氷輪は哀傷に昇る
朧
Prologue & episode1
「やぁ、王子様」
……誰。
「名乗る程の者じゃないよ。それより、この惨事は君が引き起こしたのかな」
そうだけど。
「あははっ、凄いな。こんな大きな城を三分も掛けずに燃やすなんて。準備も大変だったろ?」
何が言いたい。
「そんな睨むなって。君は逃げなくていいのかい?」
うん、生きたくないから。
「ほぉ、そうかい」
貴方も逃げた方が良いんじゃないの。丸焦げになるよ。
「心配してくれてんのか、優しいな」
そんなこと。
「謙虚になんなくて良いよ。どうせもうすぐ消えるんだからさ」
そうだね、やっと死ねる。
「煙を吸って死ぬつもりだったのかい? それとも自ら火に飛び込むつもりだった?」
火に飛び込むつもりだったけれど、やっぱり怖くなったから煙を吸った。すごく苦しい。
「じゃあ喋んなくていいよ、つらい思いして死ぬ必要はないんだから」
……貴方、救助隊の人じゃないのか。
「うーん、少し違うね。僕は救命士だ」
ではどうして此処に?
「人手が足りなくてな、僕も駆り出されたんだ」
そう。
「君の父親と母親――国王様たちは無事だよ。ついでに、本当の王子様の方もね」
……。
「残念だったな」
私の心が読めるのか。
「いいやとんでもない。ただ、そんな噂は聴いていたんだ」
……。
「そろそろ意識が朦朧として来るだろ、楽にしな」
私のこと、助けなくていいのか?
「君が死にたくないと望むなら、僕はそれに応えるつもり」
ふっ、変な人。
「よく言われるよ」
……ねぇ、最後に名前を教えてくれないか?
「冥土の土産にでもすんのか? ま、いいけど。僕は✕✕✕✕✕✕って言うよ」
✕✕✕、✕✕✕さいごに、はなしあいてになってくれてあ、りがと……――
「どういたしまして、ハーレン王子」
・・・・・・
ここは石畳の道が広がり、レンガ造りの家屋が多く並ぶ王国・ヴィンリル王国。
千年以上もの長い歴史を重ね、変わらず続く王室制度はこの国の誇りと言っても過言ではない。
その堅牢な上下関係を維持するヴィンリル王国は独自に発展し、止めどなく繁栄を繋いでいた。
それ故、遅れを取る周辺諸国との仲は険悪であり、国境にて終わりのない小さな紛争を起こし続けていた。誰の目にも留められないほど、小さな争いを。
問題はそれだけでない。
この国では大昔から、他国では見ない存在と分かり合うことができずにいた。
それは「人外」との対立。
人間とそれでない生物が組み合わさった化け物である彼等は、人を喰い、この国の平和を脅かす存在であった。
発端は不明、通常の人間の赤子に紛れて生まれてくる。つまり人間の女から人でない化け物が生まれ落ちるのだ。
もし人外が産まれてしまった場合は、幼い内に捨て、殺してしまうのである。
そのヴィンリル王国の近郊。
晴れ渡る空に似つかない、沢山の悲鳴が飛び交う。子供の泣き叫ぶ声と女性の甲高い、鼓膜を刺すような声が響く。同時に足音が地面を揺らしていた。
「先生、教会近くに人を集めて下さいっ」
「分かってる! あんたもさっさと相手しろ!」
流れる人に逆らうような声で掛け合う少年と青年。
走りながら彼等は一旦分かれ、顔の整った少年は一人で血で染められた広場へ向かった。
幼い顔立ちの彼の視線は、広場に立つ肉の爛れた巨体に注がれる。化け物の手には、表情を引きつらせ助けも呼べなくなった男性が握られていた。
巨体の持ち主である化け物が、例の人外だ。
頭上には半円型の何かが二つ、左右に付いている。顔らしき部位には、左右非対称に無数の眼球が敷き詰められていた。人間と共通する部分はほぼ無く、強いて言えば二足歩行であることくらいだ。
男性の目の前で真っ赤な口が開かれる。大量の唾液に滲んだ血や、綺麗に並んだ血塗れの歯に引っかかっている人の腕が生々しい。
絶望的な表情をした男性が人外の口に放り込まれるその瞬間――鋭く乾いた音が鼓膜を突いた。それも二回。
何が起こったのかと男性が下に目を遣ると、少年が人外に銃口を向けていた。彼は先程、青年と共に駆けてきた少年だ。
