夜を照らす灯火の花
夏の夜は蒸し暑く、他の季節に比べると、暗さも薄いような気さえする。
吹き抜ける風は生ぬるく、心地よいとはあまりいえない。
二人が暮らしている家の庭先では、闇を照らすかのように火花がはぜていた。
少女と青年が花火をしているのだった。
瞬間的に音がしたかと思うと、持ち手の先から、火花が吹き出る。
その炎の色は、緑やオレンジ、青や黄色などカラフルで、どれも温かみを感じる色だ。
少女はそれを眺めながら、綺麗だと思った。
打ち上げる大きな花火もきれいだけれど、自分のすぐ傍でやるのもいいわね。
はじける火花を見ながら、少女は向かい側にいる青年に話しかけた。
「小さい花火も、綺麗ね」
少女に向かって、青年は頷きながら微笑む。
普段ならば紙に書き渡すのだが、今晩は危ないからと持ってきていない。
つまり、少女が何をいっているのか読み取るしかないのだ。
家を出る前に、なるべくわかりやすいように口を開けると青年は言っていた。
たとえ紙ごしでも、話せないと少し退屈ね……
そんなことを思いながら少女は花火を見る。
この時期になれば、あちらこちらで売っている、花火のセット。
本格的なものから、ちょっとしたもの、すごい動きをするもの。たくさんの種類がある。
打ち上げるものもあったのだけれど、迷惑になるからと普通サイズのセットを青年が買ってきた。
元はといえば、置かれていた新聞を何気なくめくった少女の一言から始まったのだ。
「花火大会?」
その記事には、近々行われる花火大会についてのことが記されていた。
開催場所は書いてあったが、少女の知らない場所。
わかったのは、その大会が随分と大きなもので、大勢の人が見に集まるということ。
去年のものらしき写真が文章のそばに掲載されていた。
それはモノクロ印刷だったが、華やかだった。
色がないのに華やかに見えるというのも変だけれど……実際はもっと鮮やかなんだろうな。
『興味あるの? 花火大会』
「ううんと……花火は、見たことがないのよね。やったことはある気がするのだけれど」
少女の記憶の中では、お花見をしたことはあったが、花火を見に行ったのは覚えていなかった。
もしかしたら忘れているだけかもしれないのだが、それはあまりない気がする。
小さいものならば、家族でやったことがあるような。ずいぶんとうろ覚えなんだけど。
少女が伝えると、青年は置かれていた新聞を手に取り、その記事を見始めた。
しばらくの間、目線が上に下にと動いていた。
その様子を、何故だかはわからないが少女はどきどきしながら見ていた。
誰かがそれを見たならば、微笑ましく思って笑うことだろう。
少女の様子は年相応のもので、プレゼントを待ちわびる子供のようにしか見えないから。
記事を読み終わったらしい青年が、紙に何かを書いて少女に渡した。
そこに書かれていた言葉を見て、少女の表情が変わった。
『ここからだとね、ちょっと遠い場所なんだ……大変だと思うよ』
つまり、行きも帰りも大変だろうから、見に行くのは無理だろうということ。
青年の言葉は、この花火大会にいけないことを示していた。
――なっ、わたしったら、何を残念がっているのかしら。まるで子供みたいじゃない。
花火が見れないくらい……別にたいしたことじゃないわ……よね?
かわいそうになるくらいに、しょんぼりとしてしまった少女を見て青年は慌てている。
ぐるぐると自問自答している少女は、それに気づいていない。
なんとか落ち着こうとしているようだが、それがかえって逆効果になっている。
申し訳さなそうにしながら、わたわたとしていた青年は何を思いついたのか、紙に何事かを書き付けた。
そしてそれを手渡された少女は、少し落ち着きを取り戻した。
『花火は見に行けないけれど、庭でやることはできるから』
「やるって……ここの庭で?」
青年は頷きながら、別の紙を手渡した。
そこには、お店で売っている花火を買って、庭でやればいいというようなことが書いてあった。
お店のって、あれよね。子供向けとか、ファミリーパックとか色々とあるやつ。
『どうかな? やっぱり見に行きたい?』
さっきは難しいといいながらも、同じ事を聞くあたり、この青年の性格がでている。
この人は、変だけど、優しい人なのね……きっと。
そんなことを思いながら、少女は頷いた。
「ううん。庭で、花火がやりたいわ」
今思えば、庭で二人で花火をやる方を選んでよかったと思うわ。だって、大会には人は大勢くるもの。
花火という言葉につられてしまったが、少女はあまり人混みは好きでない。
静かに花火をやる方が似合っていたのかもしれない。
鮮やかな火花をみて思った。
『綺麗だよね』
青年の方をみると、それに気が付いたのか唇がそう動いた。
ええ。花火はとっても綺麗。大きくても小さくても、それはおんなじだわ。
独りと二人でやるのでは、ずいぶんと楽しさが変わってしまうけれど。
この鮮やかな色は、冬にやっても綺麗だと思う。
雪の白や、冷たい空気にはとても合う気がするから。
でも、花火を一年中やったら、つまらなくなってしまうのだろうなと少女は思う。
