第7話 王立万象研究院にて

 サリサはアーサーを伴い王立研究院までやってきた。昨日のようにアーサーは、サリサが所属の研究室までやってくるのかと思ったが、彼はサリサが入り口を通るのを見届けたのに終えた。

 サリサが、所属の術理論講座の研究室に入ると、すでに先輩の留探士であるフリス・シシロアがいた。中肉中背の、三十代男性で、黒髪を背に届くほど伸ばしている。

 フリスはじつによく気配りのできる人で、講座の責任者であるハロルズ教授の秘書のような仕事までしている。サリサは定時にはここに来ているが、フリスより先に研究室に入ったことがない。

 サリサは、彼に少し苦手意識を持っていた。苦手意識というより劣等感に近いかもしれない。フリスは、サリサがここに所属が決まったあと、ハロルズ教授に対する心得なども教えてくれた。しかしいざサリサが手を動かそうとしたときには、彼がそれを全て終えているということばかりだ。ハロルズ教授も、お茶を淹れたり書類を整理したり、ハロルズのスケジュールを管理したりなどは、サリサにはしなくてもいいとはっきりと言った。

 確かに留探士の仕事ではないが、先輩が細々働いているのに、後輩の自分が何もしないというのは、ものすごくいたたまれない。サリサは、自分のこの苦手意識が逆恨みじゃないかと分かりつつも、その感情を消化することができていない。

「おはようございます」

「おはよう。なんだか今日は、少し雰囲気が違うね」

 彼はいつも通りにこやかに挨拶をしつつ、当たり障りのない言い方で、いつもと違う格好をしていることに触れた。

 今日、起床直後は官舎に戻るつもりだったから、自分の服を着ていたのだが、それが不可能と知り、アーサーの用意してくれた服を借りたのだ。

 シャツと黒のスカートといういともシンプルな格好で、確かにサリサがいつもは着ない格好だ。

 なんとなく見られると居心地が悪く、サリサは曖昧に笑ってごまかした。

「今日は、ハロルズ教授は遅れるそうだよ」

「珍しいですね」

「まあ、今は一番お忙しいでしょうから、誰かさんの仕事を肩代わりしているようなものだし」

 サリサもああと納得した。昨日の件を相談しようと思っていたのだが、いないのでは仕方がない。

「サリサさんは昨晩どうしたんです? 官舎でなにかあったようですが」

「はい……」

 フリスも官舎組だ。昨晩、サリサとアーサーが去ったあとも憲兵は調べていたのだろう。そうでなくても、自分の部屋の周りは立ち入り禁止にはなっている。

「泥棒が入ったみたいで」

「えっ!」

 厳密に言えばまだ泥棒と限っていないのだが、サリサはそう説明することにした。いやまてよ、泥棒だったかもしれない。サリサは記憶を辿ってみた。

「な、何を盗られたの?」

「食べ物です」

 机の上に買っておいたお菓子があったはずだ。今思い出したがあれがなかった。

「いや……」

 まてよ、あれは朝に食べてしまった。

「そんな」

 フリスは青い顔をしていた。

「サリサさんは、大丈夫なの?」

 どうなのだろう。サリサは考え込む。そういえば決して楽観視できない状況のはずなのに、今はアーサーの家で一緒に暮らすことで頭がいっぱいである。

 考え込んでしまったサリサの前で、フリスが困惑の顔で立っていたが、サリサはそのまま自分の世界に入ってしまった。



◇◇◇



「失礼します」

 アーサーは上官のアレック中尉の後に続き、王立万象研究院内、小会議室に入った。中には数名の教授がすでに腰掛けていて、アレックとアーサーを認め全員が一度席を立った。

「どうか楽になさって下さい」

 アレックが右手で座るようを示しながら、左手ではベルトに下げていた身分証を開いて見せた。

 そこには銅の竜の紋章がある。王より直接の指示を受け、捜査を行う人間であるという証明になる。教授はそれを目で確認したのち、またそれぞれ椅子に腰掛けた。

 王立万象研究院は公的機関である。

 かつて、この地には【共喰いの竜】と呼ばれる魔性の存在があった。千年前、初代王となった勇者と、八人の協力者によって【共食いの竜】が封印された。しかし封印後も、魔竜や魔竜の存在に影響を受けた生き物たちが残した魔術や呪いは、各地に残ったままになった。それらを解呪解放するために、初代王の命で設立されたのがここ万象研究院となる。

 本来は王立故に、内部の研究の是非や継続について外部から圧がかかることはない。ただし内部からの報告内容の如何や世論、情勢、または内在の職員が犯罪に関わっている場合などは、王の代理という体で捜査官の立ち入りがされる。

 今回、アレックとアーサーは、現在審査中のある研究について調査を行うために、王立研究院にこうして出向いた。

「この度、現在審査中の論文に対し、王命により捜査が行われます。私が責任者のヘルメス・アレック中尉です。よろしくお願いします」

「アーサー・レファローヤ少尉です」

 二人の挨拶に対し、教授陣は堅い動作ながらも反発らしいものは匂わせず、一人を除いた皆が丁寧な会釈を返した。

 その中に、一人、年かさの教授はうなずいただけで、アレックへ鋭い視線を投げ続けた。ハロルズ教授である。この度の、捜査チームが結成された理由の中心となる人物だ。

「早速本題に入ります。まずお伺いしたい。ハロルズ教授の、現在審査中の研究論文の審査完了まであとどのくらいかかるでしょうか」

「最低でも一月は必要だ」

「一刻も早い確定をお願いします」

 教授の一人が首を振った。

「あの内容について、確定まで一月でも足りないくらいです。それをいきなり急げとは何故」

「研究内容が外部に漏洩している可能性があります」

 アレックの発言に、教授陣は一斉に顔色を失った。もちろん反応はあると思っていたが、アーサーが考えていた以上の劇的な反応だった。上官に視線を送ると、彼もまたアーサーに視線をよこした。同じことを感じたようだ。