数秒後に人外は、痛がるような野太い声を上げて男性を手放す。
首元のループタイを揺らしながら、少年は男性の落下地点に滑り込むと両手を広げて受け止めた――ように見えたが実際は小さな体が下敷きになった。
「いてて……って坊主! 大丈夫か!」
慌てて男性が立ち上がり声を掛けると、滑り込んできた少年は痛がる様子もなく平然と答えた。
「すぐに立ち上がれるならご自身で移動できますね、避難所はあちらです。髪の長い救命士がいますので、その方に怪我の程度をお伝えください」
童顔の中央に垂れる、異様に長い前髪が特徴的な少年はすぐに態勢を整えピストルを握り直す。再び人外へ足を向ける彼を、男性が思わず引き留めた。
「な、何を言っているんだ! 助けてくれたことは感謝するが、子供が出しゃばって戦えるような相手じゃない!」
「ご安心を。私、これでも歴とした救助隊の者なので」
男性にそう言い捨てると、少年は地面を蹴った。
(これは熊の人外か)
少年は足元に散らばっている、息をやめた人を軽々と飛び越える。急速に距離を詰めると、相手もこちらの存在に気が付いたようだ。
人外は相手が子供だろうと容赦せず巨大な手を地面に叩きつけ、石畳の広場を破壊し始める。剥がれ尖った石畳が障害となり、足場も酷く悪くなってしまった。
表情を歪めながらも、少年は人外の振り下ろす大きな手を避けて徐々に間合いを詰めていく。
相手の足を踏み場にし、小柄な体を駆け登らせた。自分によじ登ってきた人間を叩き落とそうと、人外は思い切り自身に拳を振るう。しかしそれは少年に当たらず、結果、自分にダメージを与えることとなった。
爛れた肉から血が飛び散り、水分を多く含む音が生々しく響いて辺りに
だが人外は怒りに任せて巨体を揺らし、少年を振り落とす。彼は耐えきれず宙に放り投げられた。
「こんのッ」
思わず零れた声を気に留めることなく、彼は空中で体勢を変えピストルを構える。片手で銃口を人外の首に向け、きつく
「失せろッ!!」
その刹那、銃口から一際大きな乾いた音が響き渡る。
彼の放った一発は、見事に相手の首に着弾。人外は断末魔の叫びを上げ、その場に崩れ落ちた。
少年は空中で撃った反動により吹き飛ばされてしまった。しかし右手に握ったピストルは手放さず、そのまま共に地面へ落下する。
落下地点を見計らって上手に受け身を取るが、痛いものは痛い。呻き声を漏らしつつ何とか立ち上がり、握りしめていた銃の弾を補充した。
すぐさま歯を食いしばって足を動かし、崩れた肉塊へ駆け戻る。地面にへばり付く肉の繊維に気を配り、構えたまま周りをぐるりと一周した。
彼の息はすっかり上がっており、額からも汗が流れ落ちている。疲れているのも当たり前だ、あの化け物を相手に小さな体を酷使したのだから。
もう動かないことを確認すると、少年は大きく息を吐く。ピストルを腰のホルダーにしまい、休む間もなく次の行動に移った。
・・・・・・
「駆除が完了しました、先生」
「ありがとな。すまんが手伝ってくれ」
少年が向かったのは、広場のすぐ近くに立つ教会である。その入り口付近には多くの人が集まり、泣き声や呻きを漏らしていた。彼は先に手当てをしていた青年に声を掛け、自分も手伝い始める。
血が止まっていなければ圧迫止血し、手早く包帯で固定。
打撲しているなら氷水を手渡して冷やすように指示。
痛めているようなら安静にするように言った。
少年は、先程の戦闘時とは打って変わって丁寧な口調で辛抱強く手を動かす。痛みに声を上げて泣く人々に寄り添い、手が血液で濡れても気にせず次へと足を急がせた。
やがて医者や軍人が駆け付け騒動は収束していく。
怪我人は医者や看護婦によって奥に運ばれ、軍人らは崩壊した家屋の撤去作業を始めた。
一方あの少年と青年は人々の群れから遠ざかり、広場に横たわる肉塊の元へ行く。今から死者数の確認を行うのだ。
血のきつい匂いが鼻孔を刺す。爛れた血肉の塊が目下にまで近づくと、少年は両手にナイフを握り刃を立てた。
