Black‐Utopia‐Online

セントホワイト

断章

第0話:仮想現実


「ここが、BUOかぁ……」


 都市伝説でしかなかったゲームの初ログインは感慨深いものがあった。

 今にも荒れそうな程の黒い雲に覆われた空からは小雨が降り、薄暗い路地には雨によって出来た水溜まりが出来ている。

 周囲を見渡せば昔の東京の電気街などの大都市を思わせるネオン光と、この世界では当たり前の近未来的な空中ディスプレイが流行りのAIアナウンサーが流暢にニュースを読み上げている。

 近未来的なようで何処か退廃的な世界観で形作られた街はVRの世界でも息苦しさを感じてしまう。


「やっぱ成人向けのゲームは怖ぇなぁ」


 ネットには悪い噂ばかりが先行して大した情報はないが、このゲームは他のVRMMOよりもリアリティを追求しているらしい。

 そのため暴力的表現は他のゲームと一線を画し、まるでもう一つの現実を生きているかのようだという。


「確かになんか……ゲームっぽさは感じないな」


 壁に触れれば手が張り付き、壁の冷たさは現実のビルのよう。

 さらに髪や肌を滴る雨粒や、濡れて重くなりつつある服が現実感に拍車をかけた。


「うぅ、冷たっ! これバッドステータスにならないだろうな?」


 まずはステータスを確認してみようとしたとき、遠くから爆発音が響くと次いで走る足音が聞こえてくる。

 水溜りを気にした様子もなく向かってくる足音が段々と近付き、何かの最初のイベントかと期待しながら足音が響いてくる方向を見ていると―――


「……すっげぇ……」


 ―――誰にも踏み荒らされていない白い雪原のような女が現れた。

 ウェーブのかかった白い長髪が舞い、身体の凹凸をハッキリと見せる迷彩服を纏い、腰にはナイフやホルスターに入った小銃、小さめのポーチが揺れる。


「……走れっ!」


 女の視線が一瞬で上から下まで確認された直後の言葉だった。

 静止の言葉をかける暇もなく、通り過ぎた瞬間に火薬が爆発した時と同じような臭いが漂っていた。

 先程の爆発音と今の臭いから明らかに何かのイベントだと察し、女の後ろ姿を追いかけてネオン光が溢れる道へと飛び出した。

 路地から出れば目が眩むほどの輝きによって一瞬だけ瞼を閉じ、それからゆっくりと瞼を開けた。

 そこは幾つもの青少年が見てはいけないような店が軒を並べるような場所だった。

 銃などの武器を売っている店の隣で電子薬物の売買をしている店があったり、飲食店らしき屋台の横ではポルノ映画並の痴態映像のサンプルを流している店がある。

 賭博場の上からは外まで聞こえるほどの女性の嬌声とともに影が動いていた。


「な、なんだここ……」

「おやぁ? そこのにぃちゃん、新入りかい?」


 異空間に圧倒されていると背後から男の声とともに腕を掴まれる。

 手加減はなく、思わず「痛っ」と呟いて振り返れば、そこには目深にフードを被った腰の曲がった老人のような男がいた。

 腕を掴んだ手は昔に見たブリキの玩具のような刺股のような手をしており、フードの下には皺くちゃのスキンと抜け落ちた不揃いな歯を見せて笑う。


「こりゃあいい。まだ出来たてだ。兄ちゃんツイてるツイてるよ。なぁに、格安で案内してやるよ。まずは手始めにシャブなんかどうだい? いい店知ってんだよぉ」

「は、離してくれっ!?」

「大丈夫ダイジョブ、怖くないさ。依存なんて一発ぐらいじゃしないしなァい。ゲームなんだから愉しいほうがイイだろう? 兄ちゃんは注射タイプ派かい? それとも葉っぱ? やっぱり最初はチョコかい? ぐひっ! 若そうだしねぇ」


