第8話
「ルーク=ヴェンテーマだ」
差し出された手を握り返し、握手を交わす。
するとアニタさんは、僕の顔を真っ直ぐ見つめて、
「……子供」
そんなことを呟いた。
「侮られる筋合いはないと思うが?」
「あ、ごめんね、そんなつもりはなくて。ここは危険な場所だし、それにさっきの魔法も凄い威力だったから、まさか子供だとは思わなくて……」
「見たところアニタも子供のうちに入ると思うが」
「失敬な! 私はもう十八歳! 十分大人です~っ!!」
この世界では十八歳からが成人だ。
しかし成人になりたてほやほやの人間が大人かというと、そうとは限らないだろう。見た目も子供っぽいし。
――アニタ=ルーカス。
彼女はいわゆる強キャラの一人である。
原作のルークは学園を卒業した後、冒険者として世界を渡り歩く彼女と出会い、その実力に脱帽する。アニタは世界でも名の知れた冒険者であり、水属性の魔法なら彼女の右に出る者はいないとまで言わしめるほどだ。
とはいえ、今のアニタさんはまだそこまで有名な冒険者ではない。
本来出会うはずだった五年後の彼女は、その胸元にS級冒険者の証である銀色の首飾りをしている。しかし今はその首飾りをしていなかった。
さながら名を上げる直前といったところか。
どうやら僕は、とんでもない時期の彼女と出会ってしまったらしい。
「君はもうちょっと年上を敬いなさい。ほら、敬語も使って」
「悪いな、敬語は苦手なんだ」
嘘です。本当は敬語の方が話しやすいくらいです。
でもルークは敬語を使わない。英雄を夢見て剣ばかり振っていたルークは、がさつで、少々荒っぽくて――だからこそ人を惹きつけるのだ。
「まあいっか、恩人だし」
アニタさんもそこまで本気で言ったわけではなかったのか、すぐに納得した。
ふと、アニタさんが僕の身体をまじまじと見つめる。
「よく見れば色んなところを怪我してるわね。診せて」
この一週間の修行は過酷だった。怪我なんてもう数え切れないくらいしている。村を出る際に院長から貰った傷薬もすっかり底をついていた。
アニタさんは僕に近づき、一通り怪我の状態を確認してから一歩離れた。
「――《キュア》」
アニタさんの掌に水蒸気のようなものが集まり、それが僕の身体に向けて散布される。
身体が淡い水色の光を灯し、全身の怪我があっという間に治療された。
水属性の
その魔法を見て、僕は決意と共に口を開いた。
「アニタ、頼みたいことがある」
「頼み?」
「俺に魔法を教えてほしい。特に今使ったような水属性の回復魔法だ」
そう言うと、アニタさんは神妙な面持ちをした。
「ふーん。……実は私、これでも地元じゃそこそこ有名な魔法使いだから、そういう頼み事をされるのは結構慣れているのよねぇ」
「だろうな。俺の知っている《キュア》は、こんなに一瞬で傷が治るものじゃない」
「まあね~」
ルークがアニタの回復魔法を称賛するやり取りは、本来なら五年後に行われるものである。
「で、こういう時に必ず尋ねていることがあるの。……なんで魔法を学びたいの?」
アニタさんは真剣な表情で訊いた。
僕は、ルークの言葉で答える。
「一ヶ月後に、シグルス王立魔法学園の入学試験があるんだ」
「そういえばもうそんな時期ね。私も去年まで通っていたのよ」
知っている。
彼女は僕の先輩でもある人だ。
「俺はその入学試験に、どうしても合格したい」
「へぇ。……学園で何をしたいの?」
「俺の名を轟かせる」
首を傾げるアニタさんに、僕は続けて言った。
「俺は――英雄になりたいんだ」
ルークの意志。
英雄になりたいという願望を、僕は伝える。
「英雄……?」
「ああ。御伽噺の勇者のように、世界大戦を終わらせた魔導王シグルスのように……俺は、いつか俺の名を世界中に届かせてみせる。学園への入学はその第一歩だ」
「……魔導王シグルスが、世界大戦が終わらせて十年が経った。今の平和な時代に英雄なんて必要あるかな?」
「あるさ。だって、さっきアニタは俺に助けられた」
アニタは微かに目を見開いた。
「時代なんて関係ない。いつも、どこかで、誰かが助けを求めている。俺はそれを必ず助けられるようにしたいんだ。……その先にあるのが、俺の思う英雄だ」
これが――ルークの理念。
子供じみた発想かもしれない。けれどそれを本気で貫こうとした時、人は驚くほどの強さを発揮する。
「……不思議。言ってること、めちゃくちゃなのに……何故か説得力がある」
当然だ。
だってルークの言葉なのだから。
ルークの顔で、ルークの心で、ルークの言葉を口にすれば、必ず相手に届くのだ。それが主人公の特権である。
同じ言葉でも僕が僕のまま伝えていたら、きっと理解されなかったに違いない。
「よし、分かった! お姉さんが教えてあげましょう!」
「いいのか?」
「うん! 私は、私が納得したらそれ以上は一切気にしないことにしてるから。場合によっては悪人にだって魔法を教えちゃうよ~?」
「俺は悪人じゃないけどな」
苦い笑いすると、アニタさんは「それもそうだね」と笑った。
(まあ、本当はもう一つ理由があるんだけどね)
英雄になりたいというのは事実だ。
しかしそれは原作のルークの事情であって、今回ばかりは僕自身の事情も絡んでいる。
――アイシャの代わりが必要だ。
僕が死なせてしまった幼馴染みの少女アイシャは、実は原作では今後のバトルで必須級のキャラとなる
アイシャが死んだ今、彼女の代わりに回復役を担う者が必要となる。
けれどそのアテがないし探す暇もない。だから僕自身が代わりを果たすことにした。
そもそもアイシャは今後数年間、僕と一緒に行動してくれるはずだったのだ。そんな彼女の代わりを務められる人なんているわけがない。アニタさんも学園の中まではついてこられないし、僕自身でアイシャの役目を負うしかないのだ。
一応、原作のルークは水の四大精霊ウンディーネと契約することで、回復系の精霊術を使えるようになる。けれどそれはかなり先のことなので頼りにはできない。
直近だと、入学試験の際に大きな戦いが起きる。
その時点でアイシャの穴埋めとなる回復手段を用意できていないと――多分、詰みだ。
だからここでアニタさんと出会えたのは僥倖だった。
彼女に回復魔法を教えてもらえればこの懸念は解消される。……最悪、王都で回復系のアイテムをしこたま購入して耐え凌ぐ予定だったが、そんな不安定な手段は極力取りたくなかったので本当に助かった。
「でも、水属性でいいの?」
アニタさんが不思議そうに尋ねた。
「私を助ける時、火の魔法を使ってたよね? 私、火属性もまあまあ使えるから教えられるよ?」
「親切な提案はありがたいが、あれは魔法じゃなくて精霊術だ」
「精霊術っ!?」
アニタは目を見開いた。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょーーーっと待った! じゃあなに!? 君は精霊と契約しているの!?」
「ああ」
「せ、精霊と契約なんて、国家魔導師の中でも一握りの人しかできないのに……!? その歳で!? 魔法学園に入る前なのに……!?」
「ああ」
精霊が宿す魔力は、人間が体内に保有できる魔力と比べて純度が桁違いに高い。そのため精霊の力を借りる精霊術は、魔法よりも遥かに高い効果を発揮する。
故にこの世界では、精霊と契約しているだけで一目置かれる。
国家直属のエリート魔法使いの集団……国家魔導師ですら精霊との契約は珍しい。
裏を返せば、この世界で強いと称されている人間は大体精霊と契約しているわけだ。
「し、しかも、さっきのが精霊術だとしたら……相当高位の精霊と契約してるわね?」
「まあな」
流石に四大精霊のサラマンダーであることは内緒にしておこう。
アニタさんのことを信用していないわけではないが、言い触らされでもしたら身動きが取れなくなる可能性がある。
サラマンダーは火属性で最強の精霊だ。
つまり僕は火属性に関しては最強の潜在能力を持っていると言ってもいい。
「え、えっと、さっきは調子乗ってすみませんでした……私なんかより貴方の方がよっぽど天才です」
「いや、謙られても困るんだが……戦ったら多分、俺よりもアニタの方が強いだろ」
「まあそれはそうだけど」
動揺しているように見えたが冷静さは残していたらしい。
現時点では僕よりもアニタさんの方が強い。
アニタさんは水属性だけではなく火属性の魔法も使える。そしてその二つを合成した霧属性は、レジェンド・オブ・スピリットの中でも彼女だけが使える極めて強力な魔法だ。
普段は天真爛漫であるアニタさんの最終奥義が、まさか霧の魔法で相手を錯乱させて暗殺するという作中屈指の冷酷な技とは……プレイヤーの予想を色んな意味で超えていったヒロインである。
「でも、あれだけ強力な精霊術を使えるなら、ぶっちゃけ入学なんて簡単だと思うよ? いっそ首席でも狙っちゃう?」
「首席か。いいな、そのつもりで鍛えてくれ」
ルークならこんなふうに答えるだろうな、と思いながら僕は告げた。
(実際、ルークは首席を狙っていたけど……なれなかったんだよね)
やるからには一番を目指すのがルークの性格だ。
しかし入学試験にはまた別のヒロインがいる。……彼女がかなり強いのだ。四大精霊のサラマンダーと契約しているルークを負かすほどに。
今の僕なら彼女に勝てるだろうか……?
「じゃあ早速、魔法を見てあげましょう! まずは属性付与の練習ね!」
先のことばかり考えている余裕はないか。
ルークに魔法の才能もあればいいんだけど……そう思いながら僕は「よろしく頼む」と頷いた。
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