7.欠損、見えない事実と見えた真実①
10月21日(Thu)
午前の捜査会議で新たな事実が判明した。
二階堂は馴染みの画商に日本の美術界にとって重大なスキャンダルとなり得る事実を掴んだと漏らしていた。それがどのようなスキャンダルか、詳細を二階堂は語らなかったそうだ。
画商と二階堂がその話をした日は10月3日。それから一週間後に彼は殺害された。
二階堂の周辺人物で二階堂の死亡推定日時である10月9日昼以降から10月10日の両日ともにアリバイが不透明な人間は、画家の宮越と二階堂の会社関係者が数名。
二階堂からギャラリーストーカーの被害を受けていた複数名の女性画家にもアリバイを聞いて回っている。
多方面に恨みを買っていた二階堂だ。調べれば調べるほど、彼に恨みを持つ人物のリストは山積みになり、ひとりひとりのアリバイを確認するだけで一日が終わる。
ストーカー、セクハラ、パワハラ、恐喝、借金の踏み倒し。被害者の生前の行いを知った刑事の誰もが、二階堂は殺されて当然の男だと、口には出さずとも思っただろう。
だからこそ士気の下がる捜査本部にもたらされた新たな事実は、疲れた刑事達の目にわずかながら覇気を宿した。
二階堂の掴んだスキャンダルを隠蔽したい何者かが秘密を握る二階堂を殺害したとも考えられる。
二階堂はヒントを遺している。“日本の美術界にとっての重大なスキャンダル”となれば、マークすべき人間はおのずと浮かび上がる。
差し込んだ一筋の光がこの事件を終わらせる一手になると信じて、今日も彼らは散り散りに捜査に向かった。
*
昼時を迎えた捜査一課、南田康春の周りではカップ焼きそばのソースの匂いの他、生姜焼き弁当や出前のカツ丼やラーメン、ハンバーガーとフライドポテトのセットなど、様々な食べ物の匂いが充満していた。
「南田先輩がコンビニ弁当なんて珍しい。今日は奥さんの愛妻弁当じゃないんですね」
匂いにおいて唯一無害そうな野菜のサンドイッチを頬張っているのは、新人の朝木日奈子だ。両手でサンドイッチを持ってもごもごと口を動かす仕草はハムスターに似ている。
『予定日が近いから実家に帰ってる』
「ああ、そっか。予定日いつでしたっけ?」
『28日。けど少し早まるかもしれないって』
本音は出産予定日が迫る妻の側にいてやりたいが、仕事はしなくてはならない。警察官、しかも捜査一課の刑事が育休を取れるはずもない。
できれば出産に立ち会えたらと、かすかな望みを抱いても、父親となった先輩刑事達の話を聞けばそれは叶わぬ願いに終わるだろう。
(もしも育休が取れたら、その期間のコイツのバディって誰になるんだ?)
人の気苦労も知らず呑気にランチタイムを過ごす相棒の顔を南田が盗み見た時、殺人犯捜査第九係主任の小山真紀がフロアに現れた。
各班の主任が集まる主任会議を終えたばかりの彼女は、南田の隣席にいる九条大河に声をかけた。
「九条くん、また徹夜したでしょう? 残業もほどほどにして帰りなさいっていつも言ってるのに」
『すみません。ちょっと調べたいことがあって』
「無理しないでよ。でもそれだけ食欲があれば体は平気そうね。ちゃんと仮眠もとりなさい」
カップ焼きそばの容器を空にした後、別班の刑事に分けてもらったフライドポテトに手を伸ばす九条の様子を見た真紀は、呆れたような安堵のような苦笑いを九条に返した。
2年前から南田がバディを組むこの相棒が、今の南田には妻の次に気がかりな存在だった。
警察学校の同期である九条とは昔からそりが合わなかった。体育会系の九条と知能系の南田ではそもそも得意不得意の分野が異なる。
論理的思考に基づいて捜査を進めたい南田には勘だけで突進していく九条の無鉄砲さが理解できず、何度胃を痛くさせられたことか。
最近、九条は夜な夜な資料室に籠って調べ物をしている。九条が何を調べているか大方の把握はしているが、どうしてそれを調べているのか、肝心な話はまだ聞けていない。
『じゃ、いってくる。あと頼む』
『ああ』
栄養ドリンクの瓶を片手に捜査一課を出ていく九条を視線だけで見送った。今日の午後は九条とは別行動だ。
ランチタイムを終えたフロアはそれまでのざわつきが嘘のように閑散としていた。慌ただしく昼食を済ませた刑事達は休む暇もなく仕事の持ち場に戻っていく。
南田も九条に頼まれた調べ物のために資料室に向かおうとした矢先、真紀に呼び止められた。
「本当のところ九条くんは大丈夫なの? 例の女性画家とプライベートで会ったって報告は本人から聞いてるけど」
『あれでも一応はしっかりしています。非番の夜に成り行きで堀川綾菜と渋谷のバーで飲んだらしいですが、店を出てすぐ解散して、別々のタクシーで帰宅したと』
堀川綾菜との一件を九条は南田と真紀に報告している。プライベートな時間にどこで誰と過ごしても、本来は問題がない。
しかし真紀は腑に落ちない表情をしている。
「九条くんの話、そのまま信じられる?」
『九条はあの通りの馬鹿正直者ですから、嘘は上手くありません。タクシーに乗るまでの間に多少は堀川綾菜と何かあったとしても、解散して帰宅したの部分は本当だと思いますよ。仮にその画家と九条が俺達に言えない関係になっていたなら、馬鹿正直なアイツの態度はもっと露骨になります』
極論を言えば、事件関係者と一夜を共にしていないなら、堀川綾菜との件は目を瞑るつもりでいた。それは真紀も同じのようだ。
『それと、九条が調べていたことです。九条の字なのでかなり読みにくいですが』
南田が真紀に手渡したノートには宮越晃成の略歴が九条の字で記されていた。
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2001年4月 宮越、スペインに移住。以降はスペインを拠点に活動。
2014年4月 堀川綾菜、関東芸術大学美術学科に入学
同年夏 宮越、スペインから帰国
※帰国後の宮越は人物画は描かず、静物画や風景画を好むようになった。
2015年4月 宮越、母校でもある関東芸術大学美術学科で講師を務める。堀川綾菜の担当講師に。
2018年 宮越、脳梗塞を発症。
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