きさらぎ駅と案内人

吹井賢(ふくいけん)

人を呪わば



「『怪異』の話をしよう。

「幽霊、妖怪、化物……。現代科学では解明できない、これらの存在――即ち『怪異』は、実在している。

「トイレの花子さんやら口裂け女やら、都市伝説や学校の怪談、あるいは、特定の地域に伝わる伝承や信仰。それらは、九割九分が流言飛語の類であって、所謂、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』だ。昔の人はいいことを言うよな。

「だが、残りの一分は紛れもない真実なんだ。

「超常現象を起こす存在――それも、九割九分、迷惑なだけの異常を引き起こす存在。それが、『怪異』。それは幽霊であったり、妖怪であったり、化物であったりする。

「……ここまではいいか?

「じゃあ、本題。

「……前提として話したことと矛盾しているように感じるだろ? だが、俺は確信しているし、だから断言する。『怪異は人間だ』。

「人の強い思い……。憎しみや悲しみ、無念などの負の感情により、人が変化したモノ。それが『怪異』だ。

「だから、意外に思うかもしれないが、怪異達には話が通じる。意思疎通ができるんだ。何せ、元々は人間、あるいは人間から派生した存在なんだからな。そりゃあ、話はできるだろう。

「『クソガキが肝試しで自殺スポットに行ったら呪われた』。呪った存在、つまり怪異を人間として見れば、単純な話だろう? 赤の他人にトラウマをほじくり返されれば、誰だって腹が立つ。しかも、そのトラウマは『自分が死んだ』という特大のものだ。

「憎みたくもなるだろう。呪いたくもなるだろう。

「なら、その呪いがどう解決するかも分かりやすいよな。そのクソガキでも霊媒師でも誰でも良いんだが、怪異に対し、誠心誠意、謝罪をすればいい。頭を下げて、花を供えればいい。呪いの残滓は残るだろうから、クソガキは水や塩で身を清める。

「それでおしまい。怪異関連の九割はこれで解決する。

「……解決しない場合? そりゃあ、勿論あるな。

「話が通じるケースばかりじゃない。当たり前だろ?

「だって、人間なんだから。



「さて、そうすると、お前はどうなんだろうな?

「あるいは、俺は。

「人間なのか、それとも――怪異なのか。


「『怪異は人間だ』と言った以上、意味のない問いだけどな」









 深夜の無人駅だった。

 一見すると、何の変哲もない田舎の地上駅に見えただろう。ホームがあり、駅名標があり、ベンチがあり、跨線橋がある。周囲には建物一つ見えず、ただ漆黒の闇と静寂、そして冬の冷気だけが駅を包んでいる。

