質問にゆっくりと答え始めた。


「ここは生者が暮らすこの世と、死者を振り分ける天秤があるあの世の狭間なんだよ。この黄泉街には妖怪のようなモノから、ファンタジー的な妖精まで……色んなモノが住んでいるんだが、時々……やってくるんだよ。この世から客がね」


「ネズミの夫婦はこの世から客だったってことなのか。あの奥さん、子どもをたくさん産んだけど、旦那さんに浮気されたっていう話してたぞ」


「ははは。彼らには彼らの事情がいろいろあるんだよ。我々は必要以上に、それに首を突っ込んではいけないよ。さて、フィルムを回収するから写真機をこちらにーー」


 テツは言われるがままツムギにカメラを渡した後も、ずっと考え込んでいた。もしかしたら老人の清らかな心がネズミで、あの大蛇は醜い心を現していたのかもしれないとーー。


「あれ? ということは、あのシスターって、花嫁の……。なんか腑に落ちないっていうか、俺は振り回されただけなのかな? 」


「おや。まだそんなことを考えていたのかい? 夫婦の愛憎なんてものは他人にはわからないさね。いい加減に忘れてお終いなさい」


「ツムギさまは、意外にあっさりしてるんだね。俺はご主人様に撫でられたくて、顔色を伺う癖があるから、つい気になっちゃうんだ」


「あっさりに見えるかい? そうでもないと長くは過ごせないからねぇ……。それよりも、さん付けから、さまに変わった方が、私にとっては一大事だよ」


 ツムギは残念そうな顔をしながら、クランクで巻き終わったフィルムを裏ブタを開けて取り出した。柔らかい布でキュッキュと優しく磨いている。虹色に輝いているソレは、フィルムというよりも宝石やクリスタルに見えた。


 灯りに透かして純度はまずまずだなと言うツムギの様子からもこれは、この世にあるものとは違うんだなとテツは思った。


 ーーいや、俺は本物のフィルムなんか見た事なかった。……まぁ、どうでもいいか! これ、全部……撮り終わったやつなんだろうか。


 テツは店内にあるショーケースにおでこをくっつけて眺めていた。キラキラと色とりどりに輝く、たくさんのフィルムは大きな宝石のようだった。キレイにカットされたものは光が当たるとさらに美しく輝いた。


 すっかり心を奪われたテツは食い入るように並んでいるフィルムを見つめた。


「凄くきれいだ。……転がして遊んだら楽しそうだな。この紙は値札ってやつか? どれどれーー」


 それらの傍にある値札の0が、何個あるのかをテツは数えていたが、すぐに眠気が襲って来た。あまりの多さにどうやら考えることを脳が拒否したらしい。


 目をゴシゴシと擦りながら、窓際にあったカウチソファに座ると……カランとドアベルの音が鳴った。


「ご機嫌よう、ツムギ殿。良い物が入ったという知らせをありがとう」


「ついさっき鳥を飛ばしたばかりだというのに、ずいぶんと早いね。それほど待ち焦がれていたのかい? これが阿舎利どののお眼鏡にかなうといいがね」


 黒い帽子を深く被り、黒いマントに身を包んでいる阿舎利と呼ばれた者は店内にある豪華な金刺繍を施された白いソファーに座った。一見、大柄の紳士のようだが、どう見ても人ならざるモノで、妖怪の類に違いないとテツは思った。


 阿舎利の帽子とマントの襟の隙間には幾つもの目玉が動いている。ぎろりと睨まれたテツはゾッとして全身の毛がぶわっと逆立ってしまった。目線を外した後もふっくらした尻尾はなかなか直らなかった。


 ーーまずい、上客だったら失礼だよな。くっそ、早く元に戻さないと……。


「ツムギどの、あの子ギツネはーー」


「阿舎利どの! こちらがお知らせしたフィルムですぞ。さぁ、じっくりご覧あれっ。さぁ、さぁ! 」


「……ふむ。愛と憎しみが渦を巻いて虹色に輝いている。混沌の中で罵り合う男女が見えるな。ハハハ! これはーー私が想像していた以上に素晴らしい。今から何に加工しようか夢が膨らむのを感じる」


「気に入ったようだね」


「こんなにワクワクした気持ちになったのは久しぶりだよ。ツムギどの、おいくらかな? 言い値で買わせてもらうよ」


「そう言っていただけるとありがたいね。実はそれは、あそこにいるうちの子が撮ってきたものなんだよ」


「ほう……それはこれからも期待できそうだな。娘の誕生日祝いのフィルムを探している。これよりも淡い光で、菫色のモノが良い」


「注文票に書いておくよ。おっと、それのお代ですがね……これでどうでしょ? 」


 ツムギがカチカチを弾いたソロバンを見せると、阿舎利は首を縦に振ってすぐに、大袋をドスンと長机に乗せた。世話になったと言って立ち上がる彼の前で、テツは氷のように固まったお辞儀をした。


「そんなにかしこまる必要はない。心魂を込めたモノを、次もまたよろしく頼む」


 緊張しているテツの頭をぽんぽんと優しく叩いた阿舎利は満足した表情で帰っていった。


「こ、怖かった……」


「おやおや。阿舎利どのは、あのような風貌だがとても優しい紳士だよ。気に入られたようで良かったじゃないか。ーーそうじゃなかったら、今頃……考えただけでも恐ろしい。危うくテツがこの代で終わるところだった……」


「ツムギさま、もしかして気に入られなかったら……俺は食われたんじゃ……」


「過ぎたことは気にしなさんな。と、いうわけで、阿舎利どのの注文もあるし、次の依頼にいっておくれ」


「ええ!? ツムギさま、連続すぎないか? 俺は今までちょっと活動したら寝るっていう生活をーー」


「あたらしいフィルムを入れたから、ほらほら! 稼げるうちに稼がないと、干された時に困ることになるよ。はい、このカバンに地図と依頼内容が入ってるから。ーー読めるよね? いってらっしゃっぁ~い」


 矢継ぎ早に喋るツムギから、カメラとカバンを渡されたテツはポイッと外に追い出されてしまった。猫だった時の穏やかな生活を思い出してしょんぼりとうなだれた。


「なんという人使いが、いや猫使いのーー違うな。狐人使いの荒いお方だ……。こんなに長く起きてるなんて、今までなかったのに。……ご主人様の膝が恋しいよ」


 テツはカバンからゴソゴソと依頼内容と地図を取り出して確認するとーーこれがご主人様から聞いたブラック企業というヤツか! と言って、薄暗い坂道を降りていった。

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