第9話 彼女が眼鏡を外したら
一向に止まる気配のない口汚い言い争いを続けながらも、ジャージに着替えて出て来た三人と入れ違いに教室に入る。
部室代わりの空き教室とはいえ、つい今し方まで女子が着替えをしていた空間と考えるだけで落ち着かなくなり、可能な限り最速で手早く着替えを済ませた。
教室を出るとすでに
「では、正門花壇に向かおうではないか。今日は部室を案内するためにいったん正門に集まったけれど、明日からは着替えてから集まることにしよう」
「あの、榮先輩は?」
「あのデカ乳なら屋上の野菜に水をやってから中庭の畑に向かうだろうよ」
「え、昨日は案内してもらってないですけど、屋上にも何かあるんですかー?」
鈴木さんが興味津々に身を乗り出してくる。
「ああ。ほんのわずかだが屋上菜園があるのだよ。
白崎先輩が口惜しそうに歯噛みして吐き捨てる。
「そういえば昨日も中庭花壇のラインをはみ出すなとかって揉めてましたね……」
「当然だよ。我がガーデニング部と園芸部に分裂することになった際にお互いのテリトリーを決めたのだから」
「部室みたいに共用で管理してるわけじゃないんですね」
「陽和は野菜で、私は花しか育てる気がないからね。お互いの管理は明確にしておくべきなのさ。それで園芸部のテリトリーは中庭の一部と裏庭の半分、そして屋上の菜園ということになったのだよ」
どういう決め方をしたのかはわからないが、話を聞くかぎりぴったり半分ずつというわけではなさそうだった。
「まあ屋上菜園とは言っても野菜用プランターがいくつか置かれているだけだからね。それに屋上自体が関係者以外の立ち入りが認められていない場所だから、花が咲いても人目に触れないからね。せっかく咲いた花は視覚的に楽しんでもらってこそだろう?」
「そうですよね! 綺麗に咲いてくれたお花は、なるべくたくさんの人に見てもらいたくなっちゃいますよねー!」
眼鏡がずれそうな勢いで鈴木さんが何度もうんうん頷く。
それについては俺も同意見だ。特に学校で育てた花ならなおさら多くの生徒の目に触れる場所で咲き誇って欲しいものだ。
「しかし、いつでも好きな時に屋上へ出て青空を満喫出来る点だけは恨めしいところだよ」
「せっかく良いことを口にしたと思ったのに結局は邪な理由なんですね……」
「ふむ……、思い出してしまったのだが、それにしても腹の虫が治まらないよ。100歩譲って屋上を諦めたとしても、肝心の『園芸部』という部の名前を逃してしまったのは本当に悔やまれるよ……!」
100歩も譲らないと諦められないということは、それはもうまったく諦められてないということだが黙っておこう。
「あー、そのせいでわたしも最初、園芸部に入部しに行っちゃいましたからねー」
鈴木さんの勘違いはもっともだ。確かに園芸部と聞けば、そこに花や野菜を育てる活動の全てが集約されていると考えるのが普通だろう。
「ちなみにですが、部の名前と花壇の割り当てはどうやって決めたんですか?」
「ジャンケンさ!」
「勝った方がテリトリーを選んでいく、みたいな流れだったんですか?」
「そうだとも。つまりより多く勝つことが重要だったのさ。そこで私は秘策を用意して挑んだのだよ、最初にパーを出すと見せかけて陽和のデカ乳にエシカルビンタを食らわせて狼狽えさせた隙に、陽和の手の形を瞬時に判断して手を変えるって寸法さ!」
「……後出しですよね?」
「なにを言っているんだい、立派な作戦だろう? それなのにあのデカ乳は姑息にも最初の一撃だけで気が付いて、次からは私のエシカルビンタのパーに対抗して必ずチョキを出してきてね……。ふっ、策に溺れてしまったよ……」
「……策もなにも純然たる暴力ですよね?」
「暴力とはご挨拶じゃないか。あの脂肪の塊にはビンタ程度の打撃ではダメージなんて通らないんだぞ?」
シュッシュッと素振りする姿を見る限り、エシカルビンタと意味ありげに言っていたが普通のビンタにしか見えない。
いくら脂肪の塊とはいえ、卓球の素振りくらいの勢いで叩かれたらきっと痛いだろう。そもそも打撃と言ってしまっている時点で、もはやジャンケンの体をなしていない。
「まあ、そんなわけで園芸部の名を奪われてしまったのさ」
忌々しそうに白崎先輩が顔をしかめたと同時に、ちょうど俺たちは正門花壇の前にたどり着いた。
「さて、それでは我々ガーデニング部の活動を始めようではないか!」
