第24話

「ビッグ・ラビット二体の討伐か。初めての依頼に丁度いいな」


 冒険者ギルドに到着した僕とリズは、掲示板に張り出された依頼の数々から、受注する依頼を選択した。僕は武器を調達するためのお金さえ稼げれば何でもよかったので、最終的にはリズが依頼を選んだ。


 ビッグ・ラビット――ルメリア村の畑荒らしを未然に防ぐため、以前、僕が倒した相手である。接近されたら危険なので遠距離攻撃で仕留めたが、今回は二体いるため別の対策も考えねばならないだろう。ビッグ・ラビット一体だけならその脅威度はB級とされているが、二体いるためこの依頼の難易度はA級になっていた。


 とはいえ、僕とリズの実力ならもう少し上の難易度に挑んでも問題ないはず。

 リズがこの難易度の依頼を敢えて選択した理由は……恐らく、仲間である僕がまだ信頼されていないからだろう。


「リズはどうして、冒険者になったんだ?」


 ビッグ・ラビットの生息地である森へ向かう道中、僕はリズに質問した。

 戦いの時は近づいている。勝率を上げるためにも、少しでいいから信頼関係を築きたかった。


「……お金を稼ぐため」


「金? 金に困っているのか?」


「別に……ただ、学園を卒業したところで、就職できるとは限らないから」


 存外、俗っぽい理由である。

 けれどこれは彼女の本心。その言葉も原作通りである。


「堅実な人生設計ってやつか」


「そんなんじゃ、ない」


 リズは微かに視線を下げて告げた。


「私は……人を、信用していないから、一人でも生きられる道を探っているだけ」


 さっきからリズは、一度も僕と目を合わせてくれなかった。

 そんなリズに、僕は自分がルークであることを強く自覚しながら告げる。


「そうか。なら今日の俺の目標は、リズに信用されることだな」


「……無理だと、思うけど」


「無理じゃないさ」


 僕は微笑を浮かべて言った。


「たとえどれだけ困難な目標でも、諦めなければ必ず叶う」


 リズは目を丸くした。

 しかしすぐに冷たい目つきで睨んでくる。


「……それは、貴方の信条であって、私には関係ない」


 ごもっとも。

 正確には、僕ではなくルークの信条だけど。

 僕の信条は、ルークの信条を貫くことである。


「そろそろ目的地だな。警戒するぞ」


「言われなくても…………っ!?」


 リズが気を引き締めた瞬間、巨大な炎が僕たちの前を横切った。

 辺り一帯の木々が薙ぎ倒され、激しく燃焼する。


 何が起きている?

 僕とリズは茂みに身体を隠し、状況の把握に努めた。


「ビッグ・ラビットが、何かと戦っている……?」


 二体のビッグ・ラビットのうち、一体が先程の炎に呑まれて絶命した。

 今、二体目も炎に焼かれてのたうち回っている。

 その炎を生み出した主は――。


「バジ、リスク……っ」


 リズが驚愕に目を見開いた。

 バジリスク――ドラゴンに並ぶ脅威度であるS級の魔物だ。


 全体のシルエットは巨大な蛇と言えばいいのだろうか。真っ黒で硬い鱗に覆われており、その口からは高温の火を吹くことがある。


 最大の恐ろしさは、その巨体だった。

 ドラゴン一体くらいなら丸呑みできるその大きさは、対峙するだけで強烈なプレッシャーと化す。バジリスクはそれほどの巨体でありながら地面に潜って気配を断つこともできるため、発見が遅れやすい危険な魔物なのだ。


