第2話 不可能命題

 改めて言うまでもなく、故人は生き返らない。

 死から一年を経て蘇生したノスフェラトゥの存在は、日本の法律が想定する範囲に収まるものではない。日本に限らず、地球上のどの国でもそれは同じだろう。とはいえ、地球の星籍を取得する際には、併せて国籍も取得しなければならない。ノスフェラトゥが日本国籍を有し、相続人も日本人ばかりのため、他国の法律まで当たらなくていいのは、不幸中の幸いと言えた。

 一之瀬は頭の中で状況を整理した。

「本来、遺産の相続は、内容の精査や関係者の調査などを十分に行った上で実施されるものですから、その過程であなたの体質のことも明らかになっていたはずです。今回のケースでは、地球にあなたの親類縁者がいないことは始めから明確だったため、その辺りが省略されたのでしょう。しかし、遺言にせよ遺産にせよ、本人の死後のことです。経緯はどうあれ、現状においてあなたが存命である以上、遺産相続の前提が崩れています」

「それなら、返還させるのは難しくないのかい?」

「後から前提を失ったとは言っても、既に手続きが完了しているのは事実です。そう簡単には済まないと思います。贈与が行われる前なら、もう少し容易に差し止められたでしょう」

「その時点では、まだ死んでいたものでね」

 ノスフェラトゥは自嘲した。死んでいる、というのはどのような感覚なのか、一之瀬はふと疑問に思ったが、口には出さなかった。

 きっと、眠っているようなものなのだろう。そうであってほしい。

 彼女は気を取り直して、今後の話を始めた。

「お話を伺った限り、証明する必要のある事項が二点あります。一つは、あなたが不死身であること。そっくりな人物が荒唐無稽な主張をしている訳ではなく、間違いなくあなた本人であることを示せれば、遺言の執行が取り消されるべきだと主張する根拠になります」

「もう一つは、僕のやったことが詐欺ではないという証明?」

「ええ。ただ、それに関して一つ確認が。相手方は、あなたを詐欺師呼ばわりして、訴訟を起こしたということでしたが、具体的にはどのような要求をされていますか?」

 遺産返還を拒むだけなら、ノスフェラトゥの返還請求に対する応訴で十分だった。わざわざ別の訴えを起こした以上、明確に賠償を求めるつもりなのだろう、と一之瀬は考えていた。

「要求のことは特に聞いていないよ。きっと、僕の訴えをより強く否定したいだけだ」

「別の訴訟まで起こして詐欺同然だと主張する以上、返還請求を退けることが目的と考えるのは無理があります。すみません、裁判関係の書類はお持ちですか? 念のため、確認させていただきたいのですが」

 ノスフェラトゥは封筒を差し出した。銀河連邦条約機構のロゴが入り、日本支部の連絡先が印字されている。条約機構の支部は大使館のように各国にあり、地球上で宇宙人が関わる問題が発生した場合、機構が介入することが多い。今回の訴訟でも、ノスフェラトゥと裁判所の間を機構が仲介していた。

 一通り書類に目を通した一之瀬は、嫌な予感を覚えた。

「あなたが起こした訴訟の資料しかありませんが?」

「条約機構から渡された資料は、それで全部だよ。相続人側からの訴えのことは、口頭で伝えられた。後日、資料が届くと言われたけど、まだ来ていない」

 依頼人の前であることも忘れて、彼女は溜め息をついた。条約機構は行政機関と同等の厳格さで運営されている。条約と国内法との整合はともかく、仕事の手際に問題はないはずで、単に遅れているだけとは考えにくい。悪意ある何者かが、ノスフェラトゥを不利な立場に追い込もうとしている可能性を考慮しなければならなかった。

「腑に落ちませんが、ひとまず保留します。少なくとも、口頭連絡の際には、賠償や慰謝料といった話は出ていないんですね?」

 ノスフェラトゥは首肯した。一之瀬は、この場で汚職の可能性の話を持ち出すのは得策ではないと判断した。彼に不利益をもたらそうとしているのが、それによって不正な利益を得ようとしている者なのか、彼個人に対して殊更に悪意を持つ人物なのか。そもそも、意図的なものなのか、実は単なるミスなのか、まだそれすらも分からなかった。

 彼女は書類を返し、話を仕切り直した。

「詐欺ではない証拠を提示するのは難しいかも知れません。最終的には、真摯に訴えるほかないでしょう。ただ、こちらに関しては、不死性の証明によって、相手方に有利な証拠を増やすことになる可能性があります」

「僕が不死身ではなく偽物なら、後から取り消しを求めるような内容の遺言を残すという、奇妙な詐欺の前提がなくなる訳だ。だから、証明してしまえば、相手の前提を補強する材料を提供することにもなる」

「ええ」

「が、生き返ることを証明しない限り、返還請求の前提とするべき、遺言執行の取り消しを求める根拠が固められない。しかし、これはこちらも利用できないかな。不死性を利用した詐欺だと主張する以上、彼らは、僕が本当に生き返ったのだと承知していることになるのでは?」

