episode7 俺の過去 

 


 今から3年前の9月某日の暮。

 学校から帰ってきた俺が見たのは、姉さんの首吊り死体だった。

 場所は姉さんの自室。

 紐を廊下側のドアノブに括り、それを扉の上側から室内にまわして、それにぶら下がる「ドアノブ首吊り」という手法を利用した自殺。

 縊死いしから連想されるような天井から首を吊る方法でないそれは、一瞬俺の理解を遅らせる。


「ねぇ……さん?」


 恐る恐るかけた言葉に返答はない。それどころかピクリとも動かなかった。

 当たり前だ。その首元にはしっかりと紐の痕も残っている。考えたくないと思う心とは裏腹に、頭の中では吊ってからもうかなりの時間が経っているんだと理解してしまっていた。



「───ぁ………け、警察。」


 急いでスクールバッグからスマホを取り出す。


『事件ですか?事故ですか───』



 そこから何を話されたのか、何を話したのかは覚えていない。


 頭の中が真っ白で、何の記憶も出てこない。茫然自失としていた。状況を理解はしているけれど、まったくもって脳内がエラーを吐いていたような感覚だったのを覚えている。


 そして次、俺の中にある記憶は───


「棗くーん?由里ちゃんの具合大丈夫そうー?」


 警察よりも早く、いつも通り合鍵を使って、日葵さんが家に入ってくるところからだった。


 スマホを片手に持ったまま放心状態だった俺は、驚いたこともあってか今まで出したことのないくらい大声を上げた。


「入ってくるな!!」


 足音が、ぴたりと止まる。


 この状況を日葵さんに見せられないと思って起こした行動だったが、これは本当に悪手だった。

 できるだけ自然に「かなり具合が悪そうだから」とか、「移しちゃ悪いから」とか言えれば良かったのだが、姉さんの体調が悪かったなんて今の今まで知らなかったし、そもそもそんなことを考える余裕なんて無くて。


「え、えっと…?ど、どうしたのー!?なにかあった!?」


 玄関先から大声でこちらに語り掛ける日葵さん。その声には困惑と、少量の恐れが含まれていた。

 そりゃあそうだ。何の前触れもなく突然怒鳴られたのだ。

 それは年下だからとか、相手が中学生だからとか、そういうのは関係ない。誰だって怖いだろう。

 それでも優しく語り掛けてくれる部分に、日葵さんの中の慈愛を感じた。


「ぁ…………ぇっと。」


 俺は、なんて言えばいいかわからなくて、ただ黙っていた。

 日葵さんは優しい人だから、きっとこのままだと無理矢理でも部屋に入ってきてしまうだろう。

 体調不良だと言っていた親友と、様子のおかしいその弟。

 あの日葵さんが黙って帰るわけがない。


 けれど下手な言い訳をしたって、さっきの怒号は不自然だ。それが嘘であるとすぐにバレるかもしれないし、疑われずに帰す方法なんて思いつかない。

 そうなると必然的に、日葵さんは姉さんの現状を知ることになる。

 それは駄目だ。絶対に避けないといけない。


「姉、さんが…………。」


 絞り出すように出た言葉は、それ以上続かない。

 口が動かない。脳が拒否する。


「……由里がどうしたのー?」


 ゆっくりと、廊下の床を踏みしめるように歩く音。

 その音を聞いているだけで、俺は動けなくなる。

 俺が歩いている訳でもないのに、処刑台に連れていかれる囚人の気分だ。


「由里の部屋にいるの?入ってもいいかな?」


「ダメだ。」


「どうして?」


「ダメなんだ!今は入らないでくれ!!」


「えぇー……?何か隠してない?私にも言えないこと?」


「違う!そういうんじゃない、けど。お願いだから……来ないでくれ……」


 俺の言葉は届いているはずなのに、日葵さんはゆっくりと階段を上り始める。

 一歩ずつ確実に近づいてくる足音、それが何かのカウントダウンに思えて俺の心臓が止まってしまいそうだった。


「棗くん本当にどうしたの?私でいいなら話聞くからさ。ね?」


 上りきったらすぐこの部屋だ。しかも外側のドアノブには首吊りに使用していた紐が不自然な形で括りつけられたまま。

 見られればその時点で終わりだ。

 警察が来る前にここから追い出さないと。


「お姉さん心配だよ。何があったの?」


 その声はもうすぐ近くに聞こえる。

 駄目だ。

 どうしよう。何ができる。どうすればいい。


「ひ、日葵さん!ちょっとだけ下にいてくれない?すぐ降りるから!」


「…………わかった。」


 日葵さんの声が、扉のすぐ向こう側から聞こえたとき、俺がとったのは延命措置だった。

 警察が来たら言い逃れできない、来る前に追い返せたとしてどうせ明日……良くて1週間後には全部バレる。

 頭の中ではキチンと理解できていたが、姉さんの遺体を見せないようにすることが最優先事項だった。


「日葵さん……もう降りた?」


 少し間を開けて小さく呟いてみる。

 返事はなかった。

 扉の前に人の気配がする、なんて表現はよく使われるが、実際はわからないもので。

 

「ふぅ…………。」


 一息ついた俺はゆっくり部屋の扉を開ける。


「どーん!」


「うわっ!?」


 開けた瞬間、目の前にいたのは、日葵さん本人。勢いのまま抱き着かれてしまった。

 全身の感覚がすっと消えていくのわかる。体温が下がるなんてものじゃない。温度そのものが無くなっていく。

 普段なら少し照れてしまうようなそれは、その時に限り全てをバタバタとなぎ倒していくような絶望だった。


「ぇ、ひ、まりさん…………?」


「もぉ~。びっくりしたよ~。急に大声上げるんだから!しかも由里の部屋にいるなんてどーゆーことだ~?」


 俺の声に温度はあっただろうか。それに気づかない日葵さんは温度のある声で俺を励まそうとして。


「って、…………ぇ?」


 俺の肩口から力なく横たわる姉さんのだったものを見た。


「え……はは!ドッキリってやつ!?ちょっとビックリしたよー!!」


「…………。」


「え、冗談………だよね?」


 抱き寄せ、俺の肩にあごを乗せるような体勢から、俺の肩に手を置いて顔同士を向かい合わせるようにした日葵さんがそう言う。

 俺は何も言えなかった。


「え、由里…………ゆり?」


 今度は温度の感じない声で姉さんの元へ向かう日葵さん。

 首元の鬱血した痕を見れば姉さんが何をしたのか。何が起こったのかなんてのは想像に容易いものだ。

 鬱血を精巧に偽造するなんて、それこそ特殊メイクでもしなきゃできない。姉さんならできてしまうかもしれないけれど。

 彼女もそう思ったのだろうか。姉さんの体をぺたぺた触ったり、心音を確認したり。声をかけたりした。


「あぁ。そっか。」


 わかりたくなくて逃げるようにそれらを行った後、納得したように一言零した日葵さん。

 きっと、理解したんだろう。


「ねぇ。なつめくん。」


「そういえば私、ゆりから手紙貰ってた。昨日。週末まで読まないでって。」


 それはきっと、最期にまとめたものなんだろうと察しが付く。


「それ読んでたら、こうならなかったよね………?私さ、由里殺しちゃったのかな?」


 瞳と瞳が触れ合うくらいの距離で、琥珀の瞳が黒色で塗りつぶされていくのを見た。


 それはまるで晩夏ばんかの向日葵。黒く萎んで、そして力なく朽ちていくよう。


「……ごめん。」


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