「……っ」


 そのプレッシャーに耐え切れず、リズが後退る。

 しかしその時、リズが地面に落ちていた小枝を踏んでしまった。


 パキリ、と音がする。

 刹那、巨大な蛇がこちらを振り向いた。


「リズ、逃げろ!!」


 次の瞬間、僕はバジリスクの突進を受け止めていた。

 激しい衝撃波が木々を揺らし、地面に大きなクレーターができる。あの巨体からは信じられないほどの速さだ。


 身体がでかいバジリスクは、その一挙手一投足が広範囲に及ぶ攻撃となっている。加えてこの速さ……リズを庇いながら戦うのは厳しそうだ。


 いったん撤退しよう。

 その提案をするためにも、一度バジリスクを引き付けてリズから遠ざけたい。

 そう思った直後――土の棘が、バジリスクに直撃した。


「貴方に……借りは、作らない……」


 リズが《アース・ニードル》を発動したらしい。

 だがそれは悪手だった。


 ドラゴンよりも頑強な鱗に覆われたバジリスクは、土の棘を受けても傷一つつけることなく平然としている。

 バジリスクが、振り向いてリズを睨んだ。


「リズ――っ!?」


 僕が動くよりも早く、リズはバジリスクに丸呑みにされた。




 ◇




 ルーク=ヴェンテーマと名乗った少年は、とにかく異様だった。

 リズが初めて彼と会ったのは、冒険者ギルドでのこと。試験官からは彼と協力して試験を受けろと言われたが、彼のことを信用していないリズはそれを断った。


 空気を悪くしてしまった自覚はある。

 きっと、いつものように責められるのだろうなと思ったが……。


「……つまり、一人で戦いたいってことか?」


 ルークは純粋な眼でそんなことを言った。

 苛立っている様子は微塵もない。こちらを責める様子もない。

 表には出さないが……調子を崩されるな、と思った。


 その翌日。

 一緒にギルドで依頼を受けた後も、リズはルークに調子を崩された。

 ルークを信用する気はない。そう告げたリズに対して――。


「無理じゃないさ」


 ルークはこちらを見つめながら、はっきり言った。


「たとえどれだけ困難な目標でも、諦めなければ必ず叶う」


 青臭い子供の理屈のように聞こえた。

 しかし、何故か――その言葉には説得力のようなものがあった。


 これだ。

 ルークから感じる強烈なの正体。


 強く、熱く、重く、神々しく、そして太陽のように輝く存在感。

 意志の強さと表現すればいいのだろうか。彼の態度や言葉からは、絶対的な意志というものを感じる。


 まるで、己の中に神を飼っているかのような凄まじい熱量だった。

 決して穢れることのない、何人たりとも遮ることができない、絶対の神。ルークが宿している意志とは、きっとそういうものだった。


 今まで出会った誰とも違う。

 ルークからは、世間一般の常識なんかに負けない圧倒的な強さを感じた。


 だから――ほんのちょっとだけ、期待してしまった。

 この人は、のかもしれないと。


「……ルーク」


 バジリスクに丸吞みされたリズは、無意識に彼の名を呟いた。

 この状況で自分を助けられる他者はルークだけだ。しかし――リズはすぐに、いつも通りの冷静な心を取り戻し、悟った。


(…………終わった)


 リズはバジリスクの習性を知っていた。

 バジリスクは狂暴な性格だが、食事はあまりしない。獲物を嚙み砕くことなく丸吞みしたあと、それを腹の中でゆっくり溶かし、できるだけ長持ちさせるからだ。


 いわばバジリスクの腹は、食糧庫と言ってもいいだろう。

 大事な食糧庫は、とても頑丈に作られている。試しに土の棘を放ってみたが、バジリスクに変化は見られない。自力ではここから出られないことを早々に察した。


 ルークは、きっと来ないだろう。

 なにせ――――逃げる言い訳は山ほどある。


 鱗が硬くて、手持ちの武器では歯が立たなかったとか。

 バジリスクに火を吹かれて、迂闊に近づけなかったとか。


 そもそもリズが今こうしてバジリスクの腹の中にいるのは、リズ自身の失態が原因だった。力量の差を読み違えた自分が悪い。その自覚がある。


 だから、ルークがリズを助ける義理はない。

 本来の討伐対象であるビッグ・ラビットは、既にバジリスクが倒してくれた。なら後はその事実だけギルドへ報告すれば依頼は達成となる。

 リズを助ける必要はない。


(……使うか)


