忌み仏 7

「で? これからどうすんだよ」


「困ったね、簡単に言うと手詰まりってやつさ」


 二人は安曇野で有名なアイスクリームを頬張りながら、思案に暮れていた。

 このアイスクリーム、濃厚な味わいとほど良い甘さがマッチした、思わず二つ三つと食べてしまいたくなる一品だ。

 事実、義時はすでに二つ目を口に運んでいる。

 仏像が二人の想像よりもずっと前から、忌み物として存在し、不幸をばら撒いてきていた事は分かった。

 だがあの仏像についての手掛かりは、完全に途絶えてしまったのだ。


 二人が正敏から預かった資料も、仏像を手に入れてから起きた不可解な出来事や不幸についての記述はいくつか見受けられたが、神原正二と正敏の父親の体験した出来事に大きな差は無い。

 どちらも共通して泣く女と黒い影を見た、という事らしい。


「結局の所あれが何なのか、どこから来たのか。分からない事の方が多いね、いやあ参ったね」


「なあ、お前は何も見てないからいいかもしれねえけどよ。俺は女を見たんだぜ、もちっとやる気出してくれ」


「ふむ……まあ確かに、君に発狂死されるのも困るからね。気休めだけど安心しなよ、次の手が無いわけじゃない」


「どうするんだ?」


「単純な話さ、分からない事は誰かに聞く。先人の知恵に頼らさせてもらおうじゃないか」



「おらよ、これで全部だ」


 廻は両手に抱えてきた本を、どさりと机の上に置く。

 義時はそこに置いておいてくれと、そっけなく答えると読んでいた本のページをめくる。


「しっかし何と言うか……ベタだよな」


 手掛かりを失った二人は、市の図書館を訪れていた。

 この図書館は蔵書量数千冊を誇り、児童書から専門書まで幅広いジャンルの本がある。過去の新聞記事のまとめや、安曇野の歴史をまとめたコーナーなどもあり調べ物をするにはもってこいの場所だ。


 更に嬉しい事に来館者も多くなく、二人が現在使用している自習室は閑古鳥が鳴いている。

 本を大量に並べ、机を三人分占領しても誰かに咎められる事も無ければ、引け目を感じる事も無い。

 

「本を運び終わったのなら、君も手掛かりを探しなよ」


「分かってる、でもよ……こんな事は言いたくねえけどもう手遅れって事はねえのかな?」


 義時はページをめくる手を止め、廻の方を見た。


「弱気だねえ、不安なのかい?」


「そりゃそうだろ! あのなあ、今までの連中はあの泣く女を見てから死んでるんだぞ? それにこうやってあの仏像の出所を調べてるけど、仮に分かったとして問題が解決すんのか!? 俺は大丈夫なのか?」


 廻はここで、ずっと溜めてきた不安を吐き出した。

 もはやここまでくれば、あの仏像の呪いは疑いようが無い。彼は今まで死んだ人間たちと、同じような現象に遭遇している。


 このままでは、自分も彼らと同じような道を辿り、やがて破滅するのではと不安になっていた。


「少し落ち着きなよ、いい大人が図書館で騒ぐのは社会的にまずい」


 余裕のない彼とは対照的に、義時は至って冷静な態度だった。


「確かにあの仏像の成り立ちを知ったところで、君の状況が好転するかは分からない。でもね、無知は恐怖を引き立てる最高のスパイスだよ」


 知らない、という事は人間にとっての根源的な恐怖に違いない。

 知らない場所、知らない言葉、知らないを前にした人間は、大きな不安と恐怖に襲われ立ち尽くしてしまう。

 だが少しずつ、少しずつでも知らないを知っているへと変えていく事で、人は強く前へ進めるのだ。


「とにかく今の君にできる事は、怖がって声を上げる事じゃ無い。あれの手掛かりを探す事さ」


「それ……励ましてんのか?」


「そう取ってもらっても構わないよ、励ましでも何でも君の都合の良いようにね」


 それだけ言うと、再び義時は本のページをめくる。

 廻もそれに習い、近くにあった本を手に取った。

 そこから一時間、二時間と時間は矢のように過ぎ去っていく。これといってめぼしい手掛かりを見つける事もできず、二人はただ文字を追うだけの有機物になり果てていた。


「……はー、手掛かりゼロか」


 廻は疲れた目元をぎゅうと抑える、使った時間と得られた成果は必ずしも比例するわけでは無いという事を彼は理解している。しているが、さすがにここまで何も掴めないと精神的にものがある。


「おい義時、お前も少し休めよ。なんかコーヒーかなんか買ってくるか?」


「ありがたい申し出だけど、コーヒーは後だ。これを見てくれ」


 義時は、廻に一冊の本を差し出した。


「んだこれ?」


 差し出された本の表紙には『安曇野怪奇譚』という、わざとらしくおどろどろしい文字が書かれている。

 廻はそれをパラパラとめくる、どうやら安曇野市で語り継がれる奇怪な噂話などを集めたもののようだ。

 