 しかし、よくよく観察してみれば、鉄道駅としての不自然さに気付くだろう。

 時刻表が存在しないのだ。

 まるで、ここからは何処にも行けないのだと、言外に示すかのように。

 そんなホームのベンチに、一人の男が横になっていた。灰色のトレンチコートを身に纏った男は、アイマスク代わりか、同じく灰の山岳帽を顔に被せていた。

「―――ろーくーはーら。ろくはらってば!」

 異様なほどの静けさに響き渡ったのは、年若い女の声だった。

 男――六波羅ろくはら一分いちぶは、如何にも面倒くさそうに身体を起こすと、「なんだよ」と応じる。

「ケータイ。震えてるよ」

「分かってるよ。分かってて無視してるんだ」

 どうせ仕事の電話だからな、と付け加えた顔はそれなりに整っていたが、人生の全てが面倒だと言わんばかりの内面が表情筋に表れており、台無しになっていた。

 少女は言う。

「仕事の電話なら出ないと駄目でしょ」

「……どうかな」

 そう返しつつ、これだけ長く待っているということは喫緊の用件だろうと判断し、応答することにする。

 マナーモードになっている型落ちのガラケーをポケットから取り出し、液晶画面を見て相手を確かめてから通話ボタンを押す。

 聞こえてきたのは落ち着いた男の声だった。

『……もしもし、六波羅さん? ごめんね、忙しかったかな』

「いや、全然。アンタから電話とは珍しいな、椥辻なぎつじ

 六波羅が「椥辻」と呼んだ相手は警察庁の人間だった。公安警察官、というやつで、表の事件から裏の異変まで、多種多様な面倒事に関与している。

 そして、この椥辻未練という男が電話を掛けてくるのも、決まって面倒事に関することだった。

 ただの事件ではない。怪異に関するそれだ。

「アンタが連絡してくるということは、つまり、仕事の話って理解でいいのかな」

『そうだね。怪異を一つ――一人? ……一柱? まあ、数え方はなんでもいいんだけど、怪異に関する事件を解決してほしい』

「断ると言ったら?」

 紙巻き煙草を取り出しつつ問う。

 椥辻の回答は端的だった。

『女子高生が一人、この世から消える』

 落ち着いた声音だった。しかしながら、相応の重さを有していた。

 横を見ると、いつの間にやら隣に腰掛けていたアンダーツインテールの少女が頬を膨らませていた。「どうしてそんな意地悪言うの」。そう言わんばかりだ。

 悪かったよ。そう告げるように、片手で少女を制す。

 明らかに大き過ぎるサイズの上着に、同じくサイズの合っていない制帽を被ったその姿は、車掌である父親の服を勝手に拝借している中学生といった風だ。六波羅は、「何度見ても、『銀河鉄道999』に出てくる車掌を思い出すな」「あのキャラクター、名前なんだっただろう」などと、どうでもいい事柄を思案しつつ、電話先の男に告げる。

「……言ってみただけだよ。怪異に関することで、どうしようもない事態なら、九割九分、請け負うさ」

 ありがとう、と丁寧に返す椥辻に、六波羅は問う。

「最寄り駅を教えてくれ。すぐに行く」

 キャメルを咥えることすらしないまま懐に戻し、代わりにメモ帳を取り出す。すると、少女によって手の平にペンが置かれた。

 白紙のページの上に「たすかる」と走り書きすることで礼代わりとし、伝えられる情報を書き留めていく。

 「じゃあ、頼んだよ」という言葉を最後に、電話が切れる。

「……イズコ」

「おっけー!」

 イズコ、という、変わった名で呼び掛けられた少女は、その場でくるりと一回転をしてみせる。

 すると、如何なる道理であろうか。すぐさま電車の走る音が聞こえ始め、間もなく駅へと到着した。古びた車両の中に人の姿は伺えない。無人の車内へ二人は乗り込む。

「次はー。きさらぎー、きさらぎー」

 車内アナウンスの真似をするイズコに、六波羅は呆れたように言った。

「次も何も、ここもそうだろうが」

 やがて電車は走り出し、後には無人のホームだけが残された。

 駅名板には「きさらぎ駅」と記されていた。









 先ほどまで自身が寝ていた駅について、もし六波羅が問われたとすれば、こう答えるだろう――「『きさらぎ駅』は存在しないが、存在する鉄道駅だ」。

 意味不明な物言いだが、誠実な表現だった。

 『きさらぎ駅』とは都市伝説の一つだ。きさらぎ駅、という名の駅はJRにも私鉄にも存在しない。そこは異界であり、迷い込んでしまった者は二度と帰ってこれないと言われている。あるいは、何かしらのキッカケがあれば戻れるとも。

 一般的には、ただの怪談と捉えられているきさらぎ駅であるが、六波羅にとっては実在するものだ。何せ、頻繁に利用している。

 何処にも行けない駅。

 何処にも存在しない駅

 故に、何処にでも辿り着ける駅。

 そこが都市伝説で伝わる『きさらぎ駅』なのかどうかは知る由もないが、六波羅にとっては今のところ、「何処にでも行ける便利な駅」でしかない。

 尤も。

 イズコがいることが大前提だが。

 あの謎の少女が不在のままに駅に迷い込めば、恐らく、六波羅は永久に帰ることができないだろう。何処いずこにも、行けないだろう。一人で辿り着ける場所があるとすれば彼岸、あの世くらいか。

 少女には、名前も、記憶もない。

 『何処イズコ』という名も、六波羅が与えた仮のものだ。

 彼女は、「きさらぎ駅から別の場所へ案内すること」ができる。それが如何なる理屈で、何故なのかは、誰にも分からない。

 改めて考えると、自分の隣にいる少女は恐ろしい化物なんじゃないか?と思わなくもないが、「俺が言えた義理ではないか」と自嘲する。

 きさらぎ駅から出発した電車は、やがて、きさらぎ駅に到着した。六波羅とイズコは電車を降りると、ホームの階段を上る。跨線橋を渡り、下りればどういうことなのか、ある駅舎の前に立っていた。