 結局、ルークも他の人間と同じだ。

 皆そうだった。父も、母も、族長も、故郷にいる友と呼び合っていた人たちも。誰もかれもが最後は自分のもとから去っていく。

 だから一人で生きていく道を探っていたのだ。


 が緩やかに解ける。

 耳が長くなり、体内の魔力が増幅される。


「闇よ、在れ……《ダーク・ファング》」


 漆黒の牙が顕現し、バジリスクの腹を抉る。

 だが、これでもバジリスクは少し呻くだけでそこまで苦しんではいない。

 分かってはいたが……。


(効かない……)


 この魔法は、魔物用ではない。

 リズは、他人を信頼していないくせに、一人で何でもこなせるわけではなかった。


 きっと自分は傲慢なのだろう。

 分かっている。それでも……別にいいじゃないか。

 私はただ、これ以上、傷つきたくないだけなのに……。


(私は……こんなところで……っ)


 打つ手がない。リズは唇を噛んだ。

 バジリスクの消化液が頭上から垂れてくる。腹に含んだ餌を栄養に変える時がきたようだ。


 このまま、嬲られるようにジリジリと身体を溶かされて終わりか。

 己の命を諦念し、心を閉ざそうとしたその時――。


 ――業火が、リズの前に現れた。


 燃えるような真っ赤な髪に、強い意志を孕んだ瞳。

 ボロボロの剣を携えたその少年は、バジリスクの腹を両断して、その隙間からリズを引っ張り出した。


「よお、大丈夫か?」


 死を覚悟した直後のことだったので、リズは硬直していた。

 腹を裂かれたバジリスクは既に絶命している。やはりこの少年の強さは本物だと思いつつも、自分が彼に助けられたという事実が未だに受け入れられない。

 しかし、ルークの目がこちらの顔を見つめた時――リズは我に返る。


「その耳……」


「っ!? 見ないで……っ!!」


 今更遅いと分かっていながらも、リズは耳を隠した。

 長い、先端が尖った耳。しかしと比べると少し短い耳。 


「ハーフエルフか」


 ルークが、リズの抱えるものを言い当てる。

 リズは口を噤んだ。無言の肯定だった。


 ――ハーフエルフ。


 それは、エルフが他種族との間に産み落としたのことである。

 エルフは神聖な種族とされている。エルフは精霊ほどではないが動物というよりは魔力生命体の性質を持つため、精霊に近い存在なのだ。精霊が神聖視される文化が根付いているこの世界において、エルフはそれに準ずる高貴な種族とされていた。

 

