早すぎた遺産

梨本モカ

第1話 死せる依頼人

 ノスフェラトゥは死んだ。

 ある晴れた日の午後、彼は雷に撃たれて即死した。それは間違いなく事故であり、疑惑の余地なく、完全に偶然の出来事だった。

 紛れもない悲劇だったが、彼を悼む者は多くなかった。彼にとっては、死よりもそのことの方が悲しむべきことだったと言える。

 数年前に地球に移住し、日本の国籍を取得したノスフェラトゥは、短い期間で億万長者になっていた。彼は高度超越的な数理経済学手法を駆使した投資モデルを用いて、巨万の富を築いた。

 実際のところ、彼の行為は銀河連邦条約の禁止規定に抵触する可能性があった。度が過ぎれば地球の経済に多大な影響を及ぼしかねず、それは別の惑星の技術による現地惑星の秩序への干渉に該当しかねなかった。しかし、彼の出身宙域では使い古された手法であり、また、彼は節度を弁えていた。資産を用いて活動こそしていたが、経済などに悪影響を及ぼさなかったため、今後はその手法を用いた投資を行わないことを条件に、地球で財を成したことは不問に付された。

 ノスフェラトゥの死後、遺言書が発見された。地球で得た財産は、地球で交流のあった人たちに遺贈する旨が記されていた。誰にいくら遺すのか、詳細なリストが添付されていた。他にも、慈善団体への寄付や故郷の惑星への連絡、葬儀で流してほしい曲のことまで記されており、若く健康でありながら、彼が自らの死を入念に想定していたことを窺わせた。

 遺言書が正当なものであることが認められ、遺産が贈与されると、リストに名前のあった人々のほとんど全員が、突如として転がり込んだ大金に狂喜した。一生遊んで暮らす人生を三回ほど送るのに十分な金額だった。その上、本来なら高額になるはずの贈与税は、条約を上手く利用して抑えられていた。元より彼の周りは甘い汁を吸いたい者ばかりだったが、想定を遥かに上回るごちそうが供給されたのだった。

 彼の死は速やかに忘れ去られた。


 億万長者ノスフェラトゥの死が報じられてから、ちょうど一年後。宇宙人を主な顧客とする弁護士事務所を開く一之瀬綾乃は、依頼人の到着を待っていた。銀河連邦条約機構を介した優先依頼であり、他の仕事は後回しにしていた。

 執務室のドアがノックされ、身なりのいい紳士然とした人物が現れた。グレーのスーツを着込んだ三十代半ばの風貌の男性だった。

「ご依頼いただいたノスフェラトゥさんですね?」

 一之瀬は確認のために問うた。

「ええ」

「私は弁護士の一之瀬です」

「一つ、言わせてもらっても?」

「何でしょうか?」

「あなたは、とてもいい」

 ノスフェラトゥは一之瀬を品定めするように見つめていた。一之瀬は彼の発言を訝しんだが、彼の眼中にあるのが容姿のような表面的なものではないことは、すぐに明らかになった。