 目的地の最寄り駅、その改札のすぐ外である。

 時刻は昼過ぎ。

 振り返っても、そこにはごく普通の改札口があるだけだ。深夜の謎の駅どころか、つい先ほど使った階段すら存在しない。冬の駅の当たり前の光景として、疎らな利用客と、十二月特有の清んだ空気があるだけだ。

「何度使っても便利だな」

「お客さん、切符を出すのを忘れてますよ」

「まず切符売り場がないだろうが」

 きさらぎ駅は何処からでも迷い込める異界の駅だ。切符などあるはずもない。

「イズコ、ありがとう。ここまででいい」

「分かった」

 後で呼ぶよ、と六波羅が告げると、イズコは笑みを湛えて頷く、次いで、改札脇の女子トイレの中に入っていった。

 きさらぎ駅に戻ったのだ。

 電車や駅は関係ない。イズコが出入り口と認識すれば、“そこ”はきさらぎ駅のホームへと続く扉になる。そういう能力を持った人間だった。

 あるいは――怪異、か。

「……行くか」

 一人になった六波羅は、すっかり葉の散った街路樹が並ぶ歩道を歩き始める。

 東京都。ある郊外の街だった。東京駅から中央線に使えば、一、二時間ほどで辿り着く。日本中に幾らでもありそうなベッドタウンだ。

 怪異の被害に遭っているという女子高生には、椥辻を通じて連絡を入れてもらっていた。待ち合わせ場所は駅からすぐの喫茶店。看板を確かめ、純喫茶の扉を潜ると、奥のテーブル席に長髪の少女が座っていた。

「山城さん……で、間違いはないかな?」

 声を掛けられた制服姿の少女は黒髪を揺らし、黙って頷いた。

 正面に腰掛け、白髪頭の店主にコーヒーを二杯注文した後、六波羅は名刺を取り出し、山城に手渡した。

「『民俗学研究家 六波羅一分』……。大学の先生なんですか?」

「いいや、違う。便宜的にそう名乗っているだけだ。呪いや祟りを調べている、と言うよりも、民俗学のフィールドワークをしている、と伝えた方が、警戒されないからな。一応、論文は書いているが。ところで、コーヒーで良かったか?」

「はい……」

 少女は、その大人しそうな顔立ちに、不安の色を滲ませていた。

「あの、私の家……お母さんの家系が、霊に憑かれやすいらしくて……。それで、今回のこともお母さんに相談したら、そういうことに詳しい人に連絡を取ってくれたらしくて……。えっと、六波羅さんは、それで、来てくれたんですよね?」

「そういうことになる」

 カップが運ばれてくる。

 テーブルの周りをコーヒーの良い香りが満たしたが、少女は手を付けなかった。

「不安か?」

「え?」

「霊媒師や霊能力者って感じの見た目じゃ、ないしな」

「それもありますけど……」

 コーヒーを一口飲んだ六波羅に、少女は言った。

「もし、もしも全部が、私の勘違いだったり――あるいは逆に、全部が本当で、六波羅さんまで巻き込まれたら、どうしよう、って……」

 なるほど。六波羅は心の中で独り言ちる。

 仕事を引き受けて良かった。

 こんな良い子が、怪異などの犠牲になって良いはずがない。









 少女、山城の話はこのようなものだった。

 ある日の塾帰り。気付くと全く知らない路地に立っていた。知らない、とは言っても、帰り道から逸れただけの場所だったので、すぐに帰路には着けたのだが、何か、無性に嫌な気分になったという。

 自分はどうして、あんなところにいたんだろう。不思議に思ったが、きっと何処かで道を間違えただけだろうと結論付けた。それは常識的な判断であると同時に、不安を払拭する為でもあった。

 何もおかしいことはないのだと、自分に言い聞かせたのだ。

 しかし数日後、同じような事態が起こる。

 学校から出た後の記憶がなく、気付けば交差点の横断歩道の前に立っていた。帰り道から逸れているどころではない。家とは真逆の方向の場所だった。気味が悪くなった山城は走って帰ったという。

 嫌な気配は、消えない。

 母親に相談しようと思ったのは、三日前のこと。

 深夜だった。

 山城は、街外れの神社の前に立っていた。

 こんなところに来る理由はない。どころか、家から出た記憶すらないのだ。真っ青になった山城は、すぐにその場を走り去った。背中に纏わり付いてくる嫌な気配を振り切るようにして。

