第6話 デッドラインにご注意を

「ノエル! 探したよ〜! どこ行ってたのさ」


 物凄い剣幕でロジオンが追いかけてくる。


 長髪の明るい朱色の髪をひとつにくくりにした美しい少年だ。


 海のように碧い瞳をこちらを向けるなり、逃がすまいという勢いで駆けてきた。


 わざわざシルヴィアーナ様の住まわれる別邸にまで足を運んできたとあれば、相当な要件がありそうだ。


「どこに行ってたもなにも業務の途中よ。シルヴィアーナ様のお側にいたに決まっているじゃないの」


 近衛団の一人であり、第二姫であるエヴェレナ様の護衛としても任務を全うしているはずの彼こそがこんなところをうろついていて良いものなのかと疑問に思う。


 見た目はどう見ても女の子と言われても過言ではないくらい整った顔をしているし、背丈はわたしとさほど変わらないけど目にも止まらぬ速さで相手をなぎ倒す彼の腕はわたしも深く信頼している。


「レディ・カモミールの新作の話はどうなってるの?」


 口を開けば今一番気にしていた話題だ。


「ど、どうなってるも何も……」


 新作と言われても、自分の時間すらまともにとれていないのだ。


 執筆なんてできるはずがないし、ましてや新作だなんてとんでもない。


「全く手つかずよ。書きたいことは山ほどあるのは確かだけど」


 そう。書きたいことは山ほどある。


 ネタだってこれほどにないほど溜まっている。未だかつてないほど溜まっている。


 わたしだって、ネタの宝庫と言わんばかりのこの素晴らしい環境にいて書けないなんて、これほど歯がゆいことはない。


「じゃあ、今回の新作は落とすってこと?」


「時間がないのよ」


 この一言がすべてである。


 好きで書けていないのではない。


「何をしようにもいろんなことがわたしの生活には割り込んできて、それらの方が優先事項だからってどんどん執筆の時間がなくなっちゃって……」


 かれこれ自分で決めた締切日デッドラインを大幅に過ぎているのだ。


 働かせてもらって、なおかつ自分の時間まで与えてもらい、こんなことを言うのは恐縮だけれども、趣味にさえ存分に自分の時間を使えないのが使用人としてのわたしの現状である。泣きたいのはわたしの方だ。


「で、普段はそんなこと全く気にもとめていないくせに、こんなところでわざわざこの話を持ちかけてくるってことは、どこかのご令嬢にでもこの話題を持ちかけられたってわけ?」


「ま、まぁ、そんなところだよ」


 いつもはご令嬢や貴婦人方が愛読してくださっている(らしい)淑女の読み物として知られる『レディ・カモミール』の作品に対し、自分は全くもって興味がないという素振りを全身全霊で見せている人間からは想像し難い言動だった。


 もちろん、近衛団の一員であるロジオンである時の彼は……の話なのだけど。


「今日のお茶会があったって知ってるよね?  で、侯爵令嬢のマチルダ様とライレーン様がレディ・カモミールの話題を出したらしくって、まさかのエヴェレナ様がぜひともお手にとってみたいって言い出して……」


「ええっ? エヴェレナ様が?」


 絵に描いたように可憐なお姫様だ。


 妖精姫とも呼ばれているお方だ。


 ふわふわしていて背景はいつもお花畑で蝶と戯れている様子が脳内に浮かぶ。


 正直な話、そんな完璧なお姫様には無縁のお話なのだ。


 まだまだ業務やることは残っているというのに、ふらっとしてしまうめまいには抗えない。


「平凡な侍女が娯楽で書いてる物語よ?」


 フリルとリボンがよく似合うお姫様が手にするにはあまりにもお粗末すぎるわ!


「しっ! ノエル、声が大きいよ!」


 突然あたりの様子を伺い、ロジオンが制してくる。今更ながら我に返ったのだろうか。


 いや、誰のせいだ。


「レディ・カモミールの正体が平凡な侍女だなんて、誰も知らないんだから!」


「あなたにまで平凡な侍女だと言われたくないわ!」


「自分で言ったんじゃないのさ!」


「自分で言うのとあなたに言われるのとでは大違いよ!」


 ああ言えばこう言う。


 変わらぬわたしたちの口論はいつも通りだ。


 まぁ、そのとおりといえばそのとおりなのだけど、言われっぱなしもしょうに合わない。


 途方に暮れながらロジオンに悲痛の叫びを訴え続ける。


「今日は星夜祭に向けてのあれやこれや乙女の準備期間のお話でうふふあはは♡と話に花を咲かせるのではなかったの?」


 人付き合いもせず、室内にこもりっきりのシルヴィアーナ様には無縁の行事のため、わたしはこういったイベントには疎いが、星夜祭に向けての乙女たちの意気込みは知っているつもりだ。


「この流れだと星夜祭の物語も見れるんじゃないかっていう話になったのは星夜祭そのの話題が始まってからだったよ」


「じょ、冗談じゃないわよ……」


 星夜祭をテーマになんて、書けるはずがない。


 まともに参加したことも参加することも叶わない憧れの行事なのだ。


 さすがにそればっかりは独占取材でもさせてもらえない限り、レディ・カモミールにも書ききれないのは目に見えている。


「どうにかならないの? ノエル〜」


 唯一の秘密同盟共有者あいぼうは泣き言を言う。


「無茶言わないでよ」


 書くことは大好きだ。


 ただ、こんなにも急かされて書くものではない。


 書け書けと言われるほど書けなくなるものだし、思ったよりも体力がついてこないのだ。


 お仕事ほかごとをしているときなんかはあれやこれやと書きたいことは山ほど出てきてやる気に満ち溢れている。


 でも帰る頃にはそんな気持ちもしぼんでしまっていて、いつの間にかまぶたがとてつもなく重たくなり、気づいた朝を迎えているなんてことはしばしばだ。


「ど、どうすれば……」


 それに、星夜祭の話題を期待されているだなんて……期待があまりに重すぎる。


 そういった微笑ましい行事からは完全部外者のわたしにどうしろと言うのだろうか。


 途方に暮れるしかない。


「そうよ!」


「え?」


「ロジオン、協力して!」


「えええっ?」


 かくなる上は、手段を選んで入られない。


「そうよ、協力してちょうだい! だってロジオン、こうなってしまったのはあなたにも責任があるんだからね!」


「ええっ!!」


 明らかに嫌そうな顔をしたロジオンを無視して、今日もまた、わたしの理不尽な要望は続く。


 いえ、自業自得よ、ロジオン。

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