忌み仏 2

「これはこれは、僕が寝ている間に凄い物を受け取ったね」

 

 佐山義時さやまよしときは、そう言ってにやりと笑った。

 

「お前はこれが何なのか分かるのか?」


 廻の素朴な疑問を、義時は鼻で笑う。

 これは彼の癖、悪癖ともいえるものだ。

 あまりにも的外れな事や間違った事を言うと、彼は小さく鼻で笑う。

 初対面の人間はもちろん、ある程度の付き合いがある人間ですら不快感を感じるであろう彼の行動に対して、廻は何も感じていない。

 慣れと言うのは恐ろしいもので、廻はすでに幾百もの鼻笑いを浴びせられたため、笑われたとしても、ああ間違った事を言ったんだろうなぐらいの感想しかないのだ。


「分かるわけがないだろう、僕は今しがた起きてきてこれを見てから十分と経っていないんだぞ。君は僕を過大評価しずぎだな」


「わかったわかった、悪かったよ」


 やたらと長ったらしい話も、三ヶ月ほど共に働いていればある程度は慣れる。

 廻が面倒くさそうに話を終わらせた事をさして気にする様子も無く、義時は仏像を手に取って見回していた。


 廻は彼に、とりあえずどういった経緯でこれが持ち込まれたかを簡単に説明する。

 持ち主を不幸にする仏像、その最後の持ち主の顛末についてを。

 

「……なるほどね、持ち主を不幸にする仏像とは中々おもしろいじゃないか」


「おもしろい? そんな気味の悪い仏像のどこがおもしろいんだよ、それを買った爺さんもお前もどっかズレてんじゃねえのか?」


「本来は信仰を集め安らぎを与えるはずの仏像が、呪いを集め不幸を与えているんだぞ。面白くないはずがないだろう?」


「……そうかい」


 ひどく不満げな声を出した廻を見て、義時は不思議そうに首を傾げた。


「安心したまえよ、君のそういった……いわゆるな感覚を僕は好んでいるのだから」


「どうも……」


 義時が自身の営む古物店に廻を誘ったのは、三ヶ月前の事だ。

 廻はちょうど会社の経営不振を理由にクビになり、失業したばかりでこれからの生活に頭を悩ませていた。そんな彼が義時の誘いを断る理由も無く、彼は二つ返事で再就職先を決めた。

 義時の経営する古物店『さやま』は彼の曾祖父の時代からあるらしく、かなりの歴史を持つ。表向きは普通の古物商だが、実態は件の仏像のような曰く付きの物品を主として扱っている。

 

 沙也加の祖父のようにそういった品に対して、憧れや強い収集欲を抱く人間は想像以上に多い。普通の人間からすれば不気味で恐ろしい物だが、そういった物好きからすればお宝だ。数万で買い取った品に、数十万から数百万の値が付くのはザラだ。

 そしてそういった品を持ち込む際には、必ず店の裏口を使う事になっていた。


 美味しい商売に思えるが、そんな大きく値が張る品が来るのは一ヶ月二、三回あれば良いほうだ。それらしい文句を付けた偽物が持ち込まれる事も少なくない、廻も一度それでミスをして、偽物を受け取ってしまった事がある。


 損害は彼の貯金が吹き飛ぶ額だったが、義時はさして怒りもせず、淡々と対応策を一緒に考えてくれた。

 そして最後に『この仕事は慣れさ。まあ、いい勉強になったなら金も無駄じゃないよ』と言ってのけた。

 かえってそれが廻の罪悪感を大きくさせたが、弁償するだけの余裕も無かった彼は、深々と頭を下げる他なかった。


「さて……それが例の神原老人の日記か?」


「ああ、軽く見たが大したもんだ。一日にあった事が事細かく記されてる、おまけに字も綺麗で読みやすかったぜ……途中まではな」


 含みを持たせた廻の言葉の意味に、義時は日記を開く事で理解する事ができた。

 彼の言葉通り、神原老人の日記は非常に読みやすかった。

 並べられた文字はどれも教科書のように丁寧で、それだけでこの老人がどんな性格だったのか何となく分かるほどだ。


 だがそれも、仏像を手に入れた日までだ。


 仏像を手に入れてから、少しずつ字は美しさを失って行った。

 震え、乱れ、一文を理解するのに要する時間は増えていく。そして最後のページの文は、およそ成人した人間が書くような字では無かった。


 下手な字を『ミミズが這ったようだ』と表す事があるが、まさにこれはそんな字だ。

 紙の上で気味の悪い生き物がのたくったような、何とも嫌な気分にさせる字だ。

 書いてあることも支離滅裂で、仏像、黒い影、炎と、とにかく大量の単語を無造作に詰め込んだ、子供のおもちゃ箱のような文章だった。


「なるほど、そしてこの日を最後に神原老人はこの世を去った……というわけか。仏像の呪いというのもあながち間違ってはなさそうだ」


「しかしよ、持ってるだけで不幸になる物なんて本当にありえるのか? 偶然が重なっただけって事はないのか? いくら健康だったって言ったって、それなりの年だったんだろうしさ、死に際だって……仏像を大事にしてたとしたら最後に手を伸ばしてもおかしくはねえんじゃねえか?」


「……君はホープダイヤの伝説を知っているかい?」


「……いや?」


 ホープダイヤは9世紀にインド南部のコーラルという町の川で見つかったとされる濃い青色をしたダイヤモンドだ。

 その美しさから多くの人間の手に渡り、数ある所有者の中の一人ルイ14世には『フレンチブルー(フランスの青)』とまで評された。

 だがその美しさと共に、この宝石には持ち主を不幸にするという逸話が付いて回る。


 最初にダイヤを発見した農夫は、後に戦争中だったペルシア軍に襲われ両腕を切り落とされ、ダイヤを奪われた。

 それを皮切りに、ダイヤは持ち主を次々に不幸にし始めた。


 後のルイ15世は天然痘で死亡し、ルイ16世やかのマリー・アントワネットはフランス革命時に断頭台の露と消えた。

 1800年にオランダの宝石研磨師の手に渡ったが、彼の息子がそれを勝手に売却してしまう。そのショックで研磨師は死亡、息子は発狂し自殺、買い取った相手は食事中の事故で死んだ。


 その後も実業家や新聞社を経営する夫婦など、持ち主を次々に変えたがその全てが例外なく不幸になっている。

 現在は、アメリカのスミソニアン博物館に所蔵されている。


「……とまあ、長々と話したがこれらの話は、はっきり言って都市伝説の域を出ないものさ。真実もあるだろうが、確実だと言い切れる逸話はそう多くない」


「じゃあ……」


「でもね、廻。火の無い所に煙は立たぬ、ともいうよ。それに数ある逸話が嘘だ、と言い切れるだけの根拠も無い」


「この仏像もだって言いたいのか?」


「全く同じかは分からない、けれどホープダイヤは言うなれば人々の目を引く宝石の形をした不幸の塊だ。今回の不幸は仏像の形を取った、と考えてみるのも面白いとは思わないか?」


 面白いわけが無い、廻は心の中で小さくため息を吐く。

 物好きな義時はまだしも、一般人でしかない廻にはただただ気味の悪い仏像でしかない。


「さて、それじゃあ早速出かける準備をしよう」


「出かけるって……今からか? 行く当てはあんのか?」


「もちろん、神原老人のノートに連絡先が書かれていた。恐らく仏像を買ったという古物商だ。さあ行こう、善は急げと言うだろう?」


「……分かったよ」


 今から自分たちがする事が善行だと、廻はとても思えない。

 だが善行にせよ悪行にせよ、佐山義時という男は止まらない。

 それだけは分かっている。


 だから彼は、文句を言わずに旅の準備を始めるのだ。

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