「この辺りの学校には、『ニンギョウサマ』って怪談があるんです」

「ニンギョウサマ?」

 頷き、少女は続けた。

「その神社に祀られているのは人形の神様で、お祭りでも、市松人形が奉納される。でも、神社を荒らしたりして、神様の怒りを買うと、神様はその人を攫っちゃう、って……。神隠しに遭う、って……」

「それが、『ニンギョウサマ』?」

 六波羅は問い掛けた。

「その怪談が事実だとして、君は『ニンギョウサマ』を怒らせるようなことをしたのか?」

「心当たりは、何も……」

 でも、と付け加える。

「少し前に、私のクラスメイトが行方不明になってるんです。仲が良いわけじゃなかったんですけど、たまたま、その子のグループの会話が聞こえてきたことがあって」

 曰く、「『ニンギョウサマ』なんて噓っぱちだ」「そんなものを信じてるなんて馬鹿らしい」「私が証明してあげる」。

 霊的な存在を信じていなかったのか、それとも若者特有の強がりだったのかは分からないが、山城のクラスメイトはそう言っていた。そして、事実として行方不明になってしまった。

 『触らぬ神に祟りなし』。昔の人はいいことを言うものだと思う。

 恐らく、そのクラスメイトは触ってしまったのだ。肝試しでもしたのか、境内にゴミでも捨てたのか。詳細は不明だが、その少女は怪異の怒りを買い、攫われた。

「その子のことを止めなかったから、私も『ニンギョウサマ』を怒らせちゃったのかもしれません……」

「馬鹿なことを言うな」

 六波羅は言う。

「たまたま話を小耳に挟んだだけで呪われるなんて、そんな理不尽なことがあっていいはずがない。君は一分も悪くない」

「でも……」

「俺が会って、話を付けてきてやる。その『ニンギョウサマ』にな」

 多少は安心できたのだろうか。

 少女はようやく、コーヒーカップに手を付けた。









 六波羅が次に行ったのは、警察庁の椥辻に電話を掛けることだった。

 山城の話が事実かどうかの確認だった。

 分かったのは、残念なことに山城のクラスメイトが行方不明になっていることは間違いなく、捜索願も出されていること。家族や友人にも失踪の理由は見当も付いていないということ。

 その後、六波羅は役所に向かった。件の神社について調べる為だ。

 住民課の女性職員に、「民俗学の研究者をしている」「祭事や伝承について話を聞きたいので、神主か、祭りを取り仕切っている人間の連絡先を教えてもらえないか」と伝える。やや誤魔化しが入っているものの、嘘は何一つ言っていない。

 二十分ほど待たされた後、別の課の課長が応対に出てきた。

「えっと、街外れの神社のお祭りについてですよね?」

「はい」

「それなら私でもお答えできると思いますよ。あそこの神社、専属の神主さんがおらず、お祭り事も地域住民で行っているので」

 役所の相談スペースに通された六波羅は壮年の課長に訊いた。

「『ニンギョウサマ』という怪談をご存知ですか?」

「ああ、アレね。全国、何処にでもありそうな怖い話でしょう? デタラメですよ」

 そう言ったが、男は暫し考え、「そうとも言えないか」と呟いた。

「私が、デタラメだ、と言ったのは、『ニンギョウサマ』という怪談についてです。まず、祀られているのはそんな変な名前の神様ではない。山の神です。ですが、そんな怪談が生まれた理由は分かります」

 区長も務めているという課長はこのように説明した。

 神社には山の神様が祀られていること。そして、その山は元々、女人禁制の場所だったということ。「女が足を踏み入れると神隠しに遭う」という伝承があったこと。それ故、山の神への生贄として、市松人形を供える祭りができたと伝わっていること……。

「元々、神隠しの言い伝えがある山ですから。それが歪んだ形で伝わったんでしょう」

 私が学生だった頃からある古い怪談ですよ、と課長は笑った。

 六波羅は笑わず、「そうですか」と応じた。









 時刻は零時を回っていた。

 身を切り裂くほどに冷たい風が吹く夜だった。

 月の綺麗な夜だった。

「『火のない所に煙は立たぬ』……。昔の人はいいことを言うよな。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』も同じだ。幽霊の言い伝えがあったとして、それが事実無根ということは、実は少ない。幽霊は存在しないかもしれないが、枯れ尾花という事実はあるんだ」