「あなたがそのように主張したから、それに応じただけだと言われることになるでしょう」

「不死身だと言い出したのは僕の方だから、その証明をする必要があるのも僕の方、と」

 一之瀬は嘆息した。遺言書に一言、そのうち生き返るかも知れないから執行は一年待つように、と書いておいてくれていれば。

「我ながら、ややこしい状況を作り出してしまったものだと思うよ。とはいえ、これが本当に詐欺だったとして、僕に何かメリットがあると、彼らは本気で考えているんだろうか?」

「どうでしょうね。私にも思いつきませんが、結局のところ、財産を返すつもりはないということです。あなたの動機が何かは、問題ではないのでしょう」

 絞り取れるだけ絞り取るのが相手方の目的だと一之瀬は推測していたが、そのことは告げなかった。何にせよ、まだ証拠もない。


 ノスフェラトゥは肩を落とし、哀しみに満ちた表情を浮かべた。

「彼らに財産を遺贈することにしたのは、友情に報いるためだった。死んだ後に僕ができることなんて、それくらいだ。なのに、そのせいで、彼らが金目当てで僕に近づいたのだと知ることになってしまった」

 仕事には冷徹に取り組む一之瀬も、彼の様子には同情を覚えた。

「でも、返還に応じてくれた人もいるんでしょう?」

「そうだよ。地球で何年も過ごし、多くの人と交流したのに、今や僕の友人は二人だけということだ。僕が生きていると知って喜んでくれたのは、彼らだけだった」

「どんな人たちなんですか?」

「ジョイスさんといってね、とても善良な夫婦だ。移住したばかりの頃、すごく世話になった。当時の僕は、無謀な旅の末に地球に流れ着いた無一文の不審人物だった。その僕を家に置いてくれたばかりか、彼らの生活も楽ではなかったのに、僕が事業を始めるための援助までしてくれた」

 一財産築いたノスフェラトゥは、ジョイス夫妻にお礼をしようとした。しかし、夫妻は金銭を一切受け取らず、援助の分を返したいという申し出さえ断ったという。

「遺産という名目になってようやく、せめてもの恩返しができたと思っていたんだ。だから、今回のことでも、彼らに返還を求めるつもりはなかったのに、他の誰も応じてくれなくて、僕は無一文に戻った。訴訟を起こすにも金が要るから、仕方なく、彼らを頼った」

 情けない話だ、と言って、ノスフェラトゥは両手で顔を覆った。

「とはいえ、少しでいいと言ったのに全額戻されたときには、頑として僕から金を受け取りたくないんだろうと思って、悲しくなったな」

「その人たちがどういう気持ちなのか、私には分かりません。けど、本当に善良な人なら、友情と金銭を交換するようなことは、嫌がると思います。あなたにそんなつもりがなくとも、そのように解釈できる状況に身を置くこと自体を拒んだのかも知れません」

 ノスフェラトゥは無言だった。彼は何かを考え込んでいた。

 一之瀬はしばらく待ってから、話を再開した。ノスフェラトゥは気を取り直したようだった。

「さて、裁判の準備をしましょう。まずは、不死性の証明からです」

「何だかんだと言っても、現に生きていることが、何よりの証拠では?」

「別人の死体を使って死んだふりをしたとか、今のあなたはそっくりな偽物だとか、そういう主張をされる可能性があります。生き返ることを科学的に証明できるのが一番です」

「僕らには当たり前のことだからなあ……。実を言うと、故郷でも蘇生の仕組みはよく分かっていないんだ。とはいえ、条約機構では、加盟惑星に居住する種族の生態について、可能な限り解明する方針を掲げているだろう? 何かしら、調査や研究が行われているんじゃないかな」

「ええ。しかし、条約機構に情報開示を求めるのは容易ではありません。照会はしますが、あまり期待できません。加えて、銀河連邦条約の規定では、係争は現地惑星での解決が原則です。地球上で用意できない証拠を入手したとしても、条約の観点から、今回の裁判での有効性には疑問符が付きます」

「条約機構の資料でも?」

「そうです。地球外で作成された資料では、証拠物件として認められない可能性があります。最終的には各裁判所が判断を下すことになっていて、国によって扱いに差がありますが、日本の法廷では、条約機構が直接関与しているような場合でない限り、厳しいでしょう」

 ノスフェラトゥは険しい表情を浮かべた。前進するに当たっての障害の多さに苛立っているのかも知れなかった。

「それでも、条約機構への確認を頼むよ。僕の方は、病院なり研究所なりに、身体の検査をしてもらうことにしよう。一応、多少の伝手があるんだ。それで仕組みを解明できれば、御の字だ」

「公判までは一週間です。容易なことではないと思いますが……」

 これまで、死人は死んだままでいるのが、地球上の人類に共通する不変の事実だった。死者を生き返らせることなど不可能だった。

 不可能であることが常識となっている物事を覆すには、長い時間がかかる。その時間が極めて限られている現状、ただでさえ不可能に近いことが輪をかけて困難になっているのではないかと思われた。

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