 ハロルズ教授の研究内容が外部に漏れている可能性ありと、報告があってから憲兵部隊にて捜査隊が構成された。

 単に漏洩というだけならここまで大事にならない。今回、このような特別措置が取られたのは、ハロルズの研究論文が、人類の存亡に関わる重大なものだからだ。

 研究の内容そのものは、ただ細胞学に関わるというのみの、ごく簡単にしか知らされていない。ハロルズの研究は術理論が主である。おそらく、新たな術構築式が組まれたのだろうとしか想像するしかない。

 【共喰いの竜】封印後、かの邪悪な竜が人に残した術は、皮肉にも人類の発展にも貢献してきた。術を利用して様々なものが造られた。

 だが、一定の条件を超えると、術の使用に制限がかけられる。巨大すぎる力については、使用に至るまでに何度も審査会議が重ねられる。審査の結果、条件付きで使用が認められるか、現状にて制御不能と判断された場合は術式が完全に凍結される。

 しかし、制限もしくは封印を王立研究院が行う前に、第三者に術式が漏洩し使用されてしまうと、院での凍結を行っても意味がなくなってしまう。

 ハロルズ教授の研究論文は、審査期間に入って二週ほど経つが難航しているようだ。それだけ有用であり、脅威でもある証だ。

 漏洩の話題が出たとたん狼狽えている教授陣の様子にも、緊急性が顕著に表れている。

「まさか」

「ありえん。そんなことをすれば王立研究院の籍がなくなるだけでは済まない」

 だが、うち一人の教授が呻った。彼は隣に座っている別の教授と何やら小声で話している。アーサーの元まで全て届かないが「今回はそれでも」とだけが聞き取れた。

 教授たちは大小あれど、ほとんどが顔を伏せた。アレックがつま先で床を軽く鳴らした。

「どうか、一刻も早い確定を」

「今も連日精査を行っておるが、内容が内容だけにおいそれと簡単に通過させるわけにはいかんのだ」

「それより、そちらで漏洩した可能性があるのか、あるならその犯人を確保して下さったほうが早い」

 アレックはうなずいた。

「ごもっともです。そちらも今調査を進めております」

 別の教授が手を挙げた。

「可能性があるというのはどういう」

「別件、王政廃棄を訴える古代術復古過激派の男が数日前に逮捕され、今もまだ取り調べ中なのですが、その彼が、現在研究院にて確定待ちの研究について言及しました。さらに昨日、一人の留探士が誘拐されそうになりましたが、その実行犯の一人も、確定待ちの研究を狙っていたようなことを匂わせております」

「状況をお伺いするに、あなた方が漏洩を疑われた理由は尤もだが……誰が行ったか、容疑がかかっているものはいるのか」

 それまで黙っていたハロルズ教授が、アレックに質問した。

「最も可能性が高いのは、先生の下で研究をしている、かつ昨日に誘拐されかけた」

「サリサ・ケストリア留探士か」

 サリサの名を出したのはハロルズだった。彼の回答に他の教授がざわついた。

「まさか」

「彼女は真面目で優秀な留探士なのに。それに倫理に関する意識もかなり高い。漏洩などあり得ない」

「いや、どうかな、彼女はほら」

「劣等感から仕出かすということもあるだろう」

 他の教授たちがざわめく中、アレックとハロルズが黙って互いを見る。睨み合うと表現する方が近い。

「彼女にはすでに監視がついております」

「そうだろうな」

 ハロルズは返事をしたあと、諦観の息を吐いた。誰もが黙り込んだなか、それまで黙っていたアーサーは手を挙げた。

「ハロルズ教授、ご質問があります。先生の私見で結構です。普段、彼女をご指導されていて何か気になる点などありますか」

 アーサーの質問に、アレックは無言であったがアーサーの顔をちらと見た。

「その質問にお答えする前に、こちらもひとつお伺いしたいことがある」

 ハロルズが重々しく問う。アーサーは手で促した。

「昨夜、ケストリア留探士が利用中の官舎に異変があったと我々も報告を受けておる。もしかして、誘拐されそうになった留探士というのは彼女か?」

 アレックは無言だが、それで肯定を示した。ハロルズの表情に至極苦いものが見えたが、彼はすぐに表情を取り繕った。

「彼女は今どこにいる」

「私の監視下にいます」

 ハロルズはうなずき、アーサーに対し、ならばと重々しく前置いた。

「先ほど、先生方も仰った通り、彼女の倫理観については大きな問題はない。ただし、物事に集中し過ぎるあまり他がおろそかになる点は挙げざるをえない」

 ハロルズの言に、他の教授は顔を見合わせた。アーサーはそれらを一瞥したあとで、再度ハロルズの鋭い目に自分のそれを合わせた。

「つまり、過失という点で漏洩の可能性があると?」

「ゼロではないだろうな。監視は怠らない方がよいと判断する」

 アーサーはわずかに口元を動かし、しかし冷静な声でご回答、参考にしますと告げた。

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