 六波羅とイズコは向かう。

 件の『ニンギョウサマ』がいるという神社へと。

「生き物を殺すと伝わる殺生石。玉藻前が討伐され、殺生石に変わったとされるのは栃木県だが、そこは温泉地なんだ。硫化水素などの有害な火山ガスが噴き出し人を害することを、昔の人間は『殺生石に殺される』と解釈した」

 非科学的な理解かもしれないが、六波羅はそれで良いと思っていた。

 「殺生石に殺される」という言い伝えがあれば、普通の人間は近寄らない。真実がどうであれ、有毒ガスで死ぬ人間は少なくなる。

「女人禁制とされていた山は日本全国にある……。修験道や密教の修行場であったという宗教としての理由もあるだろう。しかし、俺は思うんだが、女人禁制の山の何割かは経験則によるものだったんじゃないか?」

「けーけんそく?」

「例えば、若い女ばかりが獣に襲われたり……な」

 二人は神社の前へと辿り着いていた。

 かつて女人禁制とされた山。その山の神が祀られる神社の前に。

 目の前には木製の大きな鳥居がある。それは門。俗世と神域と区切るものであり、入り口である。

 向こう側にはいるはずだ――『ニンギョウサマ』が。

「女の子ばっかり襲われるとか、そんなこと、あるの?」

「熊や狼が、人間には分からないような、微かな血の臭いを嗅ぎ付けて襲ってきていたんだろ。だから、若い女ばかりが襲われた。月経や出産といった生理現象の結果として。若い女ばかりを狙うものだから、昔の人はこう考える――『山の神は女の神様で、女子に嫉妬するのだ』と……」

 推測に過ぎないがな、と付け加え、六波羅は推理を続ける。

「この山もそうだったんじゃないか? 飢えた獣が生息していて、若い女ばかりが襲われて、困った昔の人々は、山を女人禁制にした上で、人形を供えるようになった。襲われる女の身代わりとして」

 あるいは、もっと悲惨だったのかもしれない。

 

 口減らしの為に子供を殺したという言い伝えは有り触れている。その被害に遭ったのは跡取りにならない女子が多かったという。「山の神の供え物にする」という大義名分は、当時の人々にとっては、有り難かったのではないか?

 仮にそうだったとしても、六波羅はその歴史を断罪する気はない。

 そういう時代も、この国にはあったのだ。当時の人々は当時の知識と価値観で必死に考えた末、その結論を出したのだ。そう思いたい。少なくとも、暖衣飽食となった現代に住む六波羅が一方的に裁くことなど、できやしない。

 そう、六波羅が行うことは、怪異となった何者かと対峙するだけだ。









 女の声を、聞いた。



―――だぁれ?



 鳥居を潜った瞬間だった。

 悍ましい声が六波羅の耳朶に届いた。全身に鳥肌が立ち、冷や汗が吹き出す。「コイツは、ヤバい」。そう直感した。そして、あの女子高生、山城に心の中で同意した。確かにこれは気色の悪い気配だと。

