忌み仏 3
「君は神や仏を信じるかい?」
「なんだよ急に」
「まあそう身構えるなよ、長い旅路のちょっとした話さ。もっと気楽にしてくれ」
義時は、助手席でのんびりとしながらそんな事を言った。
廻は車のハンドルを握りながら、いい気なもんだと悪態を吐く。彼がそんな風に思ってしまうのも無理はない、なぜなら彼はこれからたっぷり三時間は運転しなければならないからだ。
こういった長距離移動の際、二人は車で移動する事が多い。
そしてその場合、決まって廻が運転をする羽目になるのだ。なぜなら義時は免許を持っていない、理由は必要がないからと本人は語る。
だが廻は、なんとなく本当の理由に気付いていた。
義時が、車の運転が下手だという事に。
廻と義時の二人は、例の仏像を神原老人に売ったという古物商を訪ねるために長野県安曇野市へと向かっていた。
廻が日記に書かれていた電話番号にかけると、一人の老人が出た。
老人は電話越しでも分かるほど覇気がなく、またやや陰鬱とした暗い声をしていた。
古物商は一般の人間には馴染みが薄いが、やはり接客業に間違いない。
時には数百万単位の金が動くため、客の応対に気を使う人間も多い。事実廻がこの業界に入ってから出会った義時の同業者達は、快活な人間が多かった。
中には偏屈で、頑固な昔気質の人間もいるがそれはあくまでも少数でかつ、確かな目と実績のある人間だった。
そういった理由から例の古物商の電話での態度に、若干の違和感を覚えつつも、廻は軽い挨拶の後で、例の仏像の話を聞きたいと切り出した。
「……というわけで、何か話を聞ければと思いまして」
「駄目だ!」
用件を言い終えるや否や、老人は受話器の穴から唾が飛んでくるのではと思ってしまうほどの大声を上げた。
電話の応対を数多くこなし、電話口でのクレーム対応などもそれなりに経験を積んだ廻でさえ体が跳ねるほどの大声、それほまでに老人の声のふり幅は大きかったのだ。
「あんな物の話はもうたくさんだ! これ以上あれには関わりたくないんだ!」
廻は驚きながら説得を続けたが、老人は頑なに快い返事をくれない。
十分な額の謝礼を渡すと言っても、老人の気持ちは変わらない。もういっその事あきらめてしまった方がいいかもしれない、そんな考えが彼の中には浮かび始めた。
「少し、いいかな」
それだけ言って、義時は廻から受話器をするりと奪い取る。
彼は手の先で廻を部屋から追い出すと、何やらこそこそと話を始めた。
何を話しているのかは気になったが、廻の仕事は思ったよりも多い。
出掛けるなら店を何日か開ける事になるため、その準備もしなければならない。
気にはなったがとりあえず電話を義時に任せ、彼は旅の準備へと向かった。
三十分ほどで戻った部屋に彼の目に飛び込んできたのは、ソファーで優雅にお茶を飲む義時の姿だった。
「どうだった? ま、答えは分かってるけどな。あの剣幕じゃあ到底……」
「会ってくれるらしいよ、詳しい住所も教えてもらった」
そう言って義時は、ヒラヒラとメモを空中で泳がせる。
それは廻にとって信じられない事だった、丁寧な姿勢や金でさえ動かなかった老人をどうやって義時は動かしたのか。彼にはその方法が、まったく思い浮かばなかった。
「お前、どうやって説得したんだ?」
「ん? ああ……まあね、それは企業秘密というものさ。強いて言うなら、あの老人が善人であり神原老人の友人だったというだけの話だよ」
そう言って、義時は小さく口の端を歪める。
その顔を見た時、廻の背中は僅かに波打った。
佐山義時という男は、蜘蛛の入った瑠璃色の箱のような男だった。
彼の容姿は、凡百のそれではない。
怪しげで、儚げながらも芯があり、うっすらとした危うさすら感じてしまうような風貌だ。
彼の癖である鼻笑いも、その容姿によって許されている面が多い。
動きの節々に彼は品のある色香を漂わせており、時々同性である廻ですらどきりとするような瞬間もあった。
それは怪しげな美しさを持つ、瑠璃色の箱といえた。
だがその箱に入っているのは、気味の悪い蜘蛛のような気がしてならなかった。
廻は彼と過ごす時間の中で、時折彼に対して腹の底が冷えるような恐怖というか、気味の悪さを感じる事が少なからずあった。
何を考えているのか分からない、意志の通じ合えない何かのような。
例えるなら手のひら大の、黄と黒の模様を持つ蜘蛛を見た時のような感覚。
蜘蛛は時折、瑠璃色の箱の隙間から顔を覗かせる。
廻がそれを見た時にできる事は、ただ静かに目を逸らす事だけだった。
「どうしたんだい? また難しく考えすぎてしまっているかな?」
「あ、ああ……神や仏の話だったよな。俺はそういうのは信じないな、いざって時に役に立った試しがねえよ」
「ははは、それはそうだろうさ。時に君、仏と神の違いって分かるかい?」
「ああ? 知らねえよ、俺そういうの詳しくねえし」
「神とは人智を超えた存在であり、人間ではない存在だ。日本古来の宗教である神道において、畏怖・崇拝されるもの。ほら、君も聞いた事あるだろ? 八百万の神って言葉を」
「そういや聞いたことあるな、この世界に存在するあらゆるものに神が宿ってるとかなんとか」
「そうだ、つまり神はひどく曖昧なものなんだ。極端な話、このペットボトルだって神になりうるんだよ。私たちが神だと思えばね」
「はー……なるほどね」
「では仏とはなんだ? という話になるね。仏とは『悟りを開いた人』だ、真理を悟った人間だ」
「じゃあ何か? 仏様ってのは人間なのか?」
「つまりさ、あれは人間なんだよ。私たちと同じ、人間なんだ」
義時は親指で、後部座席に置いてある仏像を指した。
「いくら悟りを開き、一つ上の世界へ進んだと言ってもあれは人間を模した物なんだ。箱や仏像の状態を見るに、あれはかなりの年季もの。人間の黒々とした泥のような感情を受け続ければ……ふふ、それこそ忌み物になってもおかしくないだろうね」
そう言って少し楽しそうに笑う義時の顔を見た廻の背は、また少し波打った。
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