竹の御所のいる鎌倉幕府

顕巨鏡

第1話

目がさめた。出産の途中で、気がとおくなり、そのまま死ぬのかもしれないと思った。しかし、わたしは、生きている。からだが弱っていて、起きあがることができないけれど、窓をあけてもらえば見える外のけしきは、出産まえとかわらない。


赤子も生きている。男の子だ。赤子を乳母の家にあずけるのではなく、乳母にわたしの屋敷にきてもらうようにしたから、わたしはときどき息子の顔をみることができる。この子を家臣たちは「竹の御所の若君」とよぶ。本人もそうよばれると気持ちがよいようだから、わたしも「たけわか」とよぶことにした。三寅みとらの長男であり、都にいる三寅の兄弟の子とあわせてかぞえる必要はないから、「太郎」とよぶこともできるのだけれど、太郎はあちこちにいて、まぎらわしい。


たけわか には、やがて、正式の名まえが必要になる。三寅の父親の道家どのにつけていただくことになるだろう。あるいは帝からたまわることになるかもしれないが、いまの帝は幼子だから、やはり、帝の祖父でもある道家どのが考えることになるだろう。わたしは身重のうちに、男の子だったらつけてほしい名まえの希望をつたえてある。「頼政」だ。「頼」は、三寅が「頼経」だから順当だとも思うが、わたしの祖父でもある初代将軍「頼朝」の「頼」をつぐものでもある。「政」は、祖母が帝から官位をいただいたときになのった「政子」の字だ。源三位頼政と同じ名まえはおそれおおいけれど、藤原の頼政ならばさしつかえないはずだ。


わたしが将軍の後見としておもてに出るのは、身重になったのをきっかけに、やめた。三寅は公務を後見なしでつとめられるようになった。ただし、政治の判断についての助言者は必要だ。助言者になりうる家臣はおおぜいいるが、どんなことをだれにたよったらよいか、という問題がある。たとえば、規則できまったことならばそれをはっきり答えてくれるのでたよりになるが、きまっていないことを問うと思いつきで断言するのでたよりにならない人もいる。三寅がくると、そういう話をする。わたしは、寝床についたままのいまも、いくらか、政治にかかわっている。


わたしは、これからもときどきは、政治のおもてに出る必要があるだろう。祖母は「尼将軍」とよばれたこともあったけれど、その役わりは、幕府の長の代行だけではなかった。それを説明するのはむずかしいが、あえて簡単に言えば、意見の対立がおきたときに、みんなが了解できる策をさぐろうという気分をたもつ役だ。これができる人が、武家の男にはなかなかいない。祖母がなくなってから、わたしが、およばずながら、ひきついできた。これまでは将軍の後見としてだったけれど、これからはどういうたちばになるだろうか。祖母は、朝廷から官位をいただいたにもかかわらず官職にはつかず、「尼御台みだい」とよばれてきた。わたしも将軍の妻だから「御台」ではあるのだけれど、尼ではない。妻というたちばで政治にかかわるのは越権と感じられる。朝廷の官職でも、幕府の規則による職でもよいのだけれど、実際の役わりにふさわしい職名がほしい。


仙覚という僧がきた。万葉集についてくわしくしらべていて、うちの蔵書を見にきたのだ。万葉集の話をたのしく聞いていたのだが、そのうちに思いあたった。万葉集の時代は女帝の時代だった。帝のほかにも、政治にかかわった女の人たちがいたはずだ。その人たちはどのような職についていたか、またその働きはどうよばれていたか、しらべてほしいと、仙覚にたのんだ。

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