 イズコを下がらせ、六波羅は恐怖を撥ね退けるようにして声を発する。

「俺は、六波羅。話がしたい……!」

「……はなし……?」

「そうだ。あなたは、少女をここへと引き寄せているだろう。それをやめてほしい」

 怪異は――『ニンギョウサマ』は、姿を現した。

 髪の長い女だった。白い服の女だった。背の高い女だった。

 纏うのは、死に装束のような白。闇のような黒の髪で表情は伺えない。

「ここ、あなたの場を荒らした少女がいたという。その少女には既に、あなたが制裁を与えたはずだ。何故、別の子を狙う?」

「……なぜ……?」

 一拍置いて、『ニンギョウサマ』は言った。

「……わたしは、『ニンギョウサマ』……。……ひとをさらうもの……」

「そういう存在だから、少女を狙う、と? 彼女は何もしていないはずだ。それなのにか?」

「……だって……、」

 瞬間だった。

 戦慄した。



―――おいしいんだもん



 発されたのは純粋な悪意。

 六波羅は直感する。話が通じない、と。

 “それ”は山の神ではなかった。まさしく『ニンギョウサマ』だった。

 本来、いなかったはずの存在。『ニンギョウサマ』という怪談が元になった怪異。何十年もの間、学生の間で語り継がれ、蓄積していった恐怖が、形を持ったのだ。

 無礼を働いた者を攫う怪異は、人の味を知ったことで、人を襲う理由を必要としなくなった。ただ襲いたいから、襲うのだ。そう、人間のように利己的に。

「……じゃまするなら、あなたから……。……あなたから、食べてあげるぅぅぅうう!!」

 『ニンギョウサマ』が飛び掛かってくる。六波羅は動かなかった。

 邪魔者の肩を掴んだ怪異は、口を両耳まで開き、その首筋に千枚通しが並んだかのような歯を突き立てる。

 しかし、次の刹那。

「―――ぎゃあぁあぁあああああああ!!」

 豈図らんや、首を抑え、叫び声を上げたのは、六波羅ではなく『ニンギョウサマ』であった。吹き出した血は黒い霧となり闇夜に消える。六波羅には傷一つ、ない。

「言ったはずだぞ、俺は『六波羅』だと。……お前、呪詛返しって知ってるか?」

 それは、呪い返し、とも呼称される陰陽道や密教の秘宝。

 呪ってきた相手に、その呪いを跳ね返す呪術。一説には、『人を呪わば穴二つ』という慣用句は、この呪詛返しが元となりできたのだという。

 人を呪うということ。

 それは、自身が呪われる危険性もあるということ。

 故に墓穴は、常に二つが必要だ。

「お前は俺を呪ったらしいが、俺は既に、呪われているんだよ。『自分を呪った相手に呪いを返す』……。そんな風に、呪われてるんだ。自分でもどうしようもなくて、嫌になるが、こういう時には役に立つ」

 六波羅はその顔面に侮蔑に染めて、告げる。

「お前等はいつもそうだ……。自分の都合を押し付けて、自分勝手に人を害する……。俺は、お前のような怪異にんげんが、大嫌いだ」

 のたうち回る『ニンギョウサマ』の腕を掴み、悲鳴も抵抗も介さず、乱暴に鳥居まで引きずっていく。

「いやだ、いやだああああぁぁああっ!」

「お前にいい言葉を教えてやる。自業自得、だ。イズコ」

 車掌姿の少女が一回転すると、鳥居の先が漆黒に包まれた。

 イズコが念じれば、どんな扉も門も、きさらぎ駅へと続く入り口になる。そして、案内のないままに向こう側へと行った者は、二度と戻ってくることはない。

 六波羅は『ニンギョウサマ』を――闇の中へ放り込んだ。

「……六波羅と一分、合わせて七つ。七つの地獄へ引き落とす。オン・ア・ビ・ラ・ウンケン・ソワカ」

 それで終わりだった。

 一人の怪異が、向こう側へと案内された。

 彼女の行き付く先は地獄なのか、それとも、地獄ですらない無なのか。

 それは誰にも分からない。









「……オチ? そんなもん、あるわけないだろ。ライトノベルじゃあるまいし。

「『ニンギョウサマ』は消え去った。二度と戻ってくることはない。山城って女子高生が神隠しに遭う心配もなくなった。山城からの謝礼は固辞して、代わりに報酬と必要経費は椥辻に請求して、それで終わりだ。

「……え? 俺が言った言葉の意味?

「『オン・ア・ビ・ラ・ウンケン・ソワカ』は大日如来の真言だよ。陰陽道の一派では呪詛返しの呪文として使われてる。

「……そうじゃない? ああ、『俺は「六波羅」だ』の方か。

「六波羅は京都の地名だよ。昔の六波羅は、鳥辺野っていう大きな墓所の入り口を指していた。『六道の辻』って呼ばれるくらいに不吉な場所で、あの世とこの世、此岸と彼岸の境目だと言われていたんだ。

「……あの『ニンギョウサマ』は、俺に案内されて、何処へ行ったんだろうな? お前に案内されず、何処に行き付くんだろうな?

「なあ、イズコ。

「きさらぎ駅への扉を自在に開けられるお前。どんな呪いも勝手に跳ね返す俺……。見方によれば、俺達の方がよっぽど怪異らしいよな。

「え? 確かに。そうだな。



「意味のない問いだったな。

「だって、怪異は人間なんだから」


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