 だが、エルフとそれ以外の種族の間に産み落とされた混血――ハーフエルフは忌み嫌われている。


 何故なら、ハーフエルフは闇の魔力を宿す。

 闇はとても強力で恐ろしい属性だ。特に、という性質が忌み嫌われる理由となっている。


 魔物には効果が薄く、人に対してのみ本来の効果を発揮するのだ。そこに術者の意図は含まれていないが、闇属性を悍ましく感じる理由としては十分過ぎる。


 闇属性の魔法は先天的な素質がないと使えない。

 ハーフエルフはその数少ない例の一つだ。

 だからこそハーフエルフは、呪われた血とされている。――生まれつきの悪なのだと。


 ハーフエルフは純血のエルフと同じように金髪に白い肌をもって生まれる。しかし闇属性の魔法を使い続けると、徐々に髪が銀色に、肌が浅黒くなっていく。

 姿が完全に変貌したハーフエルフは、ダークエルフと呼ばれていた。


 リズはダークエルフになりたくなかった。だからできるだけ闇魔法を使わないように注意していたが……。


「……これで、分かったでしょう。私が、人を信用しない理由が」


 リズは自嘲気味に言った。

 結局、闇の魔法を使おうが使わまいが、関係なかったかもしれない。

 ハーフエルフの時点で忌み嫌われているのだ。それなら外見が変わってダークエルフになったところで今更である


「今まで、散々裏切られてきたのよ。親に、故郷のエルフたちに……外に出てもずっと疎まれてきた。どうせ貴方も……私のことが嫌いでしょ?」


「ん? なんでそうなる?」


 ルークは、本当に意味が分からなさそうに首を傾げた。

 騙されるな。こんなふうに善人を気取った奴は、今まで何人もいた。

 だが結局、彼らも最後には自分のもとを去っていった。


「無理、しなくてもいい。……嫌われることには慣れている。それに……貴方は一応、私を助けてくれたわけだし。攻撃する気はない」


「さっきから何を言っているんだ? 百歩譲ってリズが俺のことを嫌っているとしても、俺がリズを嫌う理由はないだろ?」


「……は?」


 どうにも話が通じていない気がして、リズは怪訝な顔をした。


「……まさか、ハーフエルフを知らないの……?」


「知っているさ。だが、リズは俺の敵なのか?」


「……敵じゃ、ないと思うけど」


「じゃあ何も怖いことはないじゃないか」


 そんな、単純なことじゃ――。

 目の前の少年に対し、リズは言葉を失う。


 何を言っているのか、こっちもよく分からなくなってきた。

 自己満足の綺麗事をべらべらと述べたいだけだろうか? ……そういう輩も過去にはいた。自分は差別しない。自分は先入観なんて持たない。そういう言葉を口にする人間ほど、結局は口先だけでいざという時は逃げ出すのだ。


 しかしその時、リズは気づいた。

 ルークの腕が痛々しく火傷していることに。


「その火傷……」


「ん? ああ……慌てて助けたからな。バジリスクが火を吹いてきたんだが、無視して近づいたらこうなったんだ」


 火には慣れてるつもりなんだけどなー、と茶化すようにルークは言う。

 しかしそれは、不可解なことだった。


「……貴方の実力なら、もっと楽して解決できたはずなのに……どうして、そんな無茶を……?」


 冒険者ギルドで見たルークの実力は、極めて高かった。バジリスクは強敵だが、時間をかけて丁寧に戦えば、ルークなら簡単に倒せただろう。


 なのに何故、こんなに強引に決着をつけたのか。

 そんなリズの問いに対し、ルークは少し気恥ずかしそうに答える。


「人を、信じていないって言ってただろ」


 ルークは真っ直ぐこちらを見つめて言った。


「そんな奴が窮地に陥ったら、助けを求めることもできないし、きっと辛いだろうなと思ったんだ。だから一刻も早く助けたかった」


 リズは目を見開いた。

 彼は――何を言っているんだ?


 辛いだろうなと思ったんだ――。

 たった、それだけで……?

 それだけの理由で、ここまで傷だらけになりながら私を助けたのか……?


「リズ。――俺を信じてくれ」


 ルークが告げる。

 その熱い魂で、その炎のような存在感で。


「たとえこの世の全てに裏切られたとしても、俺のことは信じてくれ。俺は絶対にリズの信頼を裏切らない。俺はリズの味方だ」


 ルークはまるで穢れなき炎だった。

 その炎の煌めきに、リズは包まれる。荒々しくて猛々しい、意志という名の炎は、リズの中にある不安を焼き尽くした。


 口先だけじゃ、ない。

 この人は……本当に、私のことを……。


「……………………か」


「か?」


「か…………考え、と、く……」


「おう」


 今はそれでいい。そう言いたげな笑顔でルークは頷いた。

 そんなルークを一瞥し、リズは顔を真っ赤に染めながら視線を逸らす。

 理由はよく分からないが、なんだか涙が出てしまいそうな気分だった。


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