「おやすみなさい」
そう呟き、ナイフを真下へ落とす。ぶち、と音を立てて人外の腹に刃を突き刺し、力を込めて肉を引き裂いた。
人外の腹はいとも簡単に裂かれ、内部からどろりと半液体化した人間が流れ出る。少年は慣れているようで、気味悪がることなく平然と死体を数え始めた。
溶けた人間の死体を見つめる瞳は宝石のような透き通った瑠璃色。長い睫毛は伏せられ、心から彼等の死を悼んでいるようだった。
もとは茶だったニットのベストも、中に着ていた純白のシャツも、返り血で真っ赤に染まってしまっている。
既に消化された人数までは把握できないため切り良く数えると、彼はすぐに遺体を分ける工程に入る。
顔が判別できる程度はまだ良い方で、もう人なのかさえ怪しい状態なのが当たり前だ。身元が分からないものが多く遺族の無念は残り続けている。
少しして、数人の軍人がやって来た。
彼等は人外の死体と人間の遺体を回収し、今回の事件について青年に事情を聴き出している。その間、少年は赫でまみれた手を拭うことなく、ナイフの刃を綺麗に布で拭いていた。
これが彼等の
死に追われる人々を救い、
(……そんなの、間違っているのに)
血濡れの少年はぐっと奥歯を嚙み締めた。この世界に対して、疑問ばかりが溢れかえる。
事情聴取の最中、ふと若い軍人を見ていた青年が疑問を口にした。
「あれ、ルイス少佐じゃないの?
革表紙のメモ帳に書き込む手を止め、聞かれた若い軍人が答えた。
「その方なら先日昇格なさって中佐となりました」
「へーそうなんだ、じゃあ君が新しい担当だね。名前を聞いてもいいかい?」
構いませんが、と気が進まなさそうな声音で彼は返す。
青年は名を聞くことができて満足したらしく、数回大きく頷いて見せた。彼は口角を上げたまま傍に立つ少年にアイコンタクトを取る。
「もう資料に目は通したと思うけど改めて自己紹介。
僕はヒュウエンス・ロッド、
「シュリムレイド・グレイツァと申します。私のことはシュリと、先生はヒュウとお呼び下さい」
青年――ヒュウエンスは八重歯を覗かせ笑い、少年――シュリムレイドは冷血な瞳を向けた。
彼等は「
人外が起こす「食欲発作」によって起こった事件・事故を専門に扱い、誰よりも速く現場に急行する。怪我人の救命処置は勿論、襲われそうになっている人の救助、人外の処分も行う。
軍人は姿勢を正し敬礼をする。が、ちらりと少年の方に意識がいった。
ヒュウの両手が深紅に染まっているのは納得できるのだが、隣に佇むシュリは全身が鮮血で濡れている。血を嫌がる様子もなく、むしろ慣れているようだ。
そして気味が悪いことに、この国の王子と瓜二つだった。酷似した端正な顔を両断するかのように伸ばされた前髪によって、別人であると認識できる程である。
「私の顔に何か?」
見つめられていることに気付いたシュリは中性的な声で訊く。咄嗟に軍人は否定の言葉を吐き、そそくさと立ち去ってしまった。
やっと人外の肉塊が運び出されたらしい、破壊された広場がとても広く感じられる。残されたのは血生臭い空気と二つの影だ。
シュリは大きく溜息を吐くと、顔を上げてヒュウに話し掛けた。
「発作が発症した人外による事件は、今月に入って既に三件目です。多すぎやしませんか」
「仕方ないだろ、暴れちまうもんは。ほら、さっさと帰ろうぜ。血塗れの子供を連れていたくないからな」
「
「そんなのが証なのかよ、臭っ」
「ぶっ飛ばしますよ先生」
気心が知れている仲らしく、シュリは敬語を使いつつも言い分に遠慮がない。しかしヒュウはそれを許しているようだった。
彼等は人気のない帰り道を辿り、何事もなかったかのような表情で会話している。端から見れば親子にも見えるが、それにしては異様で共通点がまるで無い。何故なら右に立つ子供は血濡れで、左に立つ影は――
――人外なのだから。
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