「仕事のできる人だ。そういうことにかけて、僕の直感はとても鋭い」

「それはどうも」

 一之瀬は来客用のソファを指した。

「どうぞ、掛けてください」

 ノスフェラトゥが座るのを待ち、その向かいに移動して本題を切り出す。

「さて、早速ですが、依頼内容を確認させていただきます。贈与済みの遺産の返還請求と伺っていますが、これは一体、どういう状況なのでしょうか?」

 条約機構は、彼女に概要しか伝えていなかった。詳細は追って伝えるとの連絡を最後に、一向に情報が提供されなかった。そのため、彼女には具体的な状況が分からない。

 どこをどう見ても生きているノスフェラトゥが財産を遺贈した身だというのは、誰が聞いても奇妙な話だった。

「すみません。本来なら、事前に把握していて然るべきなのですが……」

「まあ、そういうこともあるだろう」

 ノスフェラトゥは特に気にした様子ではなかった。

「条約機構の担当官は、僕が詳細を説明すればいいと考えているんじゃないかな。どちらにせよ、確認する必要はあっただろうから、ちょうどいい」

「お願いします」

「この話の大前提として、僕は不死身だ。正確に言えば、死んでも、およそ一年後に生き返る。地球人からすると不可解かも知れないけど、そういう種族なんだ」

 不死と聞いて一之瀬は驚いたが、日頃から多様な宇宙人と関わっていると特異な存在にも慣れてしまうもので、その驚きが表に出ることはなかった。

「まあ、宇宙は広いですからね」

 彼女の常套句である。

 ノスフェラトゥは一度言葉を止めて、一之瀬が現実逃避している訳ではないことを確かめたようだった。彼は話を再開した。

「僕にとっては当然のことだったから、自分は死んでも生き返るんだ、なんてわざわざ吹聴したことはない。去年、僕が死んだとき、そのうち生き返ることを知っていた人は、地球には誰もいなかったと思う。そのせいで、本当に死んだものだと思われてしまったんだ」

「遺言書があったと聞いていますが、ご自分が生き返ることを認識していたのでしたら、なぜ、そのようなものを用意したのですか?」

 彼は微かに表情を歪めた。苦痛に耐えているように見えた。

「生き返るとは言っても、実際のところ、僕は一度も死んだことがなかった。間違いなく蘇生すると信じていたが、地球で何年も暮らすうちに、それが絶対に確実だとは、ちょっと確信できなくなった。それで、念のため遺言書を用意した」

「遺言書の中で、生き返ることに言及したりは――」

「していないよ。本当に死んだ場合のために書いたものなんだから。今思えば、一応書いておくべきだったけれど、当時は思いつかなかった」

「それなら、仕方ありませんね。では、万が一、本当に亡くなったときには、その遺言通りに財産を遺贈する意思があった、ということでよろしいですね?」

「もちろん」

 ノスフェラトゥは迷いなく返答した。遺贈の意思を疑わせるものはなく、一之瀬は、その点について疑念の余地はないと判断した。

「今回、遺産の返還を求めているのは、結局のところ、僕が今も生きているからだ。生活するだけならともかく、今後も事業を続けるには、まとまった資金が必要だ」

「慈善事業でしたね。相当な傾倒ぶりだと耳にしたことがあります」

「狂気的だと言われたこともあるけど、好きでやっていることだ。そんな訳で、金を回収する必要があった。最初は、一人一人に事情を話した。でも、ほとんど誰も返還に応じてくれなかった。例外は二人だけだ。使ってしまった分の補填までは求めない、まだ残っている分だけでいい、と頼んだんだけどね」

「それで、訴訟に踏み切った、と」

「その通り。返還してくれた二人を除く、全ての相続人を訴えた」

 一之瀬はここまで話を聞いた時点で、続く展開を察することができた。

「すると、相続人たちは、既に相続が為された遺産を返還する義務はない、と応じた。その上、不死身でありながら財産を遺贈する遺言書を用意するのは詐欺同然の悪質な行為だ、と僕を訴えたんだ。わざわざ別の訴訟を起こしてね」

 相続人たちがあえて別口で訴えてきたのは、応訴として返還を拒んで財産を守るだけでは満足できなくなったからだろう。そして、条約機構が二つの訴訟をまとめてしまい、一之瀬に投げつけた訳だ。

 本来なら、このようなことはできない。民事訴訟法の規定に従えば、主張や請求の内容が真っ向から対立して、双方が原告と被告となる訴訟を併合することなどあり得ない。この一件には、条約機構が調整を図るときの悪い面が出ていた。正直なところ、あまり関わりたいものではない。

「さて、僕の弁護を引き受けてもらえるということでいいかな」

 彼女は内心で溜め息をついた。既に条約機構は決定を下している。厄介そうだからと無闇に断れば、条約に基づく認可を取り消される危険が生じてしまう。

「ええ、もちろんです」

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