一章 或る令嬢の失踪

1. 西暦2077年、帝都にて

『2077年1月15日、六時のニュースをお伝えします。CSA、アメリカ連合国のジョン・スミス国務長官が今日の午後、来日しました。夜には皇太子殿下を交えた歓迎晩餐会が催され、明日以降、政府要人との会談が予定されています。スミス長官は主に大英帝国との間で懸案となっているオンタリオ情勢について日本の支持を求める見込みですが、イギリスのモリアティ五帝国議会全権大使は暴動の原因はCSAのスパイによる扇動の結果であると批難しており、政府は対応に苦慮しています。スミス長官は18日には蝦夷共和国へ向かい五帝国議会にて演説を行い、あわせてDloop側との面会を希望していますが、現状アダル・ブレヒトDloop大使からの回答はないとのことです。それでは山岸貞夫カルテットの音楽をお送りします。お聴きのチャンネルは、MHK、帝都放送協会、次のニュースは28分後です。』



 川路利史郎は息を詰め、何一つ見逃さないよう、ゴーグルの奥の瞳に神経を集中させていた。姉のハナが改造したこのゼンマイ二輪車は、あまりにも速すぎる。蒸気車やゼンマイ車はせいぜい時速三十キロほどだが、こちらはおそらく六十キロは出ている。唐突に上がる蒸気、驚き逃げる交差点の交通整理員を縫うように避けながら、利史郎はガス灯に照らされた帝都の道を北に向かう。そして現れたのは検問だ。千代田一帯に通ずる道には必ずある。しかし利史郎には、事細かに事情を説明している余裕はなかった。高速で向かってくる二輪車に気づいた警官は驚き警笛を吹きながら立ち塞がろうとしたが、どうやらそれほど帝国への忠誠心はないらしい。ひょっとしたら外地の出身者かもしれない。かなり遠くの地点で脇に逃げたので、利史郎は更に速度を上げて土嚢の列に突っ込んでいった。


「ちょっとちょっと!」利史郎の腰に硬く腕を回していたハナが、耳元で叫んだ。「どうすんの! 無理無理!」


「姉さんは来なくていいと言ったでしょう! 飛びますよ!」


「いやいや無理無理!」


 声にならない悲鳴を上げるハナ。しかし利史郎が二輪車を好んで使う利点はこれだ。軽くて、取り回しが効く。上り坂で身を沈めると、最高地点でシートから腰を浮かせる。二つのタイヤは地を離れた。わずかに土嚢に接触してバランスを失いそうになったが、なんとかコンクリートに着地する。ハナを乗せているせいで後輪が滑ったが、それもなんとか制御すると、再び速度を上げ、浮かび上がり始めた帝都の中心部――皇居へと進路を向けた。


「ちょっとちょっと! この子は昨日組み上げたばかりなんだよ! いきなり壊すような真似をしないでよ!」


 半ば泣きそうになりながらハナが言う。利史郎は男爵か子爵あたりが乗っていそうな二頭立ての馬車を躱しながら応じた。


「壊してませんよ。だいたい姉さんが重いから飛び越えられなくて――」


「あ? 重いって言った? 重いって言った? あたしがこれを作るためのオリハルコンをくすねるのに、どれだけ苦労したと――」


 迎賓館の白々とした姿が見え始めていた。赤坂離宮は三百年の歴史を誇る。その広大な石畳の前庭には煌びやかな装飾を施した馬車が列をなしており、燕尾服とドレスの華族たちが次々と姿を現していた。


 検問のおかげで、実際の会場の警備は薄かった。加えて見知った皇宮警察官が中にいて、彼は馬車の列の隙間を縫ってくる利史郎の姿を認めると、当惑しながらも他の警備たちを抑えてくれる。


「桜田門に通報を! 分離主義者が紛れ込んでいます!」


 叫んだ利史郎に、彼は頷いて小さな屯所に駆けていく。これですぐに応援が駆けつけてくれるだろう。


「けど、どうするつもり? アメリカ連合国(CSA)の国務長官歓迎パーティーだよ? 招待客は五百人はいる。どうやってその中からレヘイサムを見つけるつもり? 問題は〈怪人〉だよ。間違いなくあいつは守られてる」


 ハナが耳元で囁いた。それは利史郎も承知している。


「見つけるつもりはありませんよ!」


 応じながら、赤絨毯のしかれた玄関の階段に突っ込んでいく。


「またぁ?」


 愚痴りながらも、ハナは利史郎の腰に強く腕を回す。再び身を沈み込ませ、タイミング良く跳ねさせる。宙に浮いた車輪は石造りの階段を噛むと、強引に駆け上がっていった。そして最後は一メートルほど浮きながら玄関ホールに飛び込むと、目に入ったのはグラスを手にした華族たちを前にして、乾杯の音頭を上げようとしている内務卿の姿だった。


 突然の闖入者に、会場は悲鳴とともに二つに分かれた。さすがに着地までは上手くいかず、利史郎とハナは二輪車とともにホールの中央まで転がっていく。すぐに会場に控えていた私服警官が懐に手を入れながら駆け寄ってきたが、利史郎は彼らに捕まる前に起き上がり、ゴーグルを脱ぎ捨てながら叫んだ。


「飲み物に毒が仕込まれています! 飲まないで!」


 何事か、というざわめきが起きる。そうした中、一人のウエイターが忌々しげに背を向けるのを、利史郎は見逃さなかった。


「犯人はあいつです! 捕まえて!」


 すぐに皇宮警察官たちは、闖入者が少年探偵として知られる川路利史郎だと気づいたらしい。視線と動線は、指し示された男に向けられる。


 髪をポマードで固め口ひげを生やした、下膨れの男だった。


 全く見覚えはない。しかしそれが因縁の相手の変装であることは間違いなかった。彼は回廊側に逃げようとしたが、すぐに私服警察に回り込まれる。そして壁際に追い詰められ四つの銃口を向けられると、観念したように苦笑いしながら両手をあげた。


