おもいあい

淳平

@

布でできたガムテープの独特な匂いが好きだ。

普段嗅ぐことのないその匂いは、片付けをしている時しか嗅ぐことのできない特別な匂いだった。あの人を思い出すことができる唯一の匂いだった。


50センチメートル四方の段ボール箱の中に、楽しかった思い出をぎっちりと詰め込んで、ガムテープの音を響かせながら、私は開くことのないように蓋をした。


アルバムや旅行先でのお土産品、記念のプレゼントなど、キラキラした思い出たちがもう二度と出てくることのないように、静かに蓋をして閉じ込めた。


両手で持ち上げると、思いの外重かったことに驚いた。明日は腰痛になるかもしれないな。だけどこれでようやく終わりだ。


私はふうっと一息ついて、以前とは違う私のアパートの部屋を見渡した。

以前はそこにあった賑やかさは消えて無くなって、必要な家具と少しのぬいぐるみが置いてあるだけのさみしい空間が虚しく目に映った。


それもそうだ。大切なものがなくなってしまったのだから。


1週間前、私は三年間付き合っていた彼氏と別れた。


原因は些細なものだった。しかしそれが徐々に大きな亀裂を生み、遂に別れを告げられてしまった。


ショックだった。

心の底から後悔をした。


だけど、私は決めたのだ。彼との思い出を全て捨て去り、新しい人生を歩もうと。

だけど心とは裏腹に、ふと気を抜けば彼の笑顔が頭をよぎる。楽しかった思い出たちは、ずっと記憶に留まり続ける。


なんてことをしたんだ。

そう私を責め立てるように。


私は額から流れる汗を、首にさげてあるタオルで拭き取り、部屋を出た。


外は相変わらずの初夏の陽気で、熱気はすぐさま私を包み込んだ。息を吸うのも苦しいくらいの熱風が私に襲いかかる。


私は深呼吸を一つして、ゴミ置き場へと足早に向かった。


ゴミ置き場には、私が運んだ沢山の段ボールが置かれていた。段ボール箱の数が、彼との思い出の多さを物語っていた。


楽しかったな。

嬉しかったな。

……辛かったな。


私は手に持つ最後の段ボールを置き、小さく呟いた。


「さようなら」


エアコンの効いた部屋に足速に戻る。

すぐに乾いてしまった喉を潤すために、冷蔵庫を開けた。そこには、出すのを忘れていた大切な思い出が置いてあった。


私は咄嗟にスッと手を伸ばしたが、何にも触れることなくそっとおろした。


もう少しだけ、彼との思い出に浸っていたいと思った。この部屋は私だけでは広すぎる。

もう少しだけ、私といて欲しいと思った。


あと少しだけ、私の思い出にならないでいて。


残された思い出に、私の大好きな顔に、私は笑いかけた。微笑み返してくれることはない。私を見てくれることも、もう二度とない。だけど私は、とても幸せだった。


「ありがとう」


冷たくなった彼に触れた、赤く染まった私の手は、新しい箱を作るために、残り僅かなガムテープへと伸びていった。

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おもいあい 淳平 @LPSJ1230

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