腕と首なら欲望のキス

 ゆらゆらと陽炎のように蠢く漆黒の闇。

 そんな闇が街を覆いつくす夜。


 ある高級ホテルの一室には、仄かな明かりが灯っていた。

 綺麗な硝子細工のシャンデリア。発する光は淡く妖しく。


 闇を払う明かりは、ベッドの上にいる二人を白く照らしていた。


 ベッドに横たわりながら、カツヤは隣でネイルを整えているシオリを見た。

 さっきまで事に励んでいたというのに、涼しい顔をしている。


 ネイルの鮮やか過ぎる赤を見ながら思う。


 彼女は、明日にはまた知らぬ誰かの所へ行くのだろう。

 愛なんてないのは、カツヤもわかっている。

 二人の関係には、綺麗なネイルなんて必要ないのだから。


 部屋の空気には熱っぽさがまだ残っていた。自分の体は、中途半端に生温かった。

 曖昧な熱を逃がすかのように寝返りをうち、シオリに声を掛けた。


「シャワー、浴びてこないのか?」


 ネイルから視線を外して、シオリは微笑んだ。


「まだ、いいわ。これで終わりじゃないでしょう?」


 彼女は俺を見透かしているかのように言った。


「当たり前だ。シオリだって、満足してないだろう、どうせ」


 答える代わりに、彼女は艶やかに微笑んだ。

 その唇には、いつの間にか真っ赤なルージュが塗られていた。


 その赤から、彼女の均整の取れた体へと視線を移した。

 彼女の体は、誰が見ても美しいと思えるほどにバランスが取れていた。


 彼女も、よく自分でそう言っている。

 今までの人みんな、私の事をキレイと言っていたわ、と。


 カツヤとシオリが出会ったのは、蒸す様な熱帯夜だった。

 会社の帰りに、ふらりと立ち寄った飲み屋で会った。


 そこは馴染みの店でもなく、カツヤにとって初めての場所だった。

 普段なら、あまり知らない店には立ち入らないのに、その夜は違った。


 知らない店で、馴染みのないマスターが入れてくれるカクテルをのみ、シオリと出会った。


 その時のシオリの服装は、今でもよく覚えている。


 赤いルージュに、胸元の大きく開いた赤いドレス。

 シオリは、赤い色が好きだといった。


 そのまま二人は他愛のない話をして、ホテルへと向かった。

 特別好きになったわけでもなかった。ただ、なんとなくだった。


 ホテルへ向かい、無我夢中で二人はお互いを求め合った。

 熱く、うねるような夜の中で。


 カツヤはそういう相手との行為を嫌ってはいなかったし、シオリも慣れた様子だった。

 ただ、予想と違ったのは、二人の関係が一度では終わらなかったことだろうか。

 今夜のように、時折連絡を取り、どちらからとでもなく求め合う。


 そういう気分の時は、出会った居酒屋へ行くと彼女に会えるのだった。


 どうして一度で終わらなかったのか、よくわからない。


 体の相性が良かったのかもしれないし、他の所でも何か当てはまるものがあったのかもしれない。


 ただ、カツヤはこう考えていた。

 あの夜の欲望が――消えなかったのではないかと。


 普段なら欲は、今にも消えてしまいそうな程に、薄い。


 それが、シオリという存在によって燃え上がったのではないか。

 なんとなく、考えただけのことだったが、的を得ている気がしていた。


 その欲は収まることを知らず、会うたびに強くなることがその証明だったから。


「カツヤ、どうしたの?」


 甘えたような、シオリの声でカツヤは我に帰った。


 何事かと思って見ると、彼女の体が腕の中にあった。

 どうやら、無意識で抱き寄せていたようだ。


 そのことに少し驚きながらも、カツヤは細い腰を抱く腕に力を込めた。


「珍しいね、いっつもくっつかないのに」


「たまにはいいだろう」


 それもそうね、とシオリは言い、気まぐれな猫の様に自分から体をすり寄せてきた。


 甘えられて、嫌な気分になる男はいない。それはカツヤも同じだった。

 そのまま互いの温もりを感じていたが、カツヤは不意に言葉を零した。


「シオリは、俺といて楽しいか?」


 きょとんとした顔で、シオリはカツヤを見た。


「どうしたのよ、いきなり?」


 カツヤは無言で、返事を促した。


「そうね……楽しいから、いるのよ。気楽でいいじゃない」


「後腐れがないから?」


「そう。それはカツヤも同じでしょう? ……どうしたのよ、今日は」


「別に。ちょっと気になっただけさ」


 なんてことはない。


「なぁに、もしかして妬いてるの、カツヤ?」


「妬くっていったい誰にだよ」


「あなたの知らない、私と寝た男の人に」


 何故かシオリは、可笑しそうに唇を吊り上げている。それを見て、カツヤは少し不愉快になった。


 確かに、どんな風なのかは気にはなる。だが、それは俺が干渉することじゃない。

 それが楽だから、シオリとこうやって続いているんだから。


 それでもやはりカツヤの胸には何かが残った。


 俺の知らない、シオリ。


 どんな言葉を囁いて、どんな甘い声で啼いて、どんな微笑を見せるのか。

 まったく想像はできなかった。代わりに残ったのは、揺らめく欲。


 誰と彼女が寝ていようと構わない。今シオリはカツヤの目の前にいる。


 今日この夜だけは、彼女は俺のものだ。 



 醜い独占欲に駆られて、カツヤはシオリを組み敷いた。

 人間欲が高まってくると、少々乱暴になってしまうらしい。


「あら、妙に元気。やっぱり妬いてるんでしょう?」


「何がそんなに楽しいんだ?」


「カツヤが嫉妬しているからよ。嬉しいじゃない?」


 彼女の言うことが、本当かどうかなんてわからない。

 でも知る必要もないとカツヤは思った。


 シオリの体を指でまさぐると、彼女はくすぐったそうに笑った。


 何を思ったのか自分から、体を腕に絡めてきた。

 そのまま、シオリはカツヤの腕にくちづけた。


「……何のつもりだよ?」


「深い意味はないわ。なんだか、わたしたち猫みたいじゃない? じゃれあってる」


 相変わらず、彼女は楽しそうな表情をしていた。

 少し日に焼けているカツヤの腕には、真っ赤なルージュの痕が残った。


 お返しとばかりに、俺は彼女の唇を奪おうとして、止まった。


 場所をずらしてカツヤがくちづけたのは、首筋だった。

 彼女は、少しだけ目を細めた。


 カツヤはそのまま、シオリの首筋に痕を幾度となく刻んだ。

 収まるどころか、どんどん昂ぶる欲を吐き出すかのように。


 赤までいかない朱色の痕は、まるで花びらのように見えた。


 それを見て、カツヤは美しいと思った。今この瞬間、自分を支配している感情を。

 欲望という感情に囚われた二人の影は重なっていった。


 二人の夜は、まだまだ終わらない。



 白い首筋には、強くキスを 愛しい腕にはついばむようなキスを



 今宵欲望の花 綺麗に咲かせて魅せましょう

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