それが当たり前になってしまったら、なんともなくなってしまう。
こうやって、夏にだけやるから、きっと楽しいのよね。
「花火って、夏にだけだから楽しいのよね?」
少女が青年に問いかけてみると、青年は唇で答えた。
『刹那だから、綺麗だし、楽しいんだよ』
ゆっくりといわれた言葉を少女は読み取った。
せつな、という言葉の意味はわからなかったけれど。
自分の思っていることと、遠くないということはわかった。
そのまま二人で花火を続けていた。少ししか買ってこなかったので、そう数はなかったのだが。
何度も火をつけて眺めているうちに、最後の一本になってしまった。
あぁ、もう終わってしまうのね。綺麗なのに。
向かいを見ると、青年が家の中へと戻り、何かごそごそとしていた。
片付けの準備でもしているのだろうと思いながら、少女は花火を楽しんだ。
燃え尽きて、火花が散った後、それを水を張ったバケツにいれると音がした。
さて、どうしようかと少女が考えようとした時、青年が少女の肩を叩いた。
「何?」
少女が青年を見ると。手には小さな袋をもっていた。その中に入っているのは、二本の線香花火。
いつのまに買ったの、と少女が問うよりも早く青年は口を動かした。
『やろう? どっちが早く落ちてしまうかな……』
そういいながら青年は少女に、線香花火を手渡した。
小さな花火を受け取った少女の顔は、ふわりと綻んだ。
チリチリと音を立てて、花火がはじける。
何かの模様にも見えるその火花は、眺めていて飽きることがない。
だんだんと大きさを増していく火花は勢いがあって楽しい。
顔を近づけすぎないように気をつけながら、少女は火花を見る。
花火越しに、青年の穏やかな顔も見えた。その顔色は少しだけ青白かった。
火花に照らされているのに、どうしてなのかしら。
不思議に思いながらも、だんだんと大きさを増していく火の玉を見つめる。
とろりとしているのに丸い形を保っている玉は、青年のよりも少女の方が大きかった。
青年のは小さく安定していて、少女のは大きいがよく揺れている。
時折ゆらりと揺れるから、ひやひやしながらも落とさないように注意する。
どちらが先に落ちてしまうかな、なんて彼はいっていたけど。
意外に、落ちないものなのね。風がたいして吹いていないからかしら?
覚えている限りでは、大抵はすぐに落ちてしまったのに。
そうこうしているうちに、少しずつ玉が揺らめいてきた。
はらはらしながら、少女は自分のと青年の花火を交互に見る。
それは、本当に一瞬のことだった。
青年の手がわずかに震えて、火の玉がゆっくりと地面へ落ちてはじけた。
「あっ……」
思わず、少女は声をだしてしまった。そろりと、青年の方をみた。
紙の柄をを持ったまま、青年は残念そうに微笑んでいた。
『僕の方が、先だったね』
そういいながら微笑む顔は、残念そうというよりも、寂しそうに少女には見えた。
そんな青年の表情を見て、少女は戸惑ってしまった。
ええっと……こういうときは、なんていえばいいのかしら。
あまり人に温かい言葉などかけてもらったことなどないから、何をいえばいいのかわからないわ。
ううん、と考え込んでしまった少女を、不思議そうに青年は見ていた。
その後、何を思いついたのか、少女は勢いよく顔を上げて、青年へといった。
「また、来年も花火……できるといいわね」
いったあと、少女は急に不安になった。
今ので、合ってたのかしら? 他に思い浮かばなかったのだけれど……
ぐるぐると考えて、言ったことが不安ではないということに気が付いた。
『また、来年も お花見に来たいね』
「また、来年も花火……できるといいわね」
来年も。
前に彼が、今はわたしが使った言葉。
来年なんて、くるかどうかもわからないのに。
明日だって確実かどうかはわからないのに。
二人で、来年の夏も花火をできるかなんてわからないの。
それが――わたしが不安に思っていること。
独りに戻るのが……怖いのかしら?
急に黙ってしまった少女をしばらく見ていた青年が、少女の手を握った。
いつのまにか、線香花火は落ちてしまっていた。
優しく微笑みながら青年はいった。
『そうだね……今度はもっとたくさんの花火をしよう。ふたりで』
少女は青年の顔を見てから、頷いた。
来年も、できるかどうかはわからないし、不安なまま。でも。
今このとき、彼がこういってくれるのだから、きっと来年もあるのだろう。
目の前にいる、お人よしの彼がいうんだもの。
その場しのぎだとしても、信じてみたい。少女はそう思った。
だから、青年に少女はいった。
「あなたは嘘なんて、つかなそうだものね」
一瞬、きょとんとした顔をした青年だったが。
『嘘をつけるほど、器用じゃないんだよ』
それを聞いた少女は、声を出して笑った。つられて青年も微笑んだ。
少女が空を見上げると、無数の星が夜空に浮かびあがっていた。
星を眺めながら、二人は後片付けを始めた。
二人の頭上では、星が一つ瞬いて――流れて消えた。
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