「怪人二十面相――いえ、レヘイサム。今日こそ逃がしませんよ」


 歩み寄りながら言った利史郎に、男は目を向けた。つい先ほどとは打って変わって、数々の死線をくぐり抜けてきた鋭い視線になっていた。口の中に含んでいた綿を吐き出し、鼻の下に貼り付けていた髭を捨てる。それで相手は間違いなく、幾度も帝都を騒がせている蝦夷の分離主義者、レヘイサムになった。


「よくわかったな。少年」


 今までに一度しか耳にしたことがなかったが、印象に残っていた声だった。軽やかではあるがどこか深みがあり、皮肉と余裕に満ちている。利史郎は彼に気圧されまいと、懐から証拠の小瓶を取り出す。


「何の変哲もない贋作職人失踪事件から、ここまで辿り着きました。最初あなたは絵画の贋作で活動資金を作るのが目的なのだと思い込んでいました。しかし捕らえた手下の靴の底には、蝋が付着していた。これは妙です。一体蝋を使って何をしていたのか。加えて探り当てた根城には運送会社の制服が。決め手となったのは、あなたの囲っていた贋作職人の中に、彫像が専門の男がいたという点です。彫像に使われる青酸。そして蝋。運送。狙いは何らかの歓迎式典だとしか考えられませんでした。こうした式典で使われる飲み物は、全て海外から封印された状態で届けられる。ウエイターとして忍び込んでも、身体検査は万全。だとすると運送中に封印を解き、毒を入れ、封印を偽造する必要がある。そこであなたは三人の贋作職人を掠い、計画に協力させ――」


「あぁ、ちょっといいか?」


 唐突に遮られ、利史郎は口をつぐんだ。それを面白そうに眺め、レヘイサムは続ける。


「少年――少年探偵か。気の毒だな。自分の手柄を誇示したいのはわかるが、それに何の意味がある?」


 こうした時、名指しされた犯人は混乱し、追い詰められ、観念するか最後の抵抗を試みるものだ。


 しかし、彼は違った。利史郎は初めての事に、何が起きているのか十分に理解できなかった。それでも瞬時に頭を働かせ、言葉を紡ぎ出す。


「最後の悪あがきですか。僕を貶めようとしても無駄です。あなたは今までに無数の、何の罪もない臣民を手にかけて――」


「違う違う、そうじゃない。今、この場で、という意味だ。ここに居並んでいる華族さま方は、十分にお前さんの手柄を知ってる。後楽園殺人事件、朝香宮誘拐事件、四人の尼さん事件――十分だろ。これ以上自分の有能さを誇示して、どうしようってんだ。新聞の一面を飾るだけじゃ不満なのか? 一体お前さんは、これ以上、誰に何を認めさせたいんだ」


 まさに、理解の範疇を超える言葉だった。しかし利史郎は無意識に一点の誤謬を見つけ出し、それを足がかりにしようとした。


「認めさせたい? 関係ありません。僕はただ帝都の安寧を――」


「なら、この会話自体が間違いなんだよ。わかるか? お前は時間を、機会を、無駄にしている」


 一瞬の後、しまった、と思った時、唐突に吹き抜けの窓が粉々に砕け、一つの影が舞い降りてくる。


 それは黒い塊だった。月明かりを浴びてつやつやとした毛並みは光り輝き、風を切る音を立て何倍もの大きさに広がる。翼は空気をはらみ、悲鳴に包まれたホールの中を一回りすると、レヘイサム目がけて飛び込んできた。


 怪人だ。蝙蝠男だろう。察した私服警官たちは躊躇なく銃の引き金を引いたが、当たっていないのか、あるいは硬い表皮に遮られているのか。一対の翼の間にある顔は楽しげなままで、真っ黒な目は爛々と輝いている。低空で飛び込んできた蝙蝠男の足を、レヘイサムは掴んだ。そして一度に飛び去ろうとした時、利史郎は叫ぶ。


「姉さん、あれを!」


「はいよ!」


 声のした方向を見ると、ハナは背負い鞄に手を突っ込み、銀色の玉を取り出していた。その上半分と下半分を逆に回すと、カチリと音がして内部の歯車が回り出す。


 蝙蝠男とレヘイサムは、突入してきた高窓から飛び去ろうとしていた。ハナから手渡された玉を振りかぶると、利史郎は二人に向けて投げつける。


 当たりはしなかった。しかし玉は蝙蝠男の目前で破裂すると、目映い光を発した。


 ガス灯より、あの電気灯よりも、なお明るい閃光だった。利史郎の目も真っ白に焼け付き、なかなか視力が戻ってこない。しかし宙にあった影が音を立てて落ちてくるのはわかり、懐から銃を取り出しながら駆け寄っていく。


 レヘイサムは、頭から血を流しながら笑っていた。彼の下敷きになった蝙蝠男は意識を失っていて、口をだらしなく開き、鋭い牙と真っ赤な舌を出していた。


「お見事!」


 叫ぶハナに大きく息をついてから、手を打ち合わせる。興奮が収まってくると周囲が華族たちの拍手に包まれているのに気がついた。当惑しながら周囲を見回していると、大きな装置を抱えた男が群衆から抜け出してきて、レンズと発光灯を二人に向けてくる。


「利史郎さん、笑って!」


 探偵にとって、新聞に顔が載る利点は皆無だ。慌てて帽子を下げて顔を隠す利史郎に対し、ハナは満面の笑みで親指を立てていた。

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