2. 製作所

 知里とエシルイネは、入り口にあるロビーにいた。利史郎が姿を現すと険しい顔をしていた知里が安堵の表情を浮かべ、歩み寄ってくる。


「出るよ」


 どうやらこの程度の時間では、彼女の警戒心を溶かすに至らなかったらしい。さっさと外に向かおうとする知里に対し、ソファに腰掛けていたエシルイネは両目を布で覆った顔を利史郎に向け、口元に笑みを浮かべた。


「いいお話が出来たみたいね」


 意味を取りかね、じっと彼女を見つめる。


「彼ら流に言えば、貴方の言葉は〈不明確〉ですね」


「あら! やっぱりあの人たちの話術を会得できたのね。さすがだわ」


 やはり不明確だ。利史郎は僅かに考え、彼女の膝の上に伏せられた右手を眺める。


「あなたの自由意志は、何処にあるのですか」


 途端、エシルイネの口元に浮かんでいた笑みが消えた。変わって現れたのはやはり笑みではあったが――何処か毒々しい、歪んだ代物だった。


「言ったでしょう。私は今の境遇に満足している、って」


「山羽美千代さんは、ここに来たのですか」


「どうかしら。私は見ていないけれど」


 これも不明確だ。特にヒトと同じ視覚を持たない彼女から出た言葉では。


「一つだけ教えてください。彼らは嘘を吐きますか」


 さして期待せずに尋ねた利史郎に、彼女は立ち上がり右の手のひらを向けた。そこに開いた大きな目の端を歪ませ、楽しげに答える。


「嘘という概念は――それこそ不明確ね。彼らは必要に応じて、必要なことを言う」


「彼らの『必要』とは、何ですか」


「さぁ? 私は知らないわね」


 眉唾だ。彼女はDloopの目的を知っている。だからこそ協力しているのではないか?


 そこで利史郎は頭を振った。


 駄目だ。すっかりDloopの思考に毒されている。仮定に仮定を重ねすぎていて、堂々巡りに陥るだけだ。


「――ありがとうございました」


 利史郎は頭を下げ、渋い表情を続けている知里と部屋を出た。


 二人は彼女の視線を恐れるかのように、黙って足を進めていた。やがて五帝国会議を出て二町ばかり離れてから、やっと知里は詰めていた息を吐き出し荒々しく言った。


「あんなヤツ、助けるんじゃなかった」


 最初は彼女が何か言うたびにうんざりしていたが、今では何故か全て笑えてしまう。


「酷いいいようだ。僕がいない間、何を話したんですか」


「一方的に私のことを聞くだけ。私が探りを入れてもはぐらかされる。何から何まで胡散臭い。私が助けた時は、あんな娘じゃなかったのに。Dloopに感化されたのか、元からあんな性格だったのか。どうかしらね」


「アリシレラとは、知里さんの本名ですか」


 例によって気難しそうに黙り込み、ため息を吐きながら答える。


「まぁね」


「たしか意味は――新しい風」


「アイヌ――蝦夷じゃよくある名前よ。それがどうかした?」


「いえ。素敵な響きだと思って」こういう言葉が嫌いなのも十分承知していた。苛立った様子で何か言おうとするのを遮って、利史郎はすぐに話題を変える。「知里さんは、何故彼女を助けたんですか」


「何故、って――」彼女にしては珍しく言葉を探し、やっとのことで続けた。「話からして危険な怪人とは思えなかったし。私も変わり者扱いされてたからね。同類相哀れむってヤツよ。それでそっちは? 収穫は?」


「少なくとも、知里さんは来なくて正解でした」


 彼女では一分足らずで、憤慨して飛び出していただろう。とにかく彼らとの会話を話すには、外国語を数種類渡り歩いて翻訳するのに等しかった。十に満たない言葉のやりとりだったが、日本語にしようとすると数十倍の語彙を必要とする。


 それでも何とか説明し終えると、知里は例によって眉間に皺を寄せて呟く。


「共和国ね――」


「もう行くつもりですか。飛行船でも十日はかかりますよ」


 呆れて言った利史郎を、知里は鼻で笑った。


「まさか。何処まで本当なんだか。怪しいったらありゃしない」


「何故、そう思います」


 利史郎の思惑を読むよう鋭い視線を向けてから、仕方がなさそうに指を一本一本折っていった。


「一、山羽美千代と共和国の接点がない。今のところだけど。そして二、蝦夷に来るのも一苦労した娘が、どうやって共和国まで行けるのか。三、〈機関〉にこだわるDloopが、どうして彼女を行かせたのか」ここまでは利史郎の持つ疑問と同じだったが、続いて出てきたのは完全に見落としていた要素だった。「四――あんた聞いたよね。Dloopは嘘を吐くかって。聞くまでもない。Dloopは基本的に嘘つきで臆病」


