【File2】黒津神社④
【03】呪いの力
薫が両手で三つのグラスをまとめて持ち、ドリンクバーの方へ向かう。
彼の気の利くところを見せられて、杉本の中で張りつめていたものが少しだけ和らぐ。
もうあと一年か二年も経てば、自分好みのイケメンになりそうだ。年下の彼氏というのも悪くないかもしれない。
今の彼氏は社会人で忙しく、なかなか一緒に過ごす時間が取れない。その事が、唯一にして最大の不満点だったからだ。
そんな事を考えながら何気なく薫の方を見ていると、茅野循が「ふふん」と鼻を鳴らす。
「私の自慢の弟、可愛いでしょう?」
「……ええ、まあ」
考えを見透かされたような気がして、杉本は引き
「あの子、サッカー部のエースで異性から
「へえ……」
それは、どうしてなのか……と、杉本が質問しようとした直前だった。
先に茅野が口を開く。
「……それで、杉本さんは、どうかしら?」
「ど、どうとは?」
突然、話題の方向が変化して杉本は面食らう。
茅野は少し
「結局、貴女は、呪いをかけた犯人探しに協力する気があるのか、ないのか」
「いやいや、そもそも何で私に?」
「貴女ならば、知っているのではないかと思って。当時、柔道の大会などで、梨沙さんの実力に
「いや、だから、呪いなんて、この世に存在する訳がないって言ってるでしょ?」
そこで杉本は慎重に言葉を組み立てる。
「その企業の創業者の人は、いつ寿命が来てもおかしくないほどの老齢だったのよね? ブロガーの主婦は珍しい名前じゃないなら、本人かどうか解らない。元ホストのゴミは今も元気に馬鹿な女を
杉本はまくし立てる。
そこで薫がグラスを持って戻ってくる。
姉と杉本にグラスを配り、自分もオレンジジュースを手にして腰をおろす。
「あ、ガムシロップはちゃんと三つ入れたけど、よくかき混ぜてね」
「ありがとう」
薫に礼を述べた茅野循に向かって、杉本は問い
「だいたい、桜井さんを呪った相手を見つけてどうするつもりなの?
その言葉とは裏腹に、杉本は理解していた。
呪いは実在する。
なぜなら、あの夜、彼女は〝それ〞を見てしまったからだ。
◇ ◇ ◇
吐く息が白く、遠くから聞こえる貨物列車の走行音と自転車のチェーンの
心臓が高鳴り、吐き気がした。まるで柔道の試合前のように緊張感が高まる。
この日の夜、杉本が向かった先は、彼女の家からそう遠くない場所にある黒津神社であった。
その噂は市内でも有名で、今も境内では
正直、呪いなど半信半疑だった。
しかし、杉本は桜井梨沙への憎しみを糧に自転車のペダルを力強く踏み込み、目的の場所へと近づいて行く。古びた住宅街の路地を抜けて、その外れの農道を進んだ。
そして、深夜の一時半過ぎに、ようやく黒津神社の境内へ続く石段の前へと
自転車を停めて
本来ならば白装束をまとい、頭に
万全を期したい気持ちも当然ながらあった。しかし、そんな格好で夜間にうろつき、誰かに遭遇したところを想像すると、とても勇気がわかなかったので妥協した。
これは
ともあれ、杉本は石段の横の茂みに自転車を倒して隠し、鞄から懐中電灯を取り出し石段をのぼった。
鳥居の前に立ち、誰もいない荒れ果てた境内を懐中電灯で照らした瞬間、唐突に恐怖が込みあげてくる。
社殿の裏から、縁の下から、木の裏から、
しかし、ここで帰るのは、桜井梨沙に負けるような物だと気を入れ直して鳥居を潜り抜ける。
その瞬間、きん、と耳鳴りがして鼓膜が張りつめるような感覚がした。下腹から不快感が駆け上り、一回だけ
それでも、どうにか気を振り絞り、社殿の前まで行き、深呼吸をしながら手を合わせた。
すると不思議と気持ちが落ち着いてくる。ここにきて、ようやく覚悟が決まったような気がした。
おあつらえ向きの木を見つけると、鞄から五寸
次に
貫く場所を右足にした理由は特にない。最終的には四肢に釘を打ち、
ともあれ、ありったけの憎しみと妄執を込めて、杉本は木槌を振るった。
「思いしれ、思いしれっ! 思いしれっ!!」
才能のある者は、才能なき弱者を加害している。その報いを受ける義務と責任がある。
「苦しめ……苦しめ……私と同じぐらい苦しめ!!」
そして、五寸釘が深々とめり込み、更なる一撃を杉本が振るおうとした、そのときだった。
ふわり、と杉本のうなじを
……ほんのすぐ近くで誰かが微笑んだような気がした。
杉本は大きく目を見開き、そのままの格好で凍りつく。
眼前にある藁人形を打ちつけたばかりの木の幹。
その左側から白い右手が、にゅっと現れた。
木の後ろに何かがいる。
杉本は青白い血管の浮かんだ不気味な手の甲を見つめ続けた。
やがて、その白い右手は
絶叫が
一拍遅れて、それが自分の悲鳴である事に気がついた。杉本は暗闇の中、全力で駆け出す。
わずかに木立の合間をぬって射す、遠くの町の明かりを頼りに。
恐怖のわめき声をあげ、
「ああ……あ……あ……ああああっ!」
誰かが背後で笑っているような気がした。
惨めで、無様な自分自身を。しかし、怒りも劣等感も湧いてはこない。ただ、ひたすら恐怖心しかない。
杉本は一度も振り返らずに石段を一番下まで駆け下りる。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
すると、腹が芋虫のように脈打ち、杉本奈緒は胃液を吐き散らした。
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