 涎を垂れ流しながら話す老獪は右目だけしかないなけなしの目を血走らせ、明らかに正気をドブへと捨てたとしか思えない姿に恐ろしくなって手を振り解こうとした。

 しかし、想像よりも強く握りしめられ、まるで現実に万力で徐々に力を加えられているかのような骨が軋む痛みを感じ恐怖を知る。

 老人はゲームだと言ったが老人の態度はゲームの枠を明らかに超えているロールプレイだ。


「だ、大丈夫だからっ! 俺そういうの要らないから!」

「みんな最初は怖いもんさ。懐かしいねぇ。俺も最初は悪い代物しか無くて怖くて怖くてねぇ。あれは……ちょうど2000年の頃だったかぁ? 友人に誘われてパイプ咥えてさぁ」


 懐かしいと言いながら昔語りを始める老人の手が少しだけ緩んだ瞬間に振り解くと、そのことに気づかない老人は変わらず昔語りをしていた。

 一瞬NPCなのでは無いかと思ったが、決められた定型文を話しているようには見えず、所々話がループしたり忘れたのを思い出そうとするなど人間らしさが垣間見える。


「お、俺……もう行きますんで。それじゃっ!」

「あ、ま、待て……っ!」


 老人の静止の声を無視して暗い路地へと向かって走り出し身を隠す。

 妖しげな商店を駆け抜け、NPCともPCとも分からない人々の間を掻き分けたことで老人もこちらを見失ったらしく路地から走っていく姿が見えていた。


「な、なんだったんだよ」

「キミ」

「うわっ! あっ。な、なんだ……アンタか」


 暗い路地に置かれた鉄製のゴミ置き場に寄りかかりながら声をかけてきたのは、先の突然に「走れ」と叫んできた白い髪の女だった。

 足元から頭の天辺、靴や腰につけられた初期装備の小銃に至るまでじっくりと確認した女が無言のまま近づいてくる。


「な、なんだよ? アンタもあの老人みたいな奴と一緒かよっ!?」

「老人? あぁ。アレは電子薬物に心底落ちた大して害のない落伍者よ」

「いや、そんなのかなり害があるだろ」

「…………そうね。そうだったわね……」


 寂しげな笑みを浮かべた白い髪の女は手が届く距離まで近づくと、手を差し出して握手を求めてくる。


「私はスズラ。貴方は……初心者ビギナーね」

「確かに今日が初ログインだけどよぉ。他のVRMMO歴はそれなりに長いんだぜ?」

「そう。なら解るでしょう? 私の言いたいことは」

「いや、そりゃあ……でも」


 渋った言い方をすればスズラと名乗った彼女は強い口調で決断を促してくる。

 その黒い瞳孔が一ミリも揺れることはなく、彼女が本気でログアウトをしろと言っているのが伝わってくる。


「貴方が今まで何のゲームで勇猛果敢に頑張ってきたか。貴方が今まで何のジャンルでも英雄的行動で誰からも慕われてきたか。そんなことはこのゲームでは関係ない」

「そんなことって」

「そんなことよ。このゲームは人間性を壊すことしか考えられていないのだから」

「人間性を……壊す?」


 そんな馬鹿な否定すると、スズラは溜息を吐いて話を続けようとした時だった。


「居たぞ! 白死はくしだっ!」


 大通りから黒ずくめの服を着て右腕が機関銃になっている男が仲間を呼ぶために叫んでいた。

 男は右腕の機関銃を構え、何の警告すら告げず機関銃を撃つ。

 瞬きの銃火が軽快な音とともに、確かな脅威と殺傷性を壁や地面、辺りに散乱しているゴミなどを破壊していく。


「走れっ! ついて来い!」


 彼女は雨あられのように飛んでくる弾丸の嵐を背にして一目散に逃走する。

 戦うという選択肢は最初からないらしく、今までやってきたゲームのセオリーとは違うのだと実感したのは何発目かの実弾が肩を撃ち抜いた時だった。


「いぎっ!?」