「何故そう断言出来ます」


「エシルイネよ。千里眼を秘書に囲ってんのよ? 五帝国会議の建物の中で」


 そうか、と利史郎は納得がいった。


「それです。何か妙なものを感じていましたが。やはり彼らはヒトを無視しているようでいて、ヒトを気にしている――」


「知ってて試してるんだと思ってた。本気で気づかなかったの?」


「少年探偵なんて、そんなものですよ。全て周囲が作り上げた幻想です」


 実際、特別なことをしているつもりは全くない。それでも弱音を吐いていると思われるのは嫌で、何か言いかけた知里を遮って利史郎は尋ねた。


「では、Dloopは嘘つきと仮定しましょう。どうします」


「どう? 結局異星人なんて、幻の少年探偵と蝦夷の公僕なんかが関われる相手じゃないってこと。私たちは予定通りの事をするだけ」


 言っている間に辿り着いたのは、石狩警察署だった。とはいえ十席程度しか机のない木造平屋で、中にはストーブに薪をくべる薄汚れた子供が一人いるだけだった。日本語も通じない相手で、主に知里が蝦夷語で尋ねる。


「アシカが浜にたくさん来て漁小屋が壊されそうだから、みんな出払ってるんだって。牧歌的で羨ましい」


 呆れたように知里は言う。だが予め電信で依頼した仕事は果たしていたようで、子供は知里宛の書類を手渡す。街には三軒のホテルがあるが、山羽美千代らしき滞在客はいない。代わりに短期労働者向けに貸し出している長屋に、見慣れない若い女が出入りしているという情報が記されていた。風俗関係の店が借り上げ女を住ませたりするような場所だが、それらしい雰囲気はなかったという。


 内容を読み終えた知里に手招きして、子供は外に駆けだしていった。警官が案内として残していったらしい。綿の沢山つまった手縫いの服で丸々としていて、男の子か女の子かもわからない。器用に雪の上をトコトコと走り、早く来いというように振り向いて手を振る。


「平日、ですよね。学校の時間では?」


 疑問を口にした利史郎を、知里は鼻で笑った。


「ほんと、男爵探偵っぽい。あんたは下々の生活を知らないのね」


「六年の義務教育は帝国全体の制度ですよ」


「子供に一日中椅子に座ってられるくらいの暇と余裕を帝国は与えるべきだと思うけど?」そうなのかもしれない。「帝国全体で三千人もいる華族様の豪華な生活を支えるので精一杯なのよ、一億の平民はさ。特に外地はね。勉強なんてしてる暇も余裕もない。この国だけじゃなく、五帝国ってのはみんなそう」


 子供は大通りから外れて裏路地に入り、さらには木造のバラックが連なる一角へと入っていった。半数が雪に潰され埋まっていたが、辛うじて数棟の長屋がその姿を保っていた。その一角だけ暖房で屋根の雪が溶けていて、薪の煙で空気が煤っぽい。


 楽しげに子供は藁底を滑らせて止まると、長屋の奥の方を指し示しながら知里に何かを言う。それを受けた彼女は笑みを浮かべ、ポケットから取り出した五十銭硬貨を渡し頭を撫でてやる。子供は踊るように飛び上がって喜び、一目散に去って行った。


「見てよ、五十銭程度であんな喜んで」と、知里は背中を見送りながら言う。「親からご褒美にお芋くらい食べさせてもらえたらいいんだけど」


「この辺では、米は無理なんですか」


「私は警視庁に入るまで、麦飯が精々だった。麦飯、食べたことある?」


 答えない利史郎を鼻で笑い、知里は長屋の奥に足を運んだ。


 人の気配はあるが、姿はまったく見えなかった。寒さのせいもあり、中に閉じこもっているのだろうか。その灰色の一角の突き当たりまで行くと、知里は左手の一室を指し示す。腐りかけて灰色になった木に、辛うじて支えられている程度の長屋だった。曇りガラスの幾つかは割れて、新聞紙で補修されている。知里は無言のまま玄関に身を寄せ、利史郎は窓の隙間から中を覗き込む。人の気配はなかった。それを確かめ終えて知里は引き戸に手をかけたが、動かない。


「いっちょまえに鍵がかかってる」


 うんざりしたように言って数歩あとずさる。蹴破るつもりだと察して、利史郎は慌てて間に入った。


「止しましょうよ、そういうの。この程度なら開けられます」


「ほんとに?」


 ピンが二つしかない簡易的な鍵だ。ものの数秒で開けて見せると、知里は感心したように手を叩く。


「さすが少年探偵」


 またそれだ。利史郎は呆れつつ言う。


「一度も僕の名前を言ったことがない。何故です。恥ずかしいんですか?」


「私は小物だから。こうやって男爵閣下に優位性を保たないと」


 楽しげに答える知里にため息を吐き、引き戸を開く。中は意外と広かった。十二畳ほどあるだろうか。どうやら元は二部屋だったものが壁をぶち抜かれ、一部屋にされているようだ。