無駄話はこれで打ち切りとばかりに、くるりと振り返った白崎先輩が両手を叩いて声を上げにっこりと笑顔を浮かべた。
先輩二人が本当は仲が良いのか悪いのかいまいちわからないままだったが、それはいったん置いておいて、ひとまず俺たちの部活動が幕を開けることとなった。
「まずは水やりだよ。これはさすがに説明なんて必要ないだろう?」
「はい! 任せてください先輩っ!」
鈴木さんがピンと腕を伸ばして頭上高く掲げる。
植物の水やりは朝一番が基本なのだ。これから太陽光を浴びて一日をスタートする準備のため、植物たちも水を欲しているのだから。
むしろ、この朝一番の水やりのために朝練並の早朝から待ち合わせていたといっても過言ではないのだ。
「それじゃあここは二人に頼んだよ。私はちょっと用務員倉庫に行ってくるからね!」
すぐ側の水道に繋がれたホースリールを目一杯引っ張って鈴木さんに手渡し、白崎先輩は意気揚々とスキップするみたいな軽い足取りで駆け出して行ってしまった。
「よーし、鮫島くん! わたしのスペシャルな水やりテクをご覧あれーっ!」
ホースを受け取った鈴木さんは、こっちはこっちでやる気をみなぎらせ水道を全開にするなり、花たちの根元に向かってどばどばと勢いよく流し込み始める。
【うわああぁぁっ! 勢いっ! 猛烈ぅ!!】
【強いーっ! もっと優しくしてーっ!】
【おい小僧っ! 聞こえているんだろう!? 早く止めないかっ!】
「ちょ、ちょっと待ってください鈴木さんっ!」
花たちの絶叫が響き渡り、慌てて鈴木さんの持つホースを抑えようと手を掴む。
「――――っ!」
「うわっ、つめたっ!」
が、いきなり掴まれて驚いた鈴木さんがホースの口を俺に向けて、狙っていたのではと疑いたくなるほど的確に俺の顔に向かって全開の水がぶっかけられる。
さらに俺の顔に当たって跳ね返った水が勢いもそのままに、鈴木さんに飛び散りジャージの上着を濡らしてしまう。
うん、鈴木さんにまで被害が及んでいるから狙っているわけではないようだ。死なば諸共だったら話は別だが。
「ど、どうしたの急に? びしょ濡れになっちゃったよー」
「えっとですね鈴木さん、水やりはそんな全開の勢いでやったらダメです……」
「ええっ、でもお水はお花にとってご飯みたいなものでしょ? たっぷりあげないと!」
「それはそうなんですが、この水の勢いでは地面が抉れてしまいます」
「あ……」
鈴木さんからホースを受け取り、ほどよい勢いに蛇口を捻って勢いを弱め、
「如雨露があれば一番なんですが、白崎先輩が出さなかったということはおそらくここにはないと思われます。なので、こうやってですね……」
ホースの口を摘まんで絞り、花たちの根元に向かって弱い雨のように注いで見せる。
【ふぅ~、助かったぁ~】
【なんだ小僧、若いのに腕は確かだな。見直したぞ】
ようやく落ち着いたようで花たちが安堵の息を漏らす。
「わあっ、ほら見て鮫島くん、虹っ!」
「いや、それよりも水のやり方をですね……」
朝日を受けてホースから注がれる水に虹が架かり、鈴木さんが興奮気味に俺の袖をぐいぐい引っ張ってくる。
「あ、うんうん、水のやり方だね!」
「あとは水やりの量ですが、春先は控え目にしておき気温が上がるにつれて徐々に増やしていくのが基本です。ここ数日、雨が降ってなかったのでおそらく白崎先輩が昨日も水やりをしているはずですから、ひとまずこれくらいにしましょう」
「ふむふむー」
続いて歩道の反対側の花壇への水やりなのだが、まず地面に触れてみて状態を確認する。
「うん、やっぱり。ほら見てください、まだそこまで土は乾燥はしていないです。昨日すでにたっぷりと水やりがされているので、こちらも少なめで与えてみてください」
「ラジャー! あ、ちょっと待ってー」
ビシッと敬礼のポーズを決めた鈴木さんだったが、先ほど水がかかって水滴でも付いてしまったのだろう、分厚い眼鏡を外してポケットからハンカチを取り出しレンズを拭き始める。
そこで初めて鈴木さんの素顔を目の当たりにし驚いてしまった。
分厚い眼鏡の下から現れたのは、やや幼さを残しつつも整った顔立ちの、端的に言ってしまってものすごい美少女だったからだ。
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