「このオカルト雑誌がなんだってんだ?」


「このページを見てくれ」


 開かれたページには『すすり泣く女』という話が載っていた。

 書かれた内容によれば安曇野市内に生えたある木の根元には、夜な夜なすすり泣く女出るのだという。

 話はこうだ。ある晩の事、男が道を歩いていると何やら女の泣く声がする。

 何事かと思って辺りを見回すと、木の根元で白装束の女が泣いている。そして彼女を心配した男が声を掛けると女は霞のように消えてしまったという。


「……なあ、まさかこれに出てくる女と俺が見た女がおんなじだって言いたいのか?」


「何か不満かい?」


「いやー……不満って言うか、こんなんよくある怪談話じゃねえか。どこにだってこういう話はある、さすがにあの仏像の女とくっつけるのは無理があるんじゃねえか?」


「そう言うと思ったよ、次はこれを見てくれ」


 そう言って義時は、もう一冊別の『安曇野怪奇譚』を取り出した。

 こちらは最初の物よりもかなり古く、表紙もページもかなり黄ばんでいる。


「こちらは安曇野怪奇譚の初版だ、かなり息の長い本のようだね」


「まあいつの時代も、オカルトってのを好きな人間は一定数いるからな」


「誰の事かは分からないが、とにかくこれを見てくれよ」


 廻はグイグイと本を押し付けられ、急かされるようにページをめくる。

 乗っている内容は、改訂版とほとんど同じでこれと言って面白みは無い。ため息交じりにページをめくる廻だったが、彼の手は突然ぴたりと止まった。


 改訂版に載っていた『すすり泣く女』という話は、初版だと『燃える女』というタイトルに変わっていた。

 話の流れは大まかには同じだが男が声を掛けた後、消える時に女の体は炎に包まれ耳を引っかくような悲鳴と共に消え、残ったのは一掴みの灰と生き物を焼いた嫌な臭いだけだった……という結末だ。


「どういう事だ? なんで結末が変わってる?」


「時代の移り変わりと共に、表現が規制されていくのは自然な流れさ。バットエンドはハッピーエンドへ、残虐な死を伴う罰は、反省させるための愛ある罰へ。人と同じように物語なんかも少しずつ形を変えていく。それにこの結末は、幽霊とは言え人間の焼死を明確に描写してしまっている。倫理的、宗教的に厳しい表現だからね」


 焼死は数ある人間の死の中でも、特にむごいものだ。

 熱を伴った痛みに襲われ、皮膚や肉を焼かれ、体が炭になっていく苦しみは筆舌しがたいものだ。

 

 また、焼死は宗教的にもタブーとされる事が多い。

 例としては、まずキリスト教が挙げられる。キリスト教には、いずれ来る最後の審判まで自らの肉体を保存しておかなければならない、という観念があるため自殺行為自体が禁忌とされているが、とりわけ焼身は肉体が焼損し無くなってしまう、つまり最後の審判すら受けられない事を意味しているため特に忌避される死の形である。


 この『最後の審判まで肉体を保存する』という観念は他宗教にも見られ、やはりタブーとされている。


「そういった背景もあって、こんなふうに創作物等から記述が消される事は多々ある。これも例に漏れず、という事さ」


「こっちが本当の中身だとすれば……この話と仏像は無関係じゃないかもしれない、って事か!?」


「とりあえず今の所、一番可能性がある情報には違いない」


 二人の顔に、度合いは違えど歓喜の色が浮かぶ。

 廻に至っては、小躍りを始めかねないほどの喜びようだ。彼にとっては生きるか死ぬかの大きな問題だ、それを解決できるかもしれない手掛かりが見つかったとなればそれも仕方ない。

 だが、すぐに彼は顔をしかめてしまった。


「……いや、待ってくれ。お前はこの女が出る木がどこにあるのか見当ついてんのか?」


「問題ない、最後のページに話の出典が載っていた」


 義時は最後のページを開き、指差した。

 そこには『永徳寺付近の住人談』と書かれている。


「この永徳寺って寺にその木があんのかな?」


「確定ではないけどこの寺と仏像が何の関係も無い、とは思えない。行ってみる価値はあるね」


「よし! そうと決まれば早速行こうぜ」


「いやぁ、また明日にした方がいいね。中々いい時間だしね」


 義時の言葉に従い、廻が視線を窓にやるとすでに陽は傾き、夜の匂いを放ち始めている。

 気づけばちらほらといた来館者も姿を消し、受付員の少し急かすような視線を感じる、


「すぐにでもこの問題を解決したい、君の気持ちは分かるけどね」


「仕方ねえ、本を片してホテルに帰るか」


 二人は手分けして、それぞれの棚に本を返し始める。

 薄暗くなっていく図書館の中で、本を棚に戻す廻の気持ちは沈んでいた。


 また、夜が来る。

 また、あの女を見るかもしれない。


 そう考えただけで、彼の気持ちは深く暗いところへ落ちていくのだった。

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