深層心理の精神騎(スピリット)

彁面ライターUFO

プロローグ『動き出した運命』


 『急性ショック障害』。

 その引き金は、人の生死がかかわるような強い心的外傷……いわゆる、トラウマ体験であるとされている。感じ方、影響は人それぞれであるが、症状が重い場合には、それらが長期間続くケースもあるらしい。僕の場合は、悪夢、不眠、拒食症、神経過敏……だっただろうか。幸いにも、それらが重症化するようなことはなかったけど……でも、あの日受けた宣告は、僕の心に大きな傷を与えるには充分すぎるものだった。

 



 藤鳥ふじとり信道しんどう。彼は、日本の心理学領域のトップと称される、木比このひ大学心理学総合研究センター……通称『JPASSジェイパス』に所属する偉大な心理学者だった。彼が発表した「深層心理学論」により、心というものの捉え方が見直され、人間心理の世界がより明瞭になったのだ。今や彼の論文は、世界中の心理学者から聖典として扱われている。現代社会における心理学や心療内科学の根底が出来たのは、彼の功績だとも言われているぐらいだ。


 ……僕も、父さんのようになりたい。


 物心がついた時から、僕は━━━━藤鳥ふじとり剣悟けんごは、父に憧れていた。幼い頃母を亡くし、父の手で育てられてきた僕は、中学に入って寮生活を始めてからも父さんを尊敬し続けていた。まるで手品師みたいに僕の心を読み解き、喜ばせてくれる父さんが、僕は大好きだった。だからこそ、父のような偉大な心理学者になりたいという、そんな壮大な夢を志したのだ。


 僕は、父が在籍する『JPASSジェイパス』の一員になることを目標に、中学の時から心理学に関する勉強を必死にこなしてきた。勿論、中学校で心理学なんて習わないから、独学で。父さんが勉強を教えてくれてたら苦労はしなかったかもしれないけど……父さんは研究で忙しかったし、僕も寮に入ってから父さんの元を離れていたので、自分でやる他なかったのだ。

 努力の末、僕はなんと木比このひ大学付属清森きよもり高校へと進学することができた。ここは、数学や英語などに混じって「心理学講義」という科目が必修科目として組み込まれている、日本でも有数の高校。すなわち、心理学の最先端とも言うべき高校なのだ。


 これで父さんに近づける。偉大な心理学者になる為の一歩を、ようやく踏み出せる。……そう思っていた矢先の出来事。僕は、JPASSジェイパスの研究員からの電話によって、絶望の淵へと叩き落とされたのだった。



藤鳥ふじとり教授が……君のお父さんが、海外で行われていたJPASSジェイパスの実験中に、行方不明になった……」



「……………………は?」



 JPASSジェイパスでの仕事や研究のこともあって、父さんとはここ数ヵ月ほど会えていないどころか、電話やメールのやり取りさえ出来ていなかった。高校合格の知らせをした際に、「おめでとう。これからも夢に向かって頑張れ」と返事をくれたぐらいだ。夏休みの時期には会えるかな……などとぼんやり考えていた。それまでは、父さんの背中を追いかけるつもりで頑張ろうと、そう思っていた。

 なのに……どうして…………


「行方不明、ってどういうことですか? 外国の知らない街で迷子になって戻ってこないとか……そういうこと、ですよね?」


 冗談のつもりで、そう尋ねてみた。研究員の声の重さや間の取り方からして、深刻な問題であるということは容易に想像できていたのに。

 しばらくの沈黙の後、研究員は電話越しに低い声で、



『分からない……何者かに襲われたとか、誘拐されたでもなく、ただ単純に失踪した。 それだけさ』


「そんな……」


『……君は、高校に入学したばかりだそうだね。 教授から授業料などの支援を受けていたようだけど……こうなってしまった以上、今通っている高校から転校してもらわざるを得ない』


 高校に通い始めてから、まだ二ヶ月も経過していない。まだ、父さんの背中すら見えていない。そんな状態から、いきなり梯子はしごを外されてしまった。

 絶望。この瞬間ほど、その言葉に合致する状況はないと思った。尊敬していた父が行方不明になった上に、自分の夢まで打ち砕かれるなんて……そんなの、神様の悪戯にしてはあまりにも酷すぎる。


『……もちろん、教授失踪の責任は、私たちにある。 だから、最低限君のバックアップはするつもりだ。

 君の転入先については、もう話がついていてね。 葉後ようご高校という公立高校なんだが、君にはそこに転校してもらいたい。 ……あぁ、新しい居住地等も既に手配してあるから、安心してくれ』

 

「……分かり、ました」


 反抗する気も起きなかった。しきりに謝り倒す研究員の言葉は、もう僕の耳に入ってこなかった。ズタズタに心を打ち砕かれた今、もう僕には、運命に身を任せて生きるしか道はない。そう思うしかなかった。

 静かに受話器を下ろしてから、天井を仰ぐ。絶望に打ちひしがれた僕は、何も考えることすら出来ないまま、布団に潜り込んでずっとうずくまっていた。



***



「━━━━━じゃあ、本当に転校しちゃうのか?」


「……うん。 お別れ会なんかも無しで、明日からパッタリ居なくなることになると思う。 ……短い間だったけと、ありがとね」


 高校での最後のホームルームを終え、僕はクラスで出来た最初で最後の友人━━━━眞鍋まなべ瑞人みずと君と、肩を並べて帰っていた。瑞人君は、幼児の心理研究を専攻し、僕と一緒に心理学を究めるために切磋琢磨してきた親友だ。……といっても、たかだか二ヶ月程度の付き合いなんだけど。


「そっか……家庭の事情、って事なら仕方ないよな。 ……何か困ったことがあったら、いつでも言えよ! 力になるから!」


瑞人みずと君……ありがとう!」


 そう言って、グッと熱い握手を交わす。幸い、転校先は隣町の学校であるため、会おうと思えばいつでも会える。ただ、学舎が変わってしまう以上、僕と瑞人みずと君はもう同じ道を歩めない訳だ。それでもなお、瑞人みずと君は僕を助けてくれると言ってくれた。……これは、自分も頑張らないとな。



 瑞人みずと君と別れた後の帰り道で、色々考えた。そして僕は、父の背中を追い続ける事を決意した。たとえ普通の公立高校でも、必死に勉強すれば、心理学研究が盛んな大学に……あわよくば、木比このひ大学にだって入れるかもしれない。だから、まだ夢を諦めない。いつか必ず、瑞人みずと君たちと同じステージに戻ってやる! 


「……よし、やるぞ」


 そうして僕は、決意を新たに、黙々と転校のための準備を進めるのであった。




 ━━━━とまぁここまでが、僕が葉後ようご高校に転校するに至るまでの経緯である。正直、この時の自分は大学進学の事ばかり考えていて、高校での生活がどうなるかとか、そういう事は全く考えていなかった。友達も彼女もいらない……ただ僕は、偉大な心理学者になるために、ひたすら勉強していられればそれでいい。そんな熱意にとらわれていた。



 しかし、この葉後ようご高校での生活は、僕にとって忘れられない……いや、忘れようにも忘れられない程、僕の人生を大きく左右するものになる。



 ━━━━そう。この時の僕はまだ、あんな壮絶な運命に巻き込まれるだなんて……想像だにしていなかったのだ。


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