 それは咄嗟の行動だった。

 撃たれた右肩を押さえたことで体勢が低くなったことで、頭を掠める弾丸を避けることができたのは幸運以外の何者でもない。

 だがそれ以上に頭の中を埋め尽くすのは痛みから、この場から逃げるという行動だけだった。

 一発の銃弾が与えたダメージは表示されたHPバーを見れば大したダメージではなかったことが分かる。

 減少幅としては初期値の一割にも満たないダメージ。

 だが数値として表れない痛みは今も肩に開いた穴から感じられ、HPバーは1ビットも減ることはなく、また状態異常がある訳でもない。


「継続っ、ダメージ……じゃ、ないっ!?」


 ゲーム的な痛みが無いのに、現実的な痛みだけは変わらず感じていることに言葉に言い表せない恐怖が胸の内から絶叫として口からあふれ出す。

 無我夢中で銃弾が飛んでくる場所から逃げ出す。

 今までやってきた経験や誇りなど何の意味をなさず、ただありのままの弱い自分を曝け出して悲鳴をあげながら一目散に逃げ出したのだ。

 銃弾が頬や身体を掠めて皮膚を切り裂く度に痛みは増え、注視しなければ気づかない程度にHPバーは減っていく。

 まるで現実でHPバーが現れただけのように。


「い、いやだ! 嫌だ死にたくないっ! まだ死にたくない! ひぎゃっ」


 一発の銃弾が走る脚を撃ち抜き、力が入らずに転んでしまったらしい。と痛みの中で気付くのに時間はかかってしまったが。

 それは、一生を棒に振るうほどの時間だったと後に思うことになる。


「何だ、こいつは?」

「がっ!?」


 痛みに脚を押さえていたところに降ってきた声と、鋭く遠慮など欠片もない蹴りが腹部に当たり体勢を変えられる。

 身体を濡らす雨と見下ろしてくる二つの男たちの顔。

 サングラスをかけ、髪は雷のような剃り込みを入れ、右手は二人とも腕から機関銃へと改造されている。


「白死の仲間か?」

「は、くし?」

「下手な冗談はよせよ。白死を知らねぇなんて言わせねぇ。さっきまでお前らが話してたのは見てたんだからな」

「し、知らないっ! 白死ってなんだよっ!? お前ら何なんだよ!? なにがもくてあああああぁああ!?」


 叫ぶように糾弾は、淡々と振るわれた刃によって切断された右手が地面に落ちるのと想像を絶する痛みと喪失感が襲い掛かる。

 もはや痛みによって考える力すら奪われたというのに、男たちは髪を掴んで引っ張り顔を近づけて一言呟く。


「うるせぇ」


 そして突如振るわれる拳が顔面を捉え、顔が潰されるような痛みと地面に思いっきり後頭部を打つ衝撃が意識を混濁させるが振るわれる暴力が止むわけではない。


「お前、初心者だろ? 初心者装備だもんなぁ?」

「おい童貞チェリーボーイ。俺たちが質問をしてるのに答えねぇとはどういう了見だ? お前には耳がついてねぇのか? これは飾りかぁ?」

「ひ、ひたい……」

「安心しろよ、これはだ。痛みは最高に現実的だが死にはしねぇ。解るか? お前のHPが寸前まで拷問しても死にはしねぇんだ」

「今からテメェをバラしても、HPがあれば生きていけるんだ。良かったな?」

「た、しゅけ、て。たしゅけえ!」


 男たちのドス暗い笑みと、右手を切断した刃が蝶のようにひらひらと舞って掴まれた耳にあてられる。

 助けを呼んでも誰かが、ヒーローが現れることはない。

 この街では。このゲームでは。このBlack-Utopia-Onlineでは。

 そう、この街は邪悪な欲望が渦巻く大人たちの遊技場。

 この街はいつでも、いつまでも……だけは売られていない。



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