 そして――この内部の様子には見覚えがあった。チェルニー・ローザの地下室と似たような装置で、全体が埋まっていたのだ。


「なにこれ」


 知里は呟きつつ、奥に進む。利史郎も不可解でならなかった。


「ほぼ着の身着のままで来た女性が、どうやって数日でこんな設備を――」


 パイプにタンク、歯車に滑車。そんなもので埋まった内部を改めていく。


 設備は稼働状態にあった。引き込まれた圧力管の蒸気を受けてピストンが上下に動き、回転運動に変換され、あらゆる物が回転しカタカタと音を鳴らしていた。人の頭ほどの大きさのあるフラスコの中では何かが煮だち、その蒸気を受けたガラス管は複雑に接続されて別のフラスコに滴を垂らしていた。各所にあるメーターは針を揺らし、複雑なリレーの先は計測装置に繋がっていて、ロール紙に波形を出力し続けていた。簡易的ではあるが、利史郎の知るどんな化学設備より複雑だった。横浜の地下室との違いといえば、一番奥に綿のへたった寝床があることくらいだろうか。


 いや、それ以外にも違いがある。


「なんなのこれ。何する機械?」


 尋ねた知里に、利史郎は地下室の構造を思い出しながら応じる。


「僕の知識は姉さんほどではありませんが、どうやら横浜と違って、ここは製作所のようです」


「製作所?」


「えぇ。あちらには実験的な設備が多かったですが、ここにあるのは件の〈機関〉を量産するための装置が主なようで――」


「ちょっとこれ」


 奥から鋭く叫ばれ、向かう。知里が立っていたのは机の前で、机上には数枚の藁半紙と五本の蝋管、小型の蓄音機が置かれていた。


「これは――」と、知里は藁半紙を手に取り、目を走らせる。「〈機関〉を作るために必要な素材リスト?」


 手渡され、利史郎もざっと流し見る。細かくサイズの指定された鉄板類、パイプ、導線、聞き覚えのない鉱石――ピッチブレンドとある――、歯車にクランク、そしてオリハルコン。


「オリハルコンをこんなに? インゴット三本だなんて。とても個人で集めるのは不可能だ」


「でも、どうにかなったようね」


 そう、知里の言うとおり、リストに挙げられた資材は全て、確保済みというように線で消されている。


「一体どうやって。各帝国に支給されるオリハルコンは年に二百本ほどのはずです。三本も行方不明になったら大問題になる」


「山羽から盗んできたとか?」


「とてもあの警備体制で持ち出せるとは思いませんが」


「でなきゃDloopから直接もらったとか」それもあり得ないだろうな、という語感を含めつつ知里は言い、蝋管の一本を手に取った。「ま、でも、きっとこれに記録されてるでしょ」


 確かに、この蝋管は決定的だ。もしこれが岩山の手にしていたような活動記録であるならば、謎の殆どが解消されるに違いない。


 そう、利史郎は初めて興奮を覚えた。難解に情報不足が重なり、全く理解不能に陥っていた事件。その全貌が一度に明らかになるかもしれない記録に、ようやく巡り会うことが――


 そこで乱暴に引き戸が開かれ、二人はまさに飛び上がるようにして驚いた。


 現れた方も同じだったらしい。よもやここに人がいるとも思っておらず、一人は爪楊枝で歯をすすり、一人はスキットルで酒を口にしている所だった。


 互いに硬直し、数秒たったろうか。労働者風の男二人が我に返って背後に合図を送ると、三人目の男が狭い戸口から姿を現した。


 天井に頭を付けない、ギリギリの背丈だった。薄汚れたフードで頭を覆っていたが、利史郎に向けられた顔、そして服の裾から窺える無骨で黒々と光る毛に覆われた手を見て、彼が何者かはすぐにわかった。


 そう、誰かはわかった。しかし彼が何故ここにいるのか、全くわからない。


 切り裂かれたような細い目、細い口、そしてフードの下には、頭上から生えている二つの耳がある。


 蝙蝠男だ。しかし彼は、八丈島に収監されているはず――


「ちょっと一体――」


 硬直から抜け出した知里は、相手が何者かもわからず噛みつこうとする。


「駄目です知里さん」


 利史郎が制した瞬間、蝙蝠男はその大きな口を薄く開き、真っ赤な舌をちろりとさせる。そして右手に持っていた物を、軽い調子で投げた。


 瓶だ。それは二人には届かず、装置類の真ん中に落ちて砕け散る。途端に利史郎の鼻は、嫌な臭いを嗅ぎ取った。


 油だ。


 思った瞬間、蝙蝠男の後ろに下がっていた男の一人が、今度は確実に火の付いた火炎瓶を投げ込む。瞬時に炎は燃え広がり、利史郎と知里は行き場を失った。

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