この快速列車は東へと進む
ちょうわ
夢と電車と起床
「次は――――。――――です」
こおおお、と体越しに伝わる微細な振動。ときどき、がたん、と。洋楽の電子音が重々しく有線イヤホンから流れ込んでくる。手には読みかけのライトノベル。足元には、黒いスクールバッグ。
「乗り換えのご案内をいたします。――方面――行、六時二十分この電車……」
向かい合って四人座れる席に座っていた。
今、夢を見ているのかもしれない。いつも遅刻ギリギリの自分は、こんなに朝早い時間の電車に用はない。
「明晰夢」
イヤホン越しに、クリアな声。耳が塞がったままでも声は聞こえるみたいだけど、とりあえず、礼儀としてイヤホンを外した。
「おはよう」
向かい、斜め前に人がいた。深い青紫のシートに足を揃えて上品に座っていた。一の字に結ばれた口が、どこか機械的だった。
「……おはようございます」
目をそらして、口の中でもごもごと呟く。コミュ障なんだ、仕方ない。
「明晰夢だよ」
真後ろで、ががっと、荒々しくドアが開いた。誰も乗ってこない。
この子は同い年だろうか。それともひとつ下? ひとつ上?
同じ学校の制服姿。
「これは夢」
三回目。これは本当に夢なのか。頬をつねってみる。
「痛くない」
「そうだろうね」
指を挟んだままのラノベをするりと取られた。取られないようにと、本を持つ手に力を入れることはなかった。
「異世界転生ものだ」
書店のカバーを引き剥がされて、タイトルをまじまじと見つめられる。自分は何の本を持っていたのだろう。一緒に覗いてみた。
がんっと、ドア同士が衝突する音。モーター音のような音が、徐々に大きくなりながら、電車が動き出す。
けばけばしい文字と、少女二人と少年一人が描かれた表紙。ふと、思い出した。この人たちを描写する文、緋色、霞色、翡翠の瞳――と、ずいぶん気取った紹介がされていた。
「いや――これ、異世界転移、だね」
「違うの?」
「ちょっと違う」
相手は、理解できない、というように顔をしかめた。知らない人からしたら、どっちも同じ異世界ジャンルなのだから仕方ない。かくいう自分もあの文以外、本の内容を全く思い出せていないから、具体的に違いを説明できなかった。
「次は――――。――――です。お出口は、右側に変わります」
あの子は、本をぱらぱらとめくった。自分には、字が見えない。あの子には、見えているのだろうか。結局は、夢の世界だから、記憶にあるものしか持ってこれない――ということなのだろう。と、暇を埋めるように考察をしてみる。
朝の光が目の前にちらついた。反射的にそれを手で遮る。
「ブラインド……閉めてきたら?」
あの子は、太陽の見える窓を指差した。すぐに、手を下ろした。
「……いや、いいよ」
夢だったから別に眩しくなかった。手を外しても、目は痛くない。
「……そっか、夢だったね」
すっきりした、と言わんばかりに澄んだ笑顔を向けた。人間らしい。自分に向けられた他人のこんな笑顔は、見たことがないけれど。
「現実ではふたりともおねむだもんね」
そう言いながら、頬をつねった。無邪気に笑っている。つねって、うっとりと撫でるのを何度も繰り返した。
「やめときなよ」
ふいに口をついて言葉が出た。自分の意志は噛んでない――と、思う。
あの子は目を白黒させて手を止めた。手を膝の上に置いて、お行儀よく座り直して、薄ら笑った。
「なんで?」
なんでって、と。何も言えなくなる。
夢の中だから、好きにしてもいいのだった。止める理由も権利も義務も、自分にはない。
「――――。――――です。お出口は、右側です。次は、――――に止まります」
静寂が離散した。
肉声の車内放送。男の声。
「落ち着いたいい声だよね」
あの子は、ぽつりと言った。そうだね、とだけ返した。
また、しばらく無言になる。
その間に電車は一度止まって、また出発した。
窓の外を見ると、家々は遠くの方にまばらにしか見えなくて、視界の空の占める割合は大きかった。向こうの方が夕焼けみたい。これが、朝焼け?
「あれ」
朝焼けを指さした。あの子は、窓側の席に動いて、指す方に振り返った。
「きれいだよね」
「うん」
またしばらく無言になる。その間に、電車はまた止まる。
「あと何駅?」
降りること、全く頭になかった。今止まった駅から、数えてみる。
「六駅――」
「……この電車、快速だよ」
「じゃあ、二駅」
窓の外を眺めたまま、あの子は唇の端をちらりと舐めた。
「あと二駅」
あの子の口がそんな風に動いた。
「わかった」
感情のこもっていない返事だった。
「――――。――――です」
あと一駅。電車の揺れが、心地よい。
「電車が揺れないのって、運転手さんの技量なのかな。それとも、車体の問題かな。線路かな」
「電車がちょっと揺れるのは当たり前のことじゃないの?」
「この電車は全然揺れない。他社の電車だと、もっと揺れるのもある」
立っていると、倒れかけることもある、と付け加えた。
そんなこともあるんだ、と。知らなかった。この電車しか乗ったことがなかったから。
「じゃあ、ちゃんと起きて、学校行ってね」
「――――。――――です」
急に立ち上がって、手を振って、くるりと踵を返したら、そのまま別の車両に行ってしまった。
一人残された車内にいられるわけもなく、最寄り駅に到着した電車が扉を開けてから、のろのろと立ち上がった。
自分が降りるまで、扉は開きっぱなしになっていた。
降りた先は、中途半端な闇。スマホのアラームがけたたましく鳴っている。なぜか足元まで移動していたスマホを蹴り飛ばして、完全に手に届かなくなってしまった。それでも鳴り止まない耳障りなスマホを拾いに仕方なく布団から這い出た。
『じゃあ、ちゃんと起きて、学校行ってね』
アラームを止めると、そんな幻聴が聞こえた。幻聴だろ